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天下第一雄関――嘉峪関

2013-08-27 13:11:17     cri    

 中国の有名な観光スポットの中で、国内外の観光客に一番よく知られているのは恐らく万里の長城でしょう。その長城に沿ってある関所、城壁、狼煙台は、長城防御システムの欠かせない3つの部分です。中でも嘉峪関は、すべての関所の中で一番大きく、一番よく保存されている軍事要塞です。嘉峪関は険しい地勢と雄大な景観で世界に知られ、「天下第一雄関」と呼ばれています。

 嘉峪関は甘粛省の西北部に位置し、明代長城の西端にあります。西暦1372年に着工され、嘉峪山に位置することからその名がつけられました。1987年、嘉峪関は万里の長城の一部としてユネスコの世界文化遺産に登録されました。

 天下第一雄関の嘉峪関に登り周りを見下ろすと、誰でもその壮大な勢いと古風で素朴な姿を讃嘆します。ここで、2000年以上前に切り開かれた、中国と西方諸国との経済・文化交流の道「シルクロード」と歴代の将軍が遠征した古戦場の姿がほのかに目に浮かんできます。

 嘉峪関は内城、外城、城壁などからなります。内城は周囲640メートル、面積2.58万平方メートルで、嘉峪関の主体であり、中心です。内城には三層の望楼がある他、楼閣、舞台、遊撃将軍府などがあります。嘉峪関は狼煙台や墩台等の付属施設とともに厳密な軍事防御システムを構成しており、幾重にも及ぶ難攻不落の防御線で城を堅固に守っていました。

 建造条件が厳しい時代に、このような立派な長城を建てることは実に容易なことではありません。だからこそ、美しい伝説がたくさん残されました。その中では、「定城レンガ」という物語が一番よく知られています。

 明の時代に嘉峪関を建てた時、易開占という素晴らしい職人がいました。嘉峪関造営に必要なレンガの数を計算するよう命じられた易開占は、詳細に計算した上で99999個のレンガが必要だと役人に報告しました。役人は1個でも間違ったら易開占の首を刎ね、ほかの職人には3年の労役を課すと言いました。しかし、嘉峪関が完成したときレンガが1個余ったので、西側の城楼の上に置いておくと、役人が見つけてしまいました。易開占はあわてず、「このレンガは神様が置いた定城レンガだ。もし動かしたら城は壊れてしまう」と言ったので、以後、そのレンガはずっとそこに置かれているという物語です。

 長い年月が経ち、老朽化と風化で嘉峪関に地盤沈下などの問題が出てきました。世界遺産の建造物を保護するために、中国政府は2011年末、20億3000万元を投じて、3年間にわたる嘉峪関関城と周辺長城の修復プロジェクトを開始しました。このプロジェクトには、長城の修復、関城城壁の修復と保護、木造建築の修復など10項目が含まれています。修復により歴史的建造物の特徴を壊さないように、嘉峪関の修復プロジェクトは「原材料、原構造、現技術」の原則に厳格に従い進められています。

 歴史的にここはずっと「関所はあるが町はなし」のままでした。1965年、ここに嘉峪関という名の都市を創設しました。現代の嘉峪関市には西北部最大の鉄鋼企業――酒泉鋼鉄があるので、嘉峪関市は「ゴビ砂漠の鋼鉄都市」と呼ばれ、世界的にも有名になりました。

 嘉峪関市と言うと、ゴビ砂漠に建てられ、千年の風雪をくぐってきた荒涼なイメージがあります。しかし、嘉峪関市は実は町もきれいで、空気もよく、素敵な都市です。特に称賛に値するのは、嘉峪関市の人は豪快で、とても親切だということです。

 シルクロードの黄金地帯に位置する嘉峪関市には、豊かな観光資源があります。嘉峪関の他に、漢代と明代の雄大な長城、長城博物館、万年雪を抱く祁連山など世界に名高い観光スポットがあります。嘉峪関市観光局の努力で、2013年上半期、嘉峪関を訪れた観光客は112万人を超え、昨年同期より3割増えました。

 現代の嘉峪関はすでに戦争や防衛の役割と軍事的価値を失いました。しかし、ゴビ砂漠に静かに立つ戦士のように、歴史と過去をつなぎ、世界の数え切れない観光客を引き付けています。

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