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敦煌莫高窟

2013-08-27 13:03:24     cri    

 十の王朝、凡そ千六百年を経た今日にも、莫高窟には492の洞窟、2000体余の彩色塑像、1000体余の浮き彫りの塑像、数万巻の仏教の経典が保存されています。敦煌莫高窟は中国で現存する規模が最も大きく、内容が最も豊富な仏教芸術の聖地だと言えます。

 莫高窟は千仏洞とも呼ばれ、中国西部の甘粛省敦煌市に位置し、1987年にユネスコによって「世界文化遺産」に登録されました。

 莫高窟の碑文によると、「莫高窟者、厥初秦建元2年(西暦纪元366年)、僧侶乐樽が戒行清虚のために、杖で錫林野に着て、この山に着くと、突然金色の光が見えて、千仏のようで、それでドリルを架空して、窟を作った」ということです。

 鳴沙山の断崖に建立された莫高窟は建築、彫塑、絵を集大成した立体芸術で、「人類文明の曙」、「世界仏教芸術の宝庫」と公認されています。各洞窟に描かれた壁画の面積は累計4.5万平方メートルを超え、殆どが仏教の物語を題材にしたものです。これらの壁画は中国各民族の芸術を受け継いだ上、イラン、インド、ギリシャ等の国々の表現手法を吸収融合し、敦煌という地方の特色を持った仏教芸術品を作り上げました。壁画は中国古代の政治、経済、文化、宗教、民族関係、中外友好往来などを研究する上での貴重な資料であり、人類文化の宝物でもあります。

 莫高窟には「蔵経洞」という洞窟があります。長さ2.7メートル、高さ2.5メートルのこの「蔵経洞」には、5万件余りの貴重な文献と文物が保存されていました。

 蔵経洞が発見されたのは1900年でした。その後、多くの欧米の学者や冒険家が中国の西北部を目指してやってきました。これらの人々によって、数多い経書や貴重な壁画、塑像などが盗み出され、中国の文化に計り知れないほどの損失をもたらしました。その一方、蔵経洞の発見と同時に、各国の学者は様々な角度から敦煌を研究し始め、1930年代に敦煌学が生まれました。

 研究によると、自然環境の破壊と洞窟自体の劣化という二つの原因で、莫高窟の壁画の中で、20%ぐらいが程度の差こそあれ損害を受けました。病害による破損の速度は古代に比べ、より速いものだということが分かりました。敦煌研究院の樊錦詩院長は「この老化の傾向を遅らせることができるが、逆転させることはできない」と言いました。


樊錦詩院長

 敦煌莫高窟を末永く保存していくために、樊錦詩院長は「デジカル化敦煌」の概念を打ち出しました。つまり、先進技術を取り入れ、洞窟の建築形体、塑像と壁画の材料、模様、生地などのデータをコンピュータに保存するということです。これまでに、52の洞窟と10800平方メートルに及ぶ壁画をデジタル化しました。

 デジカル化敦煌の意義は壁画を末永く保存するだけでなく、旅行資源の開発と文化遺産の保存問題も解決できると言われます。2014年に、間もなく完了できる「莫高窟観光客センター」で観光客が3Dボール幕映画の「夢幻の敦煌」を見た後、選択的に一部の洞窟を見物することができます。こうしたやり方は人による洞窟への影響を最大限に減少することができると言われています。

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