第二十章:民間美術

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 影絵芝居(一)

 影絵芝居は、中国の民間芸術の一つです。中国の北西部にある甘粛の影絵芝居「隴東」は、慶陽各県、陕西、寧夏の三角地帯で広く普及しています。

 「隴東」は、明と清の時代(14世紀から19世紀)にすでに流行していました。影絵芝居の人形は大変美しく、輪郭がはっきりし、精巧に彫りこまれています。

 「隴東」の人形に使用するのは、若い、黒毛の雄牛です。皮の厚さがちょうどよく、堅く、しなやかで、透明感があるからです。まず、皮をきれにして、それを乾かし、透明感を出して、はじめて人形の制作にとりかかります。乾いた雄牛の皮に模様も描き、型を作ります。そして、彫刻刀で型どおりに彫っていきます。後は色づけです。色は敢えて調和していませんが、これが天然の美しさで、色の対比が浮き上がります。色を付け終わると、次は「出水」という、人形を平らにする作業に入ります。これは影絵芝居人形の制作の中で最も重要な作業の一つです。「出水」の作業が終わると、もう一度乾かし、人形をパーツごとに組み合わせ、完成です。

 「隴東」の中には、2つの人形が登場します。スクリーンの左側に玉皇大帝、右側には老子です。その彫刻技術は大変精巧で、迫真の演技ができます。色は主に、赤、黒、緑ですが、これらが混ざり合って、多彩な色が出ます。玉皇大帝は陽を表し、切れ長の目、小さな口、まっすぐにとおった鼻筋から穏やかさが出ています。一方、老子は陰を表し、まん丸の目、吹き出物だらけの鼻、突き出た額、そして、後頭部の飾りが色鮮やか、という特徴があります。

 影絵芝居の中で、演出効果は重要なものです。人形の各パーツが活発に動き、響きわたる節回し。その地方独特の民間芸能の特色がよく表れています。

 「隴東」は、いくつかの演目から構成されています。中でも、「羅掃隋唐」の物語は、登場人物、道具が巧妙にできていて、芝居が佳境に入るところです。人形の色使いが対照的で、動きも快活です。人形のパーツが活発に動き、臨場感があふれます。そこには、ダイナミックな動きの中にも精巧さがあり、豪快な芸術があり ます。

 影絵芝居(ニ)

 中国北西部にある陕西省の影絵芝居は、古い民間の物語の痕跡を今も残しています。これは近代の陕西省の各地方の影絵芝居の前身でもあります。

 陕西省の影絵芝居はとても素朴なものですが、その装飾は美しく、人形は芸術的で、精巧にできています。陕西省の影絵芝居は、輪郭がはっきりしているばかりでなく、曲線に迫力があります。人形の内側は彫り具合いが非常にバランスあるものです。それは、複雑さと簡潔さが入り混じっているのです。人形や小道具、背景の各部分は、それぞれ違った模様が彫られています。芝居全体の構成も決して単調ではなく、簡潔にして中身があります。見ごたえがあり、芝居全体が活き活きとしていて、躍動感があります。完璧な芸術と言えるでしょう。

 芝居に登場する主人公も突出していて、色彩はもちろん、人形の形も目を見張るものです。その曲線は精密かつ複雑で、影がいく層にも重なる芝居は、一見の価値があります。

 影絵芝居(三)

 中国の山西省の影絵芝居の戒律はとても厳しいものです。その芸術性と、工芸技術は、陕西省のものと非常に似ています。曲線は墨を以って、彫刻の代わりとし、彫刻では大変難しい微妙な線が描かれ、精密になっています。使用されている顔料は、職人たちが自ら作ったものです。赤、緑、橙色と色彩鮮やかで、優雅であるばかりでなく、虫に食われることもなく、長い間、その形を変えることはありません。

 山西南部の影絵芝居には、おめでたい図案を模したものが、伝統的に伝わっています。例えば、「福禄寿」、「五子奪魁」、「八仙慶寿」、「魁星点斗」、「麒麟送子」、「連生貴子」などが人形や小道具の中に描かれています。人形の服装の中には、建築物がよく見られます。また、食器の模様には伝統的な模様として、「卍」や「富貴連年」、「如意長寿」などが描かれています。

 この地方の影絵芝居の中で、「髪を梳かす少女」という作品の中には、少女が鏡の前に座って、お化粧をする姿が表現されています。影絵芝居の芸人が巧妙に髪を梳かす少女を演出する際、鏡の中の少女と鏡の外の少女がうまく対応しています。これを上演する時の二者の一致は、芸人の匠の技としか言いようがありません。この地域独特の影絵芝居は非常に精密です。また、そこに描かれている机、椅子、箪笥、素朴な食器類も精密なものです。影絵の輪郭がはっきりしていて、少女の服装や椅子の図案も大変美しく、見る者を魅了します。

 泥人形(一)

 中国中部の河南省は「泥泥狗」と呼ばれる泥人形が有名です。色は主に黒で、笛にもなります。その種類は多いのですが、特に多いのが猿の泥人形です。「人面猿」、「膝を抱えた猿」、「桃を持った猿」、「鋤を担いだ猿」、「抱き合った猿」などの泥人形があります。

 悠久の地方独自の歴史の中で、各種の泥人形は単なるおもちゃではなく、そこには深い文化があります。

 泥人形の猿は、まず、片面を版で押して正面を作ります。背中にあたる部分は、手で平らにし、尻尾で固定すると、人形が立ち上がります。後頭部と尻尾には穴があり、吹くと、笛になります。この猿の人形は、顔と腹部に絵柄が集中しています。顔は簡単に目鼻立ちを描き、人の顔や猿の顔に似せます。腹部は主に、点と線で以って描き、生殖器を持っています。泥人形の猿は、まん丸の目に赤い顔をしています。上半身はかなり誇張してありますが、下半身は簡略化されています。まるで、猿のようであり、人間でもあるかのようです。素朴でありながら、洗練された、この泥人形は古くから伝わる神秘をそなえています。

 泥人形(ニ)

 中国の中部にある河南省准陽地区は、頭が2つある動物の泥人形が有名です。作り方は、手びねりです。作る工程は5つの段階があります。まずは、粘土を叩く、手びねり、形成、着色、模様つけの5つです。色づけは、下色を付けたら完成ではなく、色を染み込ませるのです。それを乾かしてから、模様を描いていきます。模様を描く際、筆は使いません。コ―リャンの藁で線を引いていきます。その線はふっくらしていますが、毛筆で描いたように太い線ではありません。黒い下色の上に、赤、緑、白、黄色を色づけしていきます。それは色鮮やかで、落ち着きがあります。

 ここの泥人形の中でも、特に豚の人形が特徴的です。頭が2つあり、想像力を豊かにさせてくれます。模様は短い線で描かれています。色は白を主体にしています。両目はまん丸で、鼻や耳の長さも大小あり、不一致の中に趣きが味わえます。ユーモアの中に、精密さと落ち着きがあります。使用している色彩は多くはありませんが、色彩感覚は豊富で他にひけをとりません。

 泥人形(三)

 中国中部にある河南省浚県の泥人形の発展と伝統は、この地の民俗に深く根ざしています。ここの泥人形は一般的に「泥咕咕」と「唧唧咕咕」、「咕咕鶏児」と呼ばれています。毎年、農暦の正月、15日の松の内と7月15日の中元には、浚県の廟で大量の泥人形が売られます。これらを買い求めるのは、結婚後、子宝に恵まれない女性や、子供や孫がたくさん欲しい婦人たちです。

 俊県の泥人形は、主に手びねりで、箸を使って彫刻した後、色付けです。一般的には窯で、黒や深緑、あるいは赤で下色を付けます。それから、バラ色、黄色、緑、白で模様を描いていきます。その色彩は素朴ながら、奥が深く、種類がとても多いのです。

 模様は、民間伝説の中の「八仙之韓湘子」、「張果老」、「漢鐘離人」などの人物があり、それは活き活きとし、可愛らしいものです。特に「張果老」がロバに乗った人形は、色彩が素朴ながらも色鮮やかです。「八仙」には実に多くの材料が使われ、形や作り方も様々です。職人の気質、志向、美への追求が表現されています。この「八仙」は仙人の様相はしておらず、農民、村民に似せているところが面白いとされています。

 泥人形(四)

 浚県の泥人形のほとんどが笛のおもちゃになっています。形は、珍獣であったり、人物であったりします。代表的なものは、駿馬、赤い馬、黒い馬、二つの頭を持つ馬で、大変迫力があります。一方、人物は比較的小さく、劇中の登場人物や神話、伝説の登場人物が主なものとなっています。

 中でも「八仙」に登場する人物の泥人形をよく見かけます。とてもカラフルで、いろんな特徴があります。人物の泥人形は、立ったもの、座ったものがあり、静と動が融合し、表情も活き活きしています。人形全体のつくりが活き活きしているので、見る者を決して飽きさせず、作品は迫真に迫り、まさに人形に魂が宿っているかのようです。これらの泥人形の色は大変カラフルで、見る者の目を奪います。登場人物の身分が違うように、それに合わせて、服装や飾り、小道具も違ったものになっています。そして、全体的な色彩感覚は、この地の動物の泥人形とは、また一味違ったものになっています。これらの作品を制作する職人の技は匠なものです。全体的な人形の風情としては、郷土の味わいや、ロマンスに欠けていますが、作品の優秀さでは、決してひけをとりません。

 泥人形(五)

 中国北部河北省の新城県白沟村は、ろくろで作った雄鶏の泥人形が最も有名です。素朴で力強く、中国華北地区の泥人形の典型です。

 この雄鶏は、大、中、小の3種類あり、大きいもので25センチ、小さいもので6センチぐらいです。この雄鶏の作る職人は、高い技術力が求められます。

 デザインはいたってシンプルですが、色鮮やかで、赤と黄色で大きく色を付けていきます。色をつけてない部分は、白いまま残し、黒色を付けます。そして、同じく民間工芸品である切り紙の手法を用います。真紅の冠に、黒い首、いきり立った尻尾は雄鶏の様子を表現しています。最後に、ニスを塗り、光沢を出します。そうすることで、色彩が滑らかになります。

 この雄鶏の泥人形には、吉祥の精神が宿っているのです。

 泥人形(六)

 中国北部の河北省新城県白沟村は、歴史上、大変有名な民芸玩具の里として知られています。ここの泥人形は様々で、一般的な泥人形のほか、戯曲の登場人物の泥人形もあります。多くは、河北地方の戯曲「河北邦子」から生まれたものです。作り方は、2、3人で1つの型を用いて、粘土を型にはめて、体形を形成します。粘土と型の間には、少しの隙間もありません。この方が人形の強度が増すからです。

 ある戯曲の中に「刀馬人」という人物がいます。この人物の人形は、もっぱら室内に飾られる大型の人形で、高さが約60センチもあります。この人形はきわめてシンプルですが、馬に跨り、手には宝刀を持ち、迫力があります。玄関に入ると、玄関の両側に2体のこの人形が迎えてくれます。この人形は飾り物としてだけでなく、魔除けの効果もあると言われています。

 「刀馬人」は、形こそシンプルで、大変素朴なつくりで、精密な模様はありませんが、白の下色に赤、黄色、黒の3色、特に黄色を主としていて、可愛さと趣きがあります。

 操り人形

 操り人形は古代、中国語で「杖頭傀儡」と呼ばれていました。木の棒を縦に操って、劇は完成します。人形の内部は空洞で、目と口が動きます。首は木の棒か竹でつないであります。片手で2体の人形操り、演じられ、中国語で「挙偶」とも呼ばれています。大、中、小の3種類あり、地域によって形も異なり、それぞれの地域の特色が出ています。操り人形の頭は彫刻が施してあり、表面に色を付けます。目は動かすことができ、劇中、人間に近い顔立ちになっています。目が強調されていて、2つの目玉は特に大きく、白目が大きいのです。鼻は平たく、眉毛は弓型で、鼻の下の髭が八の字をかいています。口は上下に開き、顔全体は丸くできています。顔の色はきわめて単純で、白色です。そして、髭と目玉、眉毛などは、黒色で描きます。目玉と鼻筋以外に、口を作るには時間がかかります。その他の部分はいたってシンプルですが、この操り人形は見る者に臨場感を与えます。

 操り人形は中国各地に伝わっています。各地方にそれぞれ特徴があり、その名称も異なります。例えば、北西部では「要耍干子」、南西部の四川では「木脳壳戯」、南部の広東では「托戯」と言います。各地の操り人形は形、顔つき、飾り、彫刻、及び演出が各地方の戯曲と節回しに合わせてあり、ローカル色が強いものとなっています。

 陝西省の刺繍玩具

 中国西北部陜西省では、古くから刺繍のおもちゃが広く伝わっています。その題材は豊富で、ふっくらとした人形や、鳥、魚、カエル、豚、昆虫、果物、獅子、虎、それに十二支などがあります。これらを暖簾にしたり、におい袋やおもちゃにしたりします。この多彩さが、多くの農家の婦人たちを楽しませてくれます。この刺繍のおもちゃの作品は種類が多く、一針ずつ手縫いなので、同じものは二つとしてありません。また、刺繍は精巧かつ自由で、そこには想像力があり、飽きがこない作品ばかりです。色彩もカラフルで、農民の理想と願望が託されています。

 中でも、鳥の刺繍は素朴です。しかし、ペストリーにしてあり、おおらか、かつシンプルなデザインになっています。カラーもいたってシンプルで、主に赤と青の対照を基調としていて、その間に、バラ色、萌黄色、黄緑色が混ざっています。この調和と対照的なカラーが刺繍を多彩なものにしているのです。

 悟空と猪八戒

 中国の民間芸術の中で、悟空と猪八戒の題材にしたものは、多くあります。「西遊記」の中で活躍する、金の如意棒の孫悟空と、鍬をかついだ猪八戒です。民間芸術の猿は、一般的にそのリアルさや動物らしさは追求しません。その代わりに、猿の人間に似たところや、猿の活発さ、滑稽さを求めます。猪八戒の多くは、素朴で、ふっくらとしています。

 民間芸術の中の悟空と猪八戒は、一般的にこのようなものです。悟空は、その体形から見ても、表情や性格から見ても、快活な風格があります。一方、猪八戒は、無邪気な表情の中に、美しさがあります。これらの作品では、悟空と猪八戒の静と動、賢さと無邪気さが見事に表現されています。色彩的には、これと言った模様はなく、大きな布で作るか、小さな布を組み合わせていきます。しかも、シンプルに赤と緑だけですが、とてもカラフルです。足の部分には、竹に糸が通してあるので、人形の四股は動かすことができ、そこにも、活き活き姿と滑稽さを持ちあわせているのです。

 こおろぎひょうたん細工

 こおろぎひょうたん細工も形は、ひょうたん型をしています。ひょうたんの実が成熟すると、収穫し、乾燥させます。こおろぎひょうたん細工は、ひょうたんの形によって、表面をけずる技法が異なります。細工の方法は2種類で、1つは細い線で彫刻していくものと、もうひとつは、花模様を付けるものがあります。細い線で彫刻していくものは、比較的に質のいいひょうたんを選びます。細い線で、精巧に細工を加えますが、その題材は戯曲の物語であったり、神話、伝説、動物、花、虫、魚などだったりします。細い彫刻刀で、流れるような線を彫っていきます。彫刻が終わると、普通は墨や窯の灰を塗りつけ、それが乾かないうちに、ふき取ります。そうすると、彫った部分だけ黒くなり、他の部分は、ひょうたんの原色のままになります。

 花模様のひょうたん細工は、まず、ひょうたん全体を赤く染めます。それから、平たい彫刻刀で彫っていくと、白の豆腐の模様や花模様が現れ、とてもおしゃれです。ひょうたんの表面を彫ったら、てっぺんをナイフで開き、梅の花の形をしたふたを作ります。寒い時期には、その中にコオロギを入れて、飼います。時々聞こえるひょうたんの中のコオロギの鳴き声を心ゆくまで、楽しむことができます。

 こおろぎひょうたん細工には、2種類あると言いましたが、彫刻のひょうたん細工は、細い線からなる人物が活き活きとしています。一方の花模様のひょうたん細工は、菊の花の模様がたいへんおしゃれです。

 打谷人(籾殻取り人形)

 中国の民間では、擦ること、ぶつけること、回転させること、引っ張ることなどの方法を巧みに操って、動くおもちゃや音の出るおもちゃをつくります。例えば、「嘩啦棒槌」、「仙人打鼓」、「空竹」、「皮老虎」、「泥叫叫」などです。写真の中の菅笠をかぶった人形は、収穫に忙しい、木の籾殻取り人形です。

 この人形も中国の民間で巧みに作られた、動く人形の一つです。この人形は、菅笠、頭、体の3つの部分からできています。全体に統一した彫刻が施してあり、四股と体の部分は針金でつないであります。そして、腰の部分が軸になっています。1本の細い針金が体全体につながり、足の下の竹の部分までつながっています。したがって、竹を引っ張ったり、針金の引っ張ったりすると、人形が動き出します。その動作はとても面白い。人形はとても人間的で、絵で五官は描いてありますが、装飾模様はありません。木が持つ材質の色合いで作品を表現しているので、たいへん素朴な人形と言えます。

 棒棒人人形

 中国東部山東省 ーー村は、木の人形で有名な所です。ここの人形に使われる木は、一般的に柳、あるいはアオギリの木です。作品の種類は多く、「龍刀」、「花槍」、「燕車」、「虎頭棒槌」などです。

 人形は典型的な木のおもちゃで、円柱の体が主体となっていて、四股がありません。頭は回転させることができます。人形の内部は空洞ですが、砂が入っているので、動かすとサラサラした音がします。この人形は、丈が高いもの、低いもの、太ったもの、痩せたものがあり、多彩で趣きがあります。色はカラフルに、人形の体の表面に絵を付けていきます。

 作品はシンプルですが、臨場感があります。

 凧あげ

 凧は中国の典型的な民間工芸の一つです。鑑賞用や、遊び、健康づくりの一環になっています。また、民俗、スポーツ、科学技術とも密接な関係があり、民間工芸の多用さを表しています。中国語では、凧揚げは「凧を放つ」と言い、意味的に不幸を「放つ」を連想させます。つまり、「病気よ飛んでけー!」なのです。凧は、中国各地でみられますが、龍以山東灘坊や北京、天津、江蘇の南通などが、もっとも有名です。

 山東省灘坊の凧は、中国のお正月飾りである年画と一緒で、悠久の歴史を持ち、木版年画芸術の影響を受けています。この地方の凧は、優雅で、工芸としても洗練され、活き活きとし、カラフルなものです。また、高く揚げやすく、この地方の特色が強く表れています。

 北京の凧は300年の歴史があります。その中でも、代表的なのが、沙燕凧です。沙燕凧は、扎燕ともよばれています。形は、まるで空に舞う燕のようで、翼を広げ、尻尾は二股になっているので、ちょうど漢字の「大」の字のようです。沙燕凧は、両方の翼に模様が描いてあります。模様として多いのは、コウモリです。中国語でコウモリは、「福」の字と同音なので、コウモリが縁起がよいとされ、凧の模様にも使われるのです。この凧を2つ並べて飛ばすことは、中国語で「比翼双飛」と言い、これまた縁起がよいとされています。一つの凧は青、もう一つが赤で、相互が対照的で美しく、かつ縁起がよいのです。

 儺 戯(鬼やらい、追儺)

 中国の儺戯には長い歴史があります。儺戯は、原始社会の先祖とされるトーテム崇拝の儺祭からなっています。商の時代(紀元前1600――紀元前1046)に一種の固定的に悪鬼や災厄を追い払うために行われる祭りになりました。それは、儺舞(能舞の一種)と呼ばれます。儺舞の発展は中国の地方劇に影響を与えた。

 儺戯は儺舞のもとで発展し、形成された劇です。その特徴は全ての役者が木製の仮面を着け、鬼と神の真似をし、神の成し遂げた仕事を表現することです。

 中国の南西部にある貴州省の東北地区には今でも大量の儺文化遺産が残っています。多くの地方に儺戯の演出があり、徳江県には今でも60以上の儺壇があります。役者は百人もいます。徳江儺戯は素朴で、大まかで、儺戯文化の多くの原始形態を保存していて、祈祷儀式の内容も複雑です。

 貴州儺戯の仮面は一般的に柳や箱柳で作られました。面は、人物の性格を重ん、儺面は正義の神面、凶暴の神面、世俗の面、滑稽やユーモアの道化面、「牛の頭馬の面」という五つに分けられています。正義の神は全て、正直で善良です。図の中の開山仮面は威厳があり、恐ろしく、怪しい。面全体は黒くて、光っています。眼球は突出し、眉はつりあがり、顔つきは凶悪である。その彫刻は荒っぽく、顔つきが素晴らしく、猛猛しくて、神秘な威力と豪放な美が感じられます。

 

>>[装飾類]

 中国の木版年画

 中国の民間年画(中国の伝統的祝日である春節、旧正月に、喜びや吉祥の気分を表すために室内に貼る絵)は長い歴史を持ち、漢の時代に悪魔を取り除くため玄関の門に貼る絵から始まったとされています。

 宋の時代(960年―1279年)に木版刷りの技術が、初めて年画の製作に使われました。この時期、木版刷りによる年画が大量に生産され、市場で売れ筋となったことから、木版年画は宋の時代に生まれ、大きな発展を遂げたとみられています。

 宋の時代から、木版年画の内容は自然を崇拝し、神様を崇拝することから、豊かで、吉祥、喜びを表す内容となったほか、戯曲故事や民俗風情も木版年画作りの時にとり入れられ、農民の感情や理想、現実生活を反映しています。木版年画はイメージ的な意味合いを持つほか、一般的な言語の方式でそれを解読する必要があります。例えば、蝙蝠の蝠という漢字の発音は幸福の福の発音と同じであることから、蝙蝠を描いたら幸せを表します。カササギ(喜鵲)の喜という漢字の発音は喜慶の喜と同じなので、カササギは喜びを表します。木版年画の表現形式は、民間絵画の手法をとるか、あるいは、伝統的図案、有名画家が描いた絵の優れた点をとり入れ、木版刷りの技術を利用して、特定の様式や体裁を形作りました。

 木版年画の製作は、明(1368年―1644年)の後期から清(1368年―1911年)の時代に最盛期を迎え、民衆から喜ばれていた作品が多く創作されました。これらの木版年画は、色鮮やかで、喜びとにぎやかな雰囲気に溢れ、内容が豊富多様でした。人気ある年画には(春牛図)という年画があり、春に田畑を耕す牛という図案で、勤勉でよく働くという意味を成し、(年年有魚)という年画は、太って可愛らしい子供が大きな魚を抱くという図案で、生活が豊かであることを意味し、(五谷豊登)という年画は、大豊作だったことを意味します。

 当時の中国には、地域的特色を持ついくつかの有名な木版年画を作る中心地があり、代表的な民間木版年画は天津楊柳青年画、蘇州桃花塢年画、山東濰県楊家埠年画が挙げられます。清の後期、西側諸国の石印(石刻印刷リトグラフ技術)が中国に伝えられたことから、木版年画が次第に衰えていきました。

 中国の民間切り紙

 中国の伝統的な祝日である春節、旧正月の期間に、窓やドア、壁等に切り紙を貼る昔からの慣わしがあり、祝日の喜びの雰囲気を醸し出します。

 切り紙は、中国で最も流行っている民間芸術の一つ。昔、切り紙は宗教活動や祭祀の儀式でよく使われるものでした。人々は、紙で作った各種動植物や人の姿などの図案の切り紙を死者と一緒に埋め、あるいは葬礼を行う時、焼き払って、生き物の代わりに切り紙が死者の陪葬品となっていました。

 1000年前にさかのぼると、切り紙は装飾や造形技術などに使われていました。史書によると、唐の時代、女性は切り紙を飾り物として頭に貼っていました。12世紀の宋の時代、切り紙を窓や壁、鏡、提灯などに貼り始め、切り紙を造ることを職業とする職人がいました。

 切り紙はハサミで切った手工芸品です。アマチュアにとって、ハサミと紙一枚で切り紙を作るのは難しいとは言えませんが、プロにとって、サイズが異なる各種のハサミと彫刻刀などを利用し、複雑な図案の切り紙を作るのは、そう簡単な作業ではありません。切り紙の作り方では、一枚一枚を切ることがあり、何枚の紙を重ねて一回で切ることもあります。また、簡単の図案の切り紙を直接切ることもでき、複雑な図案の切り紙では、まず、設計された図案を印刷し、その後、サイズが異なる各種の彫刻刀の中から適した彫刻刀を選び、図案に沿って切り紙を刻むため、ほんの少しの間違いも許されません。そうしないと、全部が無駄になります。

 切り紙の題材は豊富で多彩です。花、鳥、虫、魚、動物、植物、伝説上の人物、古典文学作品に出てきた人物、京劇の顔つきなどがあります。各地の人々の生活習慣や審美観が異なっていることから、造られた切り紙もそれぞれの特徴を持っています。例えば、北方の切り紙は豪放で、力に溢れる。南方の切り紙は精巧で細かく美しく、『江南水郷』の特色を持っています。しかし、どれもこれも真に迫っています。

 昔、中国の農村では、農閑期に女性が集まって一緒に切り紙を作る習慣がありました。女の子は切り紙を作る技術を身につけることが要求されていたのです。社会の発展に伴って、切り紙の技術を学ぶ人が少なくなりましたが、一部の人は切り紙を作ることを専門の職業としています。

 現在、中国には、切り紙工芸工場、切り紙芸術協会があり、定期的に切り紙の展示会が開かれ、技術交流が行われています。また、切り紙の作品集も出版されています。切り紙は、一種の飾り物から、独立した芸術に発展し、内容も時代の発展に伴って拡大されています。その他の芸術も切り紙芸術の独特な表現法をとりいれ、連環画、舞台美術、新聞雑誌、さし絵、映画、テレビなどの分野でも切り紙芸術を採用しています。

 山西の年画(旧正月に貼る吉祥やめでたい気分を表す絵)

 山西省の年画は、南派と北派という二つに分けられています。晋(山西省の略称)北の年画は大同、応県を中心としており、窓画と呼ばれる窓に貼る年画を代表としています。窓画が劇の物語を主として、吉祥を代表する獣や、花、果物なども描かれています。晋南の年画には門神や、紙の馬、掛け書画などがあるほかに、チリ払い紙と灯篭の画もよく見られ、芸術の特色を持っている。

 年画は、早くは東漢、六朝の時代にも存在していました。宋の時代、年画は既に盛んになりました。清の康熙、乾隆の時代、年画屋はますます発展し、その頃の年画は歴代の伝統的な年画に基づいて発展していました。現在、版画も年画に属しています。

 年画は一般的に、健康や吉祥、平安を唱えることを内容としています。要するに、年画の内容は幅広く、生活の雰囲気にも溢れ、色鮮やかで、作り方もさまざまで、民間的なロマンチック主義を十分に現しています。

 泥掛虎(泥で作った虎の顔模様の飾り物)

 中国西北部の陝西省凰翔市の泥掛虎は、民族特色の豊かな飾り物です。大きさは6センチから100センチ余りで、泥を紙の鋳型に入れて作ったものです。泥掛虎は薄くて、鮮やかである。

 彩色の掛虎は、白い体に黒い線で書き、いろいろな色彩に染めた後、最後に油を塗りつけます。泥掛虎の模様は、正面が虎の顔で、丸い目、大きな耳と口、突き出た眉、広い額。額には、牡丹(あるいは"王"の漢字)が描かれています。虎の二つの耳と額には、ばねで繋がっている小鳥や、花などが、動きます。頬には石榴や、ブッシュカン、桃の花、牡丹の花などの吉祥な模様が描かれています。石榴は多くの子供を、ブッシュカンは福を、桃の花は魔よけを、牡丹は財産や地位を、それぞれ表しています。これらの模様の構図は対称をなしていて、局部のバランスをとっている。

 図の中の掛虎は、鮮やかで、喜びと吉祥に満ちており、幸福や平安、吉祥を祈る美しい願いを十分に表しています。

 布老虎

 布で作った布老虎は、中国の民間に広く伝わっている玩具の一種です。中国では、虎が悪魔を追い払い、災難を避け、平安、吉祥の象徴だとされ、同時に財産を守ってくれるとされています。中国では、伝統的節句である「端午節」、旧暦の5月5日に子供に布の虎を作り、あるいは雄黄で額に虎の顔や王という漢字を書き、子供が健康で勇敢な人になるよう期待します。布老虎の形は様々で、頭が一つ、二つ、三つ、更に四つを持つ虎、親子虎、枕の形をした布老虎などもあります。

 布老虎は、綿布、絹など様々な材料を用いて作られますが、中は木の屑、米糠などが詰め込まれ、表面は彩色し、刺繍を切り取って貼りつけるなどの手法で、虎の目、口、耳、鼻などを作ります。布老虎は大きな目、大きな口、大きな耳、大きな鼻、大きな尻尾をして、勇ましさをあらわすが、その頭と目、耳,鼻などは人間の子供のような愛らしさです。

 中国では 『端午節』、『春節』、『元宵節』などの節句を過ごす時、布老虎を作るほか、赤ちゃんが生まれた三日目と百日目、一歳と二歳の誕生日を迎えた日にも布老虎を作り、悪魔を追い払い、病気を払い、幸福を祈る慣わしが昔からあります。

 

>>[服飾類]

 雲状の肩飾り

 「雲状の肩飾り」は隋の時代(581~618)以降から服飾として発達し、首を一回りし、肩に飾るものです。清の時代(1644~1911)では、各階層で広く愛用されるようになり、特に花嫁には欠かせない装飾品となりました。その後、お祭りや結婚式などの時に多く着用されるようになりました。この肩飾りは,自分の意のままという意味の「如意」の形をしているものもあれば、帯状のものもあります。裏表一対の布を単位にし、4枚か8枚の肩飾りに仕上げます。その中の一枚一枚には、花鳥草虫や、伝統劇の刺繍が施されています。その作業は長い時間がかかり、手先の技術は精巧さを極めたものです。刺繍の方法は10種類以上もあり、模様もさまざまです。図にある雲状の肩飾りは、中部地方の河南省にあるもので、如意の形が生かされた雲の形をしています。刺繍模様には、人物、花鳥、橋などあります。運針が細かくて、色合いが優雅で、ラインが流れるように美しい。これは民芸品の極致と言えます。

 イー族の刺繍靴

 中国西南部にある少数民族地区で暮らしているイー族の服飾は、地方色が強く、イー族の年齢、伝統的な考え方、美意識、民族風習などによって異なっています。装飾には、刺繍や押し花、はめ込みなどの技法が生かされています。

 図にある先が尖って反り上がった靴は、刺繍が施されており、雲南省で暮らしているイー族の女性のものです。小船の形に似ており、優美です。白い生地に赤、黄色、青の花卉及び独特なデザインが刺繍されており、カラフルで、コントラストがはっきりしています。イー族の娘たちは結婚式で必ず履きます。その意味は、お嫁に行く途中での花嫁の安全、将来の暮らしが永遠に幸福であるように、との祈りが込められています。

 香荷包(香る小物入れあるいは巾着)

 「香荷包」は中国民芸品の一つです。小物入れとしても使われ、アクセサリーとしても使われています。形はいろいろで、内容豊かな民俗の風習が生かされています。旧暦5月5日の端午の節句に、これを飾ると厄払いできるという説があります。その中には、ヨモギなどの漢方の香料が入れられ、蚊を避けると同時に、殺菌効果もあり健康に良いということです。形には、語呂や漢字の意味から縁起のいいものが使われています。例えば、自分の意のままになるという意味の如意、昔のお金、色糸に包まれた粽、桃、蝙蝠、五種類の毒虫を食べているトラ、蜜柑などがあり、いずれも縁起の良い意味が含まれています。

 図にある形はヒキガエルで、周りに干支が刺繍されています。ヒキガエルとは,日本のかぐや姫に当たる嫦娥や月の神話などとかかわっており、商売繁盛をもたらしてくれる「ヒキガエルと戯れている劉海」の伝説とも関係あるものです。干支は中国人の出生にかかわる動物として、縁起のいいものとされています。この「香荷包」は、大きさが手ごろな上、刺繍が緻密に施され、色鮮やかで、動物の姿が生き生きと描かれています。

 山西臨汾刺繍

 中国北部にある山西省臨汾一帯の農村で暮らしている人たちは、衣服、靴、帽子などに刺繍を施すことが多い。たとえば、衿、袖口、スカートの裾、リボン、ショール、子供の帽子、チョッキなどです。日常品のシーツ、カーテン、枕、袋、テーブルクローズなどにもよく刺繍されています。

 図案には、吉祥と幸せを象徴する如意などの題材がよく使われ、鳳凰牡丹、中国語での蝙蝠の語呂合わせからきた四字熟語の「五福捧寿」、子宝に恵まれるという意味の「連生貴子」、長寿という意味の「松鶴延年」などがあります。このほか、伝統劇で演じられる物語や伝説もあります。図にあるのは,玉と戯れる二匹の竜で、極彩色の上、コントラストが鮮明です。二匹の竜は勢いよく天空を舞い、その周りに雲紋、水紋、蝙蝠、8仙人が持つ道具などが配されています。

 「盤ヤオ族」の晴れ着

 「ヤオ族」は中国の西南部で生活している民族。服飾は種類が多く60~70種類もあり、地域によって大きな差異があります。広西チワン族自治区で暮らしている「盤ヤオ族」の衣装は、他の少数民族と違って、老若男女問わず同じ形の衣類を着用しています。

 図にある「ヤオ族」の女性の晴れ着は代表的な装飾です。衽(おくみ)、腰巻、ズボンの裾などに装飾と図案が集中しており、緻密に施されています。  衽の図案は三つの部分からなり、一つは「人公仔」という模様で、人の模様が一直線に並べられている形。次は「14節」という模様で、すなわち14針で一つの図形を刺繍に仕上げてあります。そして「排到哭」という模様で、この言葉の意味は、その仕事が泣けるほど辛いということです。洗練された技や忍耐力で、複雑な四角形、菱形、棒状などの図形が刺繍されます。この技術から盤ヤオ族女性の手の器用さと、美を求める表現心が伺えます。

 ミャオ族

 中国西南部の貴州省で多く暮らしているミャオ族の人々は、異なる様式や風格の服飾を作り上げています。衣類は普段着と晴れ着に分けられ、日常生活では普段着、お祭りや結婚式の際には、花嫁が着る晴れ着です。服装や髪飾りなどは、いずれも技が複雑で、細工も緻密です。

 刺繍に生かされているものは、主に竜、鳥獣、銅太鼓、花卉、蝶々そして自民族歴史などに限られています。図にあるミャオ族の作業は腰巻を刺繍しているところです。白いものをベースにした腰巻に、蝶々とムカデを多数刺繍しており、躍動感に満ちています。模様はムカデをメインとしており、下の三段はそれぞれ蝶々や小型のムカデなどで、ミャオ族の伝統的で典型的な模様です。

 刺繍には、竜、または雄の水牛に乗った人間の模様が最も多く見られ、この民族の勇ましさと生活を楽しむ趣向が表されています。ミャオ族の民間芸術には、竜に跨り、竜を調教する図案があります。これは竜をいたわり怖がらない気持ちが表されています。図にある刺繍は、袖の縁に施された装飾で、蝶々、鳥、人間、竜の体をした人間の頭の模様などがあります。図の真ん中にある大きめの模様は鳳のデザインのようであり、横たわっている人間の形のようであり、魚にも似ています。蝶々の形は誇張され、形より意思表現に重点を置いていることが伺えます。色彩では黒をベースに、赤を主としており、白、緑が使われ、ダイナミックかつ躍動的に表され、ビジュアル的でもあります。

 藍染

 藍染はかつて江南地区で流行っていた伝統的な彩色した布で、手織り綿布を手染してできたものです。伝統的な染料――藍とは、藍草を水浸して発酵させた後にできた青い沈殿物で、それを液体に溶かし染めると鮮やかな藍色に染め上がります。その色は透明感があり、洗えば洗うほど色が濃くなる特徴があり、体にも優しい。昔、藍染は用途が広く、寝具のカバー、衣類、蚊帳、風呂敷、カーテンなどに用いられていました。

 図にある右衽のワンピースは、「上海印花布館」に所蔵され、長い時間が経ったものの、色合いは未だ鮮やかである。子孫が永遠に続くシンボルになっている瓜の模様、尊さを表す牡丹、長寿を表す桃などのモチーフが使われています。白と藍のコントラストは、鮮やかに歴史を映り出しています。これは江南地区の農婦の日常生活で着用している伝統的な身なりで、素朴でシックに見えます。

 現在、藍染は多くの若者と外国人にも喜ばれるようになり、藍染でできたアクセサリーやインテリアはおしゃれと人気を呼んでいます。

 腹あて(胸あて)

 中国の伝統的な衣類で、胸と腹を守るアンダーウェアです。正方形か長方形のものが多く、角と角とが向き合うようにデザインされています。上部は角が切られ、凹んだ円形に縫製されています。下の部分は角のままのものもあれば、円形になっているものもある。日本では「金太郎」と呼ばれているようです。

 飾られている模様は、染めによるものと刺繍によるものが見られます。染めたものは多くは藍染めです。その模様は子供を多く出産するという意味の「連生貴子」、麒麟によって子供が授かるという意味の「麒麟送子」、尊さを表す「牡丹の中を戯れる鳳」、商売繁盛などの意味が含まれれている「蓮と連、魚と余」の語呂合わせの「連年有余」などの縁起のいい図案があります。刺繍ものは、最も普通のもので、模様には民間伝説または習慣がよく使われています。たとえば、商売繁盛を表す「劉海がヒキガエルと遊ぶ」、めでたいことがやってくるという意味の「梅の木にカササギが立っている姿」、鴛鴦夫婦の意味の「河で戯れている鴛鴦」、そして蓮の花やその他の花卉、虫などもあります。これらの図案の多くは魔よけ、厄払い、幸福などをテーマとしています。

 図にある腹あての色合いは赤と緑が主で、刺繍を施されている人物の表情は天真爛漫で、花卉のモチーフはシンプルで素朴にデザインされています。

 長寿の首飾り

 「長寿の首飾り」は昔、子の長寿を願って漢民族が子供に飾る縁起のいいものです。それは,銀製の輪の首飾りと、それに付けた錠の形をしたペンダントからなっています。新生児が満一ヶ月になったときに、男女問わずお祝いとして家族から首に飾られ、結婚の日までつけ続けなければいけません。

 昔、医療レベルが低く、経済も遅れていたことから、早く亡くなる赤ちゃんが多く、親は子供が長生きするように神様の加護を求め、祈っていました。錠は語呂合わせとして「長生きすることや、魔避け」という意味で使われています。この「長寿の錠」の裏の図案には、麒麟が子供を授けてくれるという意味の「麒麟送子」や「長生きする」という意味の「長寿百歳」などがよく見られます。

 図にある長寿の錠の真ん中には、「玉堂富貴」という字が刻まれており、装飾性に富んでいます。この文字の下にあるモチーフは、三国時代(220年-280年)の劉備、張飛、関羽三人が「桃園で義兄弟の契りを結んだ」という故事にならっているという意味です。このほかに囲碁などを指すものや、長寿を表す「鹿と鶴」のモチーフ、「福と寿」の文字などが使われており、いずれも緻密な細工が施されています。錠自体は銀で造られ、丸みと厚みがあって、飾る模様も凝っている。人物が生き生きしており、劉関張の造形は舞台のイメージを生かしています。

 ペー族の服飾

 中国西南部にある雲南省には、約20の少数民族が暮らしており、いずれも織物と刺繍が達者です。染色、織物、縫製、刺繍、絵画などの独特の手法で、ユニークに富んだ、さまざまなモチーフを仕上げています。それはシンプルなものから複雑なもの至るまで自由自在です。雲南の織物刺繍技術は2千年から3千年の歴史があり、今日まで依然として衰えを見せず、スカートやハンカチなどは特に有名です。また、衣服の縁取りの一部または全部に刺繍が施されています。

 大理のペー族よる織物刺繍の文様には花卉が最もよく見られます。たとえば、ネッカチーフ、腰布、リボン、帯、靴などには草花のような植物の模様が多くなっています。

 図にあるのは、ペー族の女性の普段着。髪飾りは白いもので、長い房が付いています。飾られている赤いリボンは未婚者の印。上着は紫色で右斜めになっている衽で、止めボタンは銀でできおり、下は水色の衽になっています。スカートはベルトにだけ刺繍が施されています。これは素朴でシンプルなスーツでもあります。

 靴の敷き皮

 中国の服飾に施された刺繍は一定の意味があり、祝福や未来への憧れが託されています。

 図は靴の敷き皮ですが、新郎の母親が息子の嫁に贈るものです。赤地は新婚の、めでたさを滲み出しており、親の喜びも表しています。長くて丈夫な瓜の蔓があるからこそ、瓜がたくさんなり、大きくなることから、中国では、この模様で、家族の血統が子々孫々まで引き継がれることを象徴しています。このほか、羽ばたいている蝶々を加える図もあります。これは語呂合わせで、蝶々の中国語の発音は長生きする単語の発音と似ているためです。

 この図は伝統的な模様で、瓜と蔓が限りなく続いています。義理の母親の気持ちをよく表しています。この敷き皮は色合いのコントラスト、ラインもしなやかです。模様もリアリティーに満ち、生き生きとしています。

 百家衣

 多くの家から端切れをもらって子供服を作るという慣わしの一種で、典型的な民俗衣装といえます。中国では、子供が元気に育つには、多くの人の手助けが必要で、それには他の人から食事をもらい、他の人の服を着なければなりません。

 百家衣とは、できるだけ多くの家から端切れを集め、服を作ることです。

 図の子供のチョッキは百家衣で、作り方が複雑です。色や素材などが端切れを選び、色とりどりの衣類に変身しました。色合いが明るく、素朴で、暖かさを感じさせてくれます。

 百家衣はチョッキのほかに、長短の綿入れもあります。特に、中国の西北部の陝西、山西、甘粛、河南、華北、山東などで残っている習慣で、南部にもあります。

 荷包(小さな袋または巾着)

 中国の伝統的な入れ物で、「荷包」は欠かせないものです。形として、円形、楕円形、四方形、長方形、桃の形、如意の形、ざくろの形、瓢箪の形、花瓶の形、お金の形、連なっている琴の形などがあります。荷包は大体ベルトに垂らして飾られるか、着物をとめるために使われています。

 荷包に飾られている模様もさまざまである。花卉、鳥獣、草、虫、山水、人物及び縁起言葉、詩歌などがある。形は変化に富んでおり、強い装飾性があります。

 荷包は実用的な面がある一方、深い情けと未来への憧れも含んでいます。図の荷包はシンプルで、瓢箪の形をしています。過剰な装飾を省いており、荷包の表裏に「潔く生まれ、謙虚に生きる」、素直な心で生きようという内容の詩が刺繍されています。瓢箪の凹んだところに穂が飾られ、おしゃれです。

 

>>[神祗类]

 中国民間美術の中の神々(一)

 昔、お堀は住民の安全を守るもので、それを加護する神は「城隍神」として存在しました。歴史を叙述した史書で、城隍神は「水庸神」から変身したと記載されています。また、史書に最初に記録された城隍廟は、紀元239年,東部に建てられた蕪湖の城隍廟です。

 明の時代(1368~1644)の開国皇帝である朱元璋明太祖が城隍神を認め始め、その信仰を広めるのに大いに力を入れました。城隍神は来世を司る神であることから、城隍廟に祭られる城隍像は、両側に裁判官や牛の頭、馬の顔、黒白無常などの鬼が並んでいます。普通廟には、座像の城隍神と、視察に出かける城隍像が常に置かれています。城隍は夏を除く春、秋、冬にそれぞれ一回視察に出ますが、その時はたくさんの家来を連れて行きます。同時に、様々な民俗行事が伴います。図にある城隍神は、長い髯を蓄え、左右に四人の侍者を伴っています。木版画の点描で着色され、躍動感に満ちながらも、落ち着きもあります。

 中国民間美術の中の神々(二)

 仏教で四大天王と言えば、知らない人はいないでしょう。これは大金剛とも言われていますが、仏教に威厳を与えています。仏教の他に、中国では、道教があります。道教にも、四大元帥がいます。これまた、道教に威厳を与えている神々です。

 四大元帥とは、「霊官馬元帥馬天君」(またの名を「華光大帝」、或は「華光天王」)と呼ばれる神様と、「趙元帥公明」、「関元帥関聖帝君」(またの名を「関帝爺関公」)、「温元帥琼」(またの名を「雷琼」)の4人です。「馬元帥」は雪のように白く、「趙元帥」は鉄のように黒く、「関元帥」は血のように赤く、「温元帥」は藍のように青く、それぞれカラーが違います。この四大元帥は、魔除けの神様として、民間の間で強く信仰されています。道教の中で執り行われる法事の儀式は、四大元帥の降臨により、魔除けをするものです。

 写真の中央にいるのは「霊官馬元帥」、つまり「馬王爺」で、火の神様と言われています。この作品は、色紙に版画したものと、手で描いたものが混ざっています。色も形もシンプルですが、構図は巧妙にできています。

 中国民間美術の中の神々(三)

 中国では、商売人が神様を祀るのは普通のことです。商売人たちは、家や、工場、店舗の中に神を祀り、また、日常生活の中で、季節ごとに供養をします。そんな神様の一人、「葯王」は薬屋を営む人々の神様です。「葯王」を供養することで、病気が治るようにするのです。「葯王」には、孫思邈、扁鵲、華侘、邳丹彤、呂洞兵、保生大帝、李時珍などがいます。この神々は、古代の名医たちです。その他にも、三韋(韋慈蔵、韋古道、韋善俊)、眼光娘娘、鉄拐李なども、薬の神様としてあがめられています。

 写真の中の「葯王」は偉氏で、手に薬を持ち、左下の一人が薬の入ったひょうたんを持っています。このように、韋真人氏には左右に2人の子供が仕えています。この題名を「感応葯聖韋真人」と言います。人物の絵は大きさが異なり、韋氏は突出していて、特に顔の部分に特徴があります。黄色の紙に墨で描かれた線は精密で、流れるようです。人物の各部位も非常に整っています。これが北京の典型的な芸術の特色です。

 中国民間美術の中の神々(四)

 中国西南部にある雲南省は少数民族が多く住む地域です。この地方の神様の祀り方は独特です。ここの神様は人間のようであり、かつ神秘的な色合いをもっています。特にパイ族の特色は顕著で、絵には原始的素朴さがあります。絵には特に決まった形式はなく、また細かい線もありません。しかし、供養の方法だけが、その他の地域と比べて複雑なのです。

 大理のパイ族は、かまどの新しい火を取ると、それで香をたき、紙でできたお金を焼き、火の神様におくります。この火の神様は、火龍大帝とか、火塘とか、火徳星君などとよばれています。写真の中の火龍大帝は、帝王の衣装を身にまとい、帝王の人相をしています。顔は端正で、5つに髭を束ね、厳しい表情をしています。神様の周りには、龍が舞い、炎が燃えています。絵の下部には、「火龍大帝」と書かれており、非常に形式的なものです。この絵が大理のパイ族の典型的な風格なのです。

 中国民間美術の中の神々(五)

 土地の神様は中国では、たいへん普及しています。土地の神様の由来は、祠の崇拝から始まり、明の時代(1368-1644年)に盛んになりました。当時、土地の神様を祀る廟がたくさんあったと言われています。また、その名称もたくさんあります。例えば、「鶏毛土地」、「仙人土地」、「矮土地」、「三層土地」、「総土地」、「都土地」などです。土地の神様の祠の種類もたくさんあります。正式な廟以外にも、いくつかの石を積み重ねて作った祠があります。その中に石を置くと、それが土地の神様となるのです。この石の祠にも、ちゃんと門もあります。土地の神様の典型的な様相は、白い顔に、黒い髭、頭には頭巾をかぶり、丸い襟があり、微笑みをたたえています。

 写真の中の土地の神様は、東南部浙省抗州の絵です。神様は郷土の趣と威厳があります。左右には副官を従えています。この絵は版画と手書きの両方で描かれており、主に細かい色合いを使っています。

 中国民間美術の神様(六)

 もともと観世音菩薩と言われ、仏教の四大菩薩の一つです。インドから中国へ伝えられ、中国化された後、民間で最も広く親しまれ、最も多くの人達に信仰されるようなった。仏教と民間信仰が融合されて神霊となりました。唐の時代(618~907)の李世民皇帝の「世」という高貴な字を避けるため、世を抜いて「観音菩薩」と呼ばれるようになった。

 仏教では、仏と菩薩には生と死がなく、男女の区別もない代わりに、人々の求めによって性別を変化することができるとみています。唐時代から、観音菩薩はよく女性と見られるようになった。観音菩薩は福をもたらし、災いを避けることができ、子供を授け守ってくれるとみなされているから、多くの女性に信仰されるようになりました。観音菩薩の号は「大慈大悲救苦救難霊感観世音菩薩」です。図にある観音菩薩は左右に侍者が四人立っています。これは木版画で、着色され、躍動感に溢れています。

 山東省曹県の紙細工

 写真の中の紙細工「截江」は、山東省曹県のお葬式用の紙細工です。「截江」は中国四大古典小説の一つ、「三国志」の中の「趙雲截江奪阿斗、孫遺書退老」の場面です。作者は巧妙に紙を折り、絵付け等の手法で、張飛の勇敢な様を表現しています。写真の中の張飛の顔は怒りを抑えきれない顔をし、手には槍をもち、たいへん複雑な紙細工になっています。

 魯智深は、中国四大古典小説「水滸伝」の中の登場人物で、その性格は勇敢、かつ豪快、悪に立ち向かっていきます。ある時、義理堅い彼は、義勇軍の将軍として、林冲を救いに行きます。写真の中の紙細工は、「水滸伝」の中の第9話である「魯智深大鬧野猪林」です。高衙内の命令に従い、董超と薛覇は林冲を森の中に送る途中、林沖を殺そうとします。魯智深は真っ暗の中、彼を助けに行きます。間一髪というところで、魯智深は木の後ろから現れ、彼を救います。この絵はそんな緊迫した場面を描いています。魯智深は、武器を持ち、薛覇と董超を殺してしまうのでした。

 紙細工

 中国の紙細工芸術は、お葬式の風俗習慣に由来しています。この紙細工工芸は、紙を切って貼る、粘土を使った人形、絵付けなどの技法が一つになったものです。紙細工は民間の間では、「糊紙」、「扎紙」、「扎紙馬」、「扎単子」ともよばれています。これら、紙細工は民間人の信仰心を満足させるものです。

 紙細工の種類は次の4種類があります。1つは神様で、埋葬の時、墓前で焚くものです。2つ目は、男の子や女の子、戯曲の人物、召使などです。3つ目は建築物で、霊安室、門、アーチ型の建物、車などです。4つ目は、食器類やお供え物、おめでたい物や動物です。これらの工芸品はたいへん精密にできています。

 写真の中の紙細工は、武将の姿で、頭には兜をかぶり、鎧を身にまとっています。顔には、長い髭。その姿には威厳があります。もう一つは、赤い服の少年です。首には蓮の花の涎掛けをかけ、上着にも蓮の葉の絵が描かれています。少年は活き活きとし、「哪扎」にとてもよく似ています。

 紙馬版画

 紙馬版画とは、中国民間芸術の版画のことです。木の板に彫刻を施し、それに手で絵を書き加えたものです。印画は、赤と緑を主な色としています。手で色を付ける時は、これと言った決まりはなく、自由に色づけしていくので、たいへんカラフルです。

 東南部にある江浙一帯の紙馬版画は、単純に墨を印画し、色を点けていく、今までの手法を破りました。絵付け、彫刻、印画、カラー印画を一体にしたのです。これにより、版画の芸術性は強烈なものとなりました。この版画技法の改革は、画材にも独自性をもたらしました。それは神様の版画に巧妙に現れています。

 民間では、年画や紙馬に、金庫にお金を入れる絵がよく描かれます。ここには、お金持ちになれるよう願いが込められているのです。写真の中の財務官僚は、福の神にたいへん似ています。頭には、官僚の帽子をかぶり、赤い官僚服を着て、髭を5つに束ねて、その表情は、慈悲に満ちています。左右には男女4人の副官がいます。財務官僚は金庫の前に座り、お金を金庫に入れているところです。机の上には天秤があり、その上には金銀財宝がのせてあり、また、机の下にも金銀財宝がたっぷりです。

 地方劇

 中国西南部貴州省の各地には、地方劇が広く伝わっています。その中でも、比較的に集中しているのが、安順一帯です。毎年、春節の後と小正月の前には、村のいたる所で、世代を超えて伝わってきた、オリジナル劇を見ることができます。人々は、飛び跳ねながら観劇します。これは、魔除けと楽しみの意味があるからです。演目は時代劇です。例えば、「三国志」、「隋唐演義」、「封神榜」、「楊家将」などです。劇の中には、ものすごい様相の人物が登場し、魔除けの力を強調します。人々は、劇を見る時、俳優の顔(地方劇特有のお面)を見ることを楽しみます。武将の顔をした俳優は、兜をかぶり、耳も動くようになっています。その表現方法は大胆で、かつ精巧にできています。特に、眉毛、目、口が特長的です。

 俳優の顔には、文民武将、武将、少将、老将、女将とあり、これを称して中国語では「五色相」と言います。頭の兜と耳は安順の劇の特徴でもあります。男優は対になった龍の模様の兜をかぶりますが、その身分によって龍の数が違うものになっています。その龍は4組から5組、多いもので9組にもなります。

 女優は鳳凰の模様のある兜をかぶります。その模様には「双鳳朝陽」、「鳳穿牡丹」などがあります。他にも、花模様や蜜蜂、蝶などの模様もあります。劇中の黒い顔の武将は、体格がよく、眉毛と目が突出していて、鼻も目立つようにしてあります。強調された目は、大きく、丸く膨らんでいて、大変勇ましいものです。豪放で、勇ましく、威厳がる武将を表現しています。

 跳神

 跳神は、チベット仏教寺院で最も盛大に行われる祭典の一つです。跳神で使用されるお面の多くには、立体で彫刻がほどこされた面、また、平面で布製の面もあります。跳神の面には、仏像、菩薩像、また歴代の高尚な聖人を表しているほか、「イシバ」「ジダバ」といった二大邪法の神、仙人、鬼、妖怪も表現しており、これら神の魂を守るという責務は仏法を守り、仏法修行を行う人でもあります。

 チベットのお面は、だいたい三種類に分けられます。チャン族(跳神)の面、引っ掛ける面、チベット族の芝居のための面があります。写真にある跳神のお面である「仏法を擁護する神」は、「イシバ」の類に属し仏法を護る神の一つでもあります。これら仏法を護る神はとても多く、仏や菩薩の化身となる神々で、造型から見ると、白骨体に草のつるがからみついたり、もしくは、毒蛇がまとわりついていたり、装飾として骸骨や、心臓、血を身にまとっています。写真の仏法を護る神は、顔が深い青色で、三つ目がかっと開かれ、目のふちが真っ赤で、口は開き、歯をむき出しで、舌を巻き、頭の上には五つの骸骨の冠がのっています。チベット族の跳神の面は、善悪を表現しているだけでなく、宗教の内容を描写しています。寺院や宗教の祭典を離れてしまうと、そこに潜むもの、また意義を理解しようがないのです。

 

>>[家居类]

 陶磁器(一)

 中国東部山東省の淄博は、史上重要な磁器産地として民窯(民間の磁器製造窯)が多くあります。

 魚は従来から装飾のテーマとなっており、中国語では「魚」の発音は「余」と同じく、民間で「魚」は富裕を意味し、また子供が多く、生命の継続を象徴しています。

 青花(染付)魚盤は民窯製品であり、造形が素朴重厚で磁胎が厚く、容量も大きい。

 魚盤の紋様図案は手書きで、魚の丸い形は紋様の構成に適しているが、造形、絵付け、着色は製造窯や工匠などにより様々です。

 魚紋様は前期、細密で、鱗模様は網状できちんとしたリアリズムがあり、鱗の色は暗い赤でしたが、後期では豪放率直の性格が濃厚となり、鱗は網状ではなく、写意的な表現が目立ちました。

 図の魚は背中が一筆書きで描かれ、運筆が流暢かつ雄勁です。魚の造形は豪放軽快で包容と爽快の風格が現れています。

 陶磁器(ニ)

 中国の古い時代、陶磁枕は夏季によく見られた睡眠用具であり、嫁入り道具としても使われました。子供用の陶磁枕には「長命枕」という題字があり、魔除けの飾りで「鎮宅」と刻まれたものもある。唐と宋の時代(7世紀―13世紀)以来、陶磁枕の装飾は三彩、紋釉、また陶製白釉のものもあります。

 図の枕は、猫の形で、装飾は簡潔で気軽く、釉色が沈着し、猫の頭部を大々的に描き、猫枕として中国北部河北省、山東省一帯の典型的なものです。

 陶磁器(三)

 図の陶罐は戯曲の人物を描き、中国中部安徽省の界首陶という流派の代表作である。紋様の主題は劇の筋を見せており、土色の赤い胎体を背景に文臣と武将が目立っています。文臣は温和な表情で扇を持って髯を捻り、武将は剣を背負って髯を撫で、頭と足を上げ、情緒が激昂している様子を表現しています。二人ども戯劇人物の格好をして人物像は浮き彫りの感じがあり、曲線は石彫りと同様、巧妙さが感じられます。輪郭の造形が素朴で官窯製陶磁器の精緻さと異なり、質朴な親切さが出てきます。

 陶磁器(四)

 青花磁器(染付け)は元の時代(1206-1368)になって流行し、各地の官窯、民窯は多く製造していました。

 民窯製の青花磁器が普及し、生産量は官窯を上回り、そして素朴と精緻など流派が多く、精緻な上品は官僚商人など富裕層に愛用され、素朴なものは庶民に供給されました。

 民窯製の青花磁器は活発かつ質朴な趣があり、絵画は自然洒脱で豪放であり、主題も多く、社会生活、風習、物語人物、山水、瑞獣珍禽、花卉果蔬、詩詞、開運護符など非常に豊富多彩である。伝説、小説、戯劇の感動的な場面も磁器の装飾に用いられ、創造的で独特なスタイルです。

 図の青花碗は、絵画が刀馬旦(花旦)で造形は簡素かつ上品であり、釉色は玉の如く温和潤沢である。碗の口縁は外へ巻き、厚手の器壁で両面とも装飾されている。絵画人物の刀馬旦は造形で精緻を追求せず、動作情態だけを強調しています。

 陶磁器(五)

 中国東部山東省の陶磁器製造業は悠久な歴史を持ち、淄博地域は特に有名です。陶磁器製造業は山東省の民間で"焼窯"と呼ばれ、民間の陶磁器製造は輪積みの方法を採用し、製品には甕(かめ)、鉢(はち)、缶(かん)、壷(つぼ)、ご飯蒸しなどがあります。

 図の水がめは沂蒙山地域でよく見られる陶甕で、胎体は厚手で表面は粗く、腹部には凸の魚模様が施され、上部は提梁(持ち手)があり、蓋は反転された皿の形をしています。製法は素朴である一方、造形美と張力感が強く感じられ、民衆の美の追求を反映しています。

 陶磁器(六)

 図の青花急須は、形、絵画とも民間風が濃厚であり、提梁(持ち手)の付け位置である肩の部分に、鼻状の突起が四つあります。急須の口は諧謔の感じを持ち、ネックの幾何紋は簡単で主体の絵画は「麒麟送子」です。

 陶磁器(七)

 磁器表面の釉薬は細密で艶のある潤沢さが目立ちます。図の黒釉酒瓶には「五斤」と刻まれ、酒瓶の形は細長くでも荘重美が感じられ、文人の雰囲気が出ています。

 陶磁器(八)

 史上、民窯は官窯の製品更新に絶え間ない影響を与えていました。図の酒壷は、造形が典型的な「玉壷春瓶」であり、河北省地域の磁州窯磁に属します。

 「玉壷春瓶」という造形は宋と元(10世紀―14世紀)の時代から始まり、明と清(14世紀―19世紀)の時代に盛んに焼かれるようになります。

 「玉壷春瓶」の形は口がやや大きく、ネックは細く、腹部が豊満で底は穏健な感じがあり、簡潔の美が出ています。

 陶磁器(九)

 夔竜紋は商(紀元前1600―紀元前1046)の時代の銅器によく見られ、饕餮紋は二つの夔竜紋からなります。元、明、清(13世紀―19世紀)の時代によく見られた竜紋皿は図の夔竜皿に類似しています。

 図の夔竜皿は口縁の下部と底に弦紋、内部は花卉草紋と夔竜紋が画かれています。

 福建省土楼 

 土楼は中国南部福建省南西部の客家人の集中住まいであり、「客家土楼」とも呼ばれます。

 土楼の形は円形、半円形、長方形など数種類あります。円形土楼は、客家の人々が自らの住宅を保護するために建てた封鎖的な土木構造の環状建築であり、三階建てのものが多い。外側の塀は厚さ1メートル、環状の中心部は井戸を掘り、出入り口の正門は1つだけ、1階は台所と食堂で窓はなく、2階は穀物や農具などの倉庫、3階は寝室となっています。

 伝統家具の洗面台

 図の洗面台は木製家具の一種で、装飾の図案は透き彫りの「麒麟送子」で「早くよい子が産まれるように」と祈っています。

 中国伝統家具・箪笥/戸棚

 中国の伝統家具には箱、箪笥などが主体であり、衣裳を収納する箪笥は階段型の長方形が多く、抽斗型のものもあります。

 図の戸棚は明(1368-1644)の時代に富裕層家庭で流行ったもので、中部の抽斗に草竜の浮き彫りが施されています。

 漁籠

 図の漁籠は揚子江下流の水郷・江南地方の産物であり、竹の編物。籠は瓶の形をし、主要部は円形の口で腰に付けられます。

 山西省王家大院 

 明と清(1368-1911)の時代、山西省の富裕商人で大邸宅の建築がブームとなり、同省中部霊石県の王家大院は、その豪華さで目立っています。

 敷地面積1万平方メートルに達する王家大院は堡塁式の建築群であり、内部の家屋は家族メンバーが年齢別、男女別に住みました。

 図の建築は王家大院の紅門堡建築群の望月楼と廊下。

 瓦猫

 中国の住宅は屋根の装飾に工夫し、漢(紀元前206-紀元後220)の時代に、屋根の両端に鴟尾(しび・魚の尾の様な飾り)を据え、防火の意味であります。魚と竜の尾ほか、吉祥を象徴する瑞獣(ずいじゅう)も多くあり、図の陶彫刻瑞獣は雲南省地方の瓦猫です。

 食品木型(きがた)

 明と清(14世紀―19世紀)の時代以来、伝統小麦粉食品の模様が多くなり、小麦粉食品の加工で様々なものが図案化された木型の利用が盛んになり、その最も典型的なものが、中秋節の月餅を作る木型である。

 中秋節(旧暦八月十五日)以外、七夕(旧暦七月七日)、元宵節(旧暦正月十五日)、春節(旧正月)、端午節(端午の節句、旧暦五月五日)及び結婚、誕生祝いなど、「寿」と「喜」という字の模様が付けられた小麦粉食品がよく食べられています。

 図の菓子木型は「福」と「寿」の字の模様で煙台市をはじめ、山東省東部胶東地域でよく見られます。

 山西省喬家大院

 山西省は中国文化発祥地の一つ、中国の住宅文化で同省祁県、霊石県、襄汾市の荘園式邸宅が最も有名です。

 同省中部祁県の喬家堡村にある喬家大院は清の時代の乾隆年間に建築され、堡塁式の大邸宅として周りの壁は高さ10メートルです。内部は中庭を囲む住宅の四合院で、大院は6つ、小院は19、家屋は300間以上あります。

 山西省霊石県文廟の午壁

 中国の伝統住宅は居住のプライバシーを擁護するため、正門の所に「影壁」(えいへき)という目隠しの塀を建てました。史上山西省商人自宅の影壁は豊富な装飾で、その審美価値が高く評価されています。

 図の影壁は、同省霊石県の静昇村にある寺・文廟の前にある午壁で、高さ7メートル、幅10メートル、壁の絵画は鯉のぼり。この文廟は学堂として多くの生徒が育成されたため、村民たちは文廟前の午壁を大変尊敬しています。

 墨壷(墨斗)

 墨壷は伝統大工の道具で長い直線を引くために使用されます。

 墨壷の造形は様々で、桃、魚、竜などの形も用いられ、大工の技も示されています。

 図の墨壷は獅子の形を利用し、巧みな構造となっている。

 羅漢床

 床と榻は寝台としていずれも長い歴史を持ち、出土品には戦国時代(紀元前5世紀―紀元前3世紀)の漆木床があり、一人用の榻は漢(紀元前206-紀元後220)の時代に出現しました。床榻は寝台の総称で、大きいものは床といい、小さいものは榻といいます。

 古い時代に一人座りの"小榻"と、二人用の"坐榻"があり、宋(960―1279)の時代には、寄りかかって座れる大きな榻が出て、明と清(14世紀―19世紀)の時代は三面屏風の榻が出ました。

 図の「三面屏風羅漢床」は竹作りで、耐久的かつ精緻。長年使用された後、漆の色に親切さが感じられます。