第十一章:新疆とチベット

 新疆篇

一、新疆の概況  

 1、新疆の概況

 「新疆」とは新疆ウイグル自治区の略称である。新疆は中国の西北部にあり、ユーラシア大陸の中腹に位置している。その面積は166万k㎡余りで、中国で最も大きい一級行政区である。新疆の西部と北部は8つの国と隣接している。(東から、モンゴル、ロシア連邦、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、アフガニスタン、パキスタン、インド)新疆領内の国境線は5600km余りに達し、中国の中で国境線が最も長く、通商地点が最も多い所だ。国内の5つの少数民族自治区の1つである新疆には、ウイグル族、漢族、カザフ族、回族、キルギス族、モンゴル族などを含む55の民族と13の原住民が暮らしており、総人口は約2230万人で、少数民族が60%を占めている。

 2、地理

 新疆はアジアの中腹にある。アルタイ山脈、天山山脈、崑崙山脈が北から南へと続くその間に、ジュンガル盆地とタリム盆地が挟まれている。天山から南の地区は「南疆」、その北の地区は「北疆」、また、ハミ、トルファン盆地は「東疆」と呼ばれている。

 中国の砂漠の3分の2は新疆にある。その内、タクラマカン砂漠の面積は33万k㎡で、中国最大の砂漠であると同時に、世界第2の流動砂漠だ。また、ジュンガル盆地にあるグルバンチュンギュト砂漠の面積は5万k㎡で、中国第2の砂漠である。新疆の砂漠の下には豊富な石油、天然ガス及び鉱産物資源が埋蔵されている。新疆の町は全てオアシスに位置しており、これらのオアシスは2つの盆地の端に沿って点在し真珠のように分布している。

 新疆は典型的な旱魃地域で年平均降水量は165.6mmであるが、万年雪を頂く山々が連なり、特色のある氷河が形成されていることから天然の「固体ダム」と呼ばれ、氷河の埋蔵量は2.13億㎥に上る。高山での雪溶け水で数多くの河川や溝海が形成され、水域面積は5505k㎡に達する。うち、ボステン湖水域は面積980k㎡で国内最大の淡水湖である。新疆東部のトルファン盆地にあるアイディン湖は海面より154m低く、中国で海抜が最も低い湖だ。タリム盆地を貫くタリム河は長さ約2100kmで中国最長の内陸川である。新疆の一人当たりの水資源の保有量は中国でトップクラスに入る。

 新疆は、気候や気温の差が非常に大きい。アルタイ地区はかつて中国の最低気温を記録したが、トルファン地区はこれまで中国の最高気温をマークしている。 

 3、歴史

 新疆の旧名は西域で、2000年余り前から、統一された多民族国家である中国の一部となっている。紀元前60年、漢王朝が西域都護府を設立したことから、新疆は前漢の直轄地となった。現在のバルハシ湖とパミール地区も当時の西域都護府の管轄範囲に入っている。その後1000年の間、新疆地区は中国中央政府と付属関係になり、中央政府が新疆を管轄する諸行政機関を設置してきた。

 いまから300年余り前の清代の中央政府は、新疆のイリー地区の恵遠城にイリー将軍府を設立して全新疆を支配した。後の1884年、新疆は省クラスの行政区となり、新疆と内地各省との連絡もより緊密になった。

 1949年9月、新疆は平和解放され、同年の10月1日、中華人民共和国の成立によって、他の一級行政区と共に民族自治権を持つ行政区域となった。

 4、エネルギー基地としての新疆

 新疆には、石油、天然ガス、石炭、オイルシェール、ウランの5つの鉱物資源があり、石油、天然ガス、石炭は最も強みを持つ鉱物資源である。石炭資源の予測埋蔵量は2.19兆tで、全国の石炭測埋蔵量の40%。石油の予測埋蔵量は234億tで全国陸地石油資源量の30%、天然ガスの予測埋蔵量は13兆㎥で全国の陸地天然ガス資源量の34%。2004年10月に完成した大型プロジェクト「西気東輸」(西部の天然ガスを東部に輸送する)により、新疆の天然ガスは中国東部にある上海やその周辺地区に輸送されている。

 新疆の水資源は主に氷河の雪水である。その埋蔵量は豊富で、全国の3%、域内の河川は大小合わせて570、地表水の流量は884億㎥、水力資源の理論上の埋蔵量は38178.7兆wで、技術上開発可能量は16565兆w、年間発電量は712.59億kw時に達する。

 内陸部に位置している新疆は、空気が乾燥し雨量が少なく、透き通った大気や晴天に恵まれている。そのため、太陽光資源も豊富で、年間日照時間は2550~3500時間、日照率は60%~80%、年間日光放射総量は5430~6670兆J/k㎡で全国第2位である。

 また、山々に囲まれているので、峡谷の風洞効果と盆地効果によって豊かな風力資源を持つ。風力資源の開発可能量は2000万kw、風力エリアの総面積は15.45万k㎡。潜在的風力は約9100億kw時、発電総出力は18.2億kwと見込まれ、全国第2位。開発可能な9つの風力エリアがあり、ダーバン城風力発電所は中国最大の風力発電所である。

 

二、新疆の経済:

 1、経済の概況

 ここ数年、新疆の経済は急成長を維持している。2010年、新疆のGDPは5000億元を突破し、前年同期比で10.6%増、2011年は6000億元を突破し前年比12%増。2012年のGDPは7530.32億元に上り、前年比12%増、うち、第1次産業は1320.57億元増、第2次産業は3560.75億元、第3次産業は2649億元増となった。常住人口で計算すると1人当たりのGDPは33909元で5372$に当たる。

 多忙なコンテナ輸送(中国人カメラマン 宋聚強)

 2、新疆の工業

 新疆の工業経済は今迅速に発展しており、鉄鋼、石炭、石油、機械、化学、建築資材、紡績、製糖、製紙、製革、タバコなど、整った工業システムがすでに形成されている。また、豊富な資源を活かし、新疆の特色有る製品と強みのある産業が開発されている。現在、新疆にある工業企業数は6万以上で、石油、石炭、冶金、電力、紡績、化学工業、機械、建築資材、食品などの分野に及ぶ2000余りの製品を生産している。2012年、全域の工業成長は2929.90億元増え、石油工業は1386.17億元増となった。

 ここ数年、国家重点エネルギーと資源開発区として新疆は重大な工業プロジェクトを通して経済の急成長を遂げている。2012年、建設中、または企画中の重点工業プロジェクトは387件で、2013年にその数は428件となり、総投資は1.6812兆元に上った。後続プロジェクトは216件で総投資額は12725億元、新規プロジェクトは212件で、総投資額は4087億元になった。これらのプロジェクトは石油化学工業や石炭、石炭発電、石炭化学工業、非鉄金属、鉄鋼、プラント製造などの分野に及び、投資規模が100億元を超えるプロジェクトは40件ある。

 製鋼(ブルガリア人カメラマン ルミアーナ)

 3、新疆の農業

 新疆の資源は非常に豊富であり、日照時間も長く、域内の農業用地は6308万haに上る。耕地面積は411万haで、1人当たりの耕地面積は全国平均レベルの2.1倍に当たる。地元住民は水資源が豊富なところで行われる「オアシス農業」を営んでいる。新疆の農作物は主に、小麦、トウモロコシ、水稲で、経済作物には綿花、甜菜、ホップなどがある。2012年、全域の食糧産出量は1273万tで、綿花の産出量は354万t、植物油の原料は59万t、甜菜は577万tである。新疆は中国最大の綿花の優良種「長絨棉」の生産地であり、その生産量は全国の95%以上で品質もエジプトの「長絨棉」と肩を並べることが出来る。

 新疆には昔から「果物の里」という美称があり、中国で果物の栽培面積が最も広く、品種も多く品質も最も良い。新疆でよく見られる果物には葡萄、メロン、スイカ、リンゴ、梨、杏、桃、ザクロ、サクランボ、無花果、胡桃、パタン杏など、温帯の果物のほとんどがある。その内トルファンの葡萄、ハーミーメロンなどは独特な風味がある他、糖度が非常に高い。2012年、果物の産出量は1222万tになった。

 新疆の農業生産の機械化レベルも高い。2012年末、農業機械の総仕事率は1968万kwで、大中型トラクター34.36万台、小型トラクター33.49万台を保有している。ここ数年、新疆の農業は次第に産業化され、トマト、甜菜、人参、紅花、唐辛子、葡萄、彩棉糸を原料とする一定の規模を持つ産業チェーンがすでに形成されている。

 食べ頃となるアクスリンゴ(マレー人カメラマン ノエルゾエジラワエド•スレーマン)

 4、新疆の牧畜業

 新疆は家畜の種類が多いことから中国の最も重要な牧畜地区の1つとなっている。新疆の天然の草地の総面積は57万k㎡で、農林牧畜用地の総面積の87%を占めている。天然の草地は牧畜業を発展させる最も基本的かつ重要な生産資材であり、家畜飼育数と畜産品生産量の7割は草地に頼っている。昔から馬の産地として知られている他、綿羊を主とする家畜の飼育も盛んである。また、牛、羊、ロバ、ラクダ、ヤクなども多く飼育され、家畜総数は4000万頭余りに達し、羊肉の産出量は中国で2位、2012年末の家畜の飼育総頭数は4333万頭である。

 羊飼い(モンゴル人カメラマン ビンバスロン•ビンバオチム)

 新疆は中国の牧畜業における新品種の開発地であり、新疆細毛羊、中国ベリヌ羊、新疆ラム、新疆褐牛、イリ馬、イリ白豚、新疆黒豚など地元で開発された品種がある。これらの新品種はそれぞれ独特な生物学的特性と高い経済効果を有しており、新疆だけでなく中国の貴重な牧畜資源、そして重要な遺伝子タンクでもある。

 草原風情(マレー人カメラマン ノエルゾエジラワエド•スレーマン)

 5、特色産業

 新疆の特色産業には主に、醸造、ドリンク、乳製品、日常化学用品、香精香料、宝石加工、製糖、民族用品などがある。初期段階の産業規模に達している製品類は、トマト、葡萄酒、ジュース、ホップ、甜菜糖、宝石加工及び民族特産品などで、その他、ミルク酒、馬乳ヨーグルト、ウイグル薬剤を主な原料とする各種の保健食品及びドリンクなども市場では非常に好評だ。

 絨毯加工場の一角(ブルガリア人カメラマン ルミアーナ)

 

三、新疆の民族

 1、多民族の居住地

 新疆は古くから多民族の居住地であり、歴史上多くの集落や民族が暮らしてきた。新疆の民族の歴史は3世紀初(漢代・紀元前206年-西暦220年)に遡る。当時は主として塞、月氏、烏孫、羌、匈奴と漢などの民族があった。

 3世紀から6世紀(魏晋南北朝・西暦220年-589年)は中国の民族大融合の時代であった。各民族の移住や往来が頻繁で、柔然、高車、吐谷渾など多くの古代民族が新疆に入ってきた。6世紀から10世紀(隋唐・西暦581年-907年)、突厥、吐蕃などの古代民族が新疆の歴史に重要な影響を与えた。9世紀に新疆に入った大勢の回鶻人が民族融合を通じて、その後12世紀に新疆入りした一部の契丹人と蒙古人を同化させた。18世紀半ば以降には、清朝政府の派遣により東北からの満族、シベ族、索倫族(ダフール族)等の兵士が新疆に駐屯し、新疆の少数民族に仲間入りした。以降、ロシア族、タタール族なども移住してきた。19世紀末には、ウイグル族、漢族、カザフ族、蒙古族、回族、キルギス族、満族、シベ族、タジク族、ダフール族、ウズベク族、タタール族、ロシア族と計13民族になり、ウイグル族を中心とした多民族居住地が形成された。

 現在、この13の原住民族のほか、42の民族が暮らしている。2012年末に、新疆の総人口は2230万人になり、その内、少数民族の人口は約60%である。

 2、ウイグル族

 ウイグル族は中国北方の古い民族で、「ウイグル」はその自称であり、「団結」或いは「連合」という意味がある。ウイグル族の人口は941万人(2006年現在)で、新疆の主な民族である。ウイグル族は新疆の至るところに分布しているが、その大部分は天山以南のカシュガル、ホータン、及びアクスなどに居住している。ウイグル族には自らの言語と文字がある。

 ウイグル族は老若男女を問わず皆、四角い帽子を被り、男性は向かい襟の長衣の下に花模様の刺繍が入った短いシャツ、女性はワンピースの上に向かい襟の黒いチョッキを着ている。また、女性はイヤリング、ブレスレット、指輪、ネックレスなどをつけ、未婚の若い女性はお下げ髪をしている。しかし、都市部で暮らす者は民族衣装ではなく一般的な洋服を着ている。

 ウイグル族は礼儀正しい民族で、目上の人や友人に会った時は右手を胸に当て、体を前に傾けて挨拶する。また、ウイグル族は客好きな民族としても知られている。

 歌と踊りも得意である。踊りは、軽やかで美しく変化に富んでおり、ウイグル族の楽観的で朗らかな性格を表しているといわれている。

 ウイグル族は主に農業を営み、牧畜業も手がけている。ビジネスにも長けており、昔から手工業が非常に発達していた。絨毯、刺繍、シルク、銅製の壺、ナイフ、民族楽器などを作るのが得意で、これらの製品はいずれも独特で、民族的な風格を備えている。

 3、カザフ族

 新疆には、今143万人(2006年現在)のカザフ族が住んでいる。新疆のカザフ族は主に北部にあるイリーカザフ自治州に集中しており、自らの言語と文字を持っている。

 定住生活を送っている人以外のほとんどは季節によって牧場を移し、水草を求めていく遊牧生活を送っている。

 カザフ族は来客を好み、客人には最高の食事を出す習慣があるので、客が来ると必ず羊を潰してご馳走する。食事の際、主人はまず羊の頭を煮込んだ料理を客に勧める。客は羊の頭を掴みその右頬の肉を切って食べてから羊の耳を切って、主人の子供たちに分けた後、また羊の頭を主人に返すのが礼儀となっている。

 カザフ族は男女を問わず馬術に精通している。若い男性は相撲と狩猟が好きで、祝日には各種の馬術コンクールを催し、技を競い合う。また、若い男女がお互い馬に乗り、女性が男性を追いかけるゲームは人気があり、若者たちの恋人探しのいいチャンスになっている。

 4、キルギス族

 キルギス族の人口はおよそ17万人(2006年現在)で、新疆西部のパミール高原に住んでいる。自らの言葉と文字を持っており、多くが牧畜業に従事する生活を送っている。夏には平原の川辺に住まいを建て、冬には陽が当たる山谷に移動する。キルギス族の家は通常、四角い土造りで天窓が有り、周りには野菜や果物などが植えられている。食生活は非常に豊かで、牛と羊の乳を煮詰めた油(酥油)やチーズなどがある。

 キルギス族の伝統的な衣装といえば、男性は毛氈の帽子、女性は銀のボタンがついた向かい襟の上着だ。未婚の女性は10数本ものお下げをしているが、結婚した後は2本のお下げ髪にする。

 

四、新疆の観光資源

 1、観光資源の概況

 新疆は豊富で独特な観光資源に恵まれている。珍しい自然風景としては、雪山の銀世界と炎天下の盆地、それに砂漠とオアシスを一気に楽しめる。そして歴史にゆかりのある名所旧跡もあれば、異文化が味わえる民族エリアもある。2010年現在、新疆の国際レベルの景勝地と観光モデルエリアは106ヶ所で、5A級観光地は4ヶ所、4A級観光地は7ヶ所である。有名な観光地には天池、カナス湖、ナラティ草原、ボステン湖、サリム湖、バインブルック草原などがある。

 新疆の文化系観光資源も豊かで、5000km余りに及ぶ古代シルクロードにおける南、北、中と3本の主要路線上には数多くの古城、墓、千仏洞、古田遺跡などがある。交河故城、高昌故城、楼蘭遺跡、キジル千仏洞、香妃墓などは国内外に名を馳せており、中外文化交流の証であると同時に、輝かしいシルクロード文化をアピールしている。

 2、カナス湖

 アルタイ密林の奥にある高山湖-カナス湖は、ブルチン県の県庁所在地から150km離れたところにある。「カナス」とはモンゴル語で「峡谷の中の湖」という意味だ。湖面の海抜は1374m、深さ188.5m、水面面積は45.73k㎡である。

 カナス湖の周りには、雪峰が聳え立ち、湖や山の景色に混じってすばらしい景観を見せている。中国唯一の南シベリア系の動植物保護区で、落葉松、赤松、トウヒ、モミなど800種類もの珍しい木々とたくさんのポプラが茂り、39種類の獣類、117種類の鳥類、4種類の両生爬虫類、7種類の魚類と300種類の昆虫類がそれぞれ生息している。また、ここにしか生息していない種類も含まれている。区内は自然環境が美しく森や草原が広がり、川も有れば湖も有るため、観光、自然保護、科学的調査や歴史と文化に非常に高い価値がある。

 3、楼蘭古城

 楼蘭古城は新疆南部のロプ・ノールの北西岸に位置し、昔はシルクロードの要衝だったが、今は砂漠やヤルダン地形、塩殻地に囲まれ荒れ果てて閑散とした地となった。

 史書の記載によると、紀元前2世紀、古代の西域地区で最も栄えていた楼蘭は、その500~600年後に突然姿を消した。楼蘭古城が一体どのように消えていったのかは、長い間、内外の考古学者や科学者の課題となっている。神秘的な環境にある楼蘭は世界の探険家達の憧れの場所だ。

 考古学的結果によると、楼蘭古城は自然の変化と人類による破壊のため河川の流れが変わり、砂嵐に浸食され徐々に沙漠に埋もれていった。敷地面積は12万㎡で、城壁は泥や葦、枝などで出来ていたことが既に解明されている。また当時、川は北西から東南へと城内を流れていた。城内には仏塔やその周辺の建物だけが残っており、古城の周りにはのろし台や穀倉、古墳などの遺跡がある。その古墳からは3800年前のミイラ「楼蘭美女」が出土している。今、古城内には陶器、フェルトやシルクの破片、古代の銅銭や武器など多くの文化財が保存されている。

 4、千仏洞

 新疆地方に延々と続くシルクロードには、世界でも名高い関所、砦、石窟、宿場、古墳とのろし台などが残っている。キジル千仏洞とベゼクリク千仏洞は有名な石窟で、石窟内の彫刻壁画は中国、インド、ペルシアの文化的要素が融合し、独特な芸術的風格を呈している。また、当時の各民族の生産様式と生活様式を表している。

 ベゼクリクとはウイグル語で「山の中腹」という意味で、この千仏洞はトルファン市の東北に位置し、6世紀から14世紀にかけて作られたものである。また壁画の構図は綿密で色彩も素晴らしく、人物はふくよかに描かれ、莫高窟の唐代画風を受け継いだものとされている。石窟内の壁画はひどく破壊されてしまったものの、尚も面積1200㎡あまりに達する壁画が残っている。これはウイグル仏教芸術の中で最も重要で、保存度の良い代表的な芸術の宝庫として、西域地区の歴史、文化と芸術を研究する上での貴重な素材であると公認されている。

 5、トルファン

 新疆中部の低い盆地の中に「火の洲」と呼ばれる所がある。ここは、優れた葡萄が沢山採れる「葡萄溝」で有名になったトルファンである。地下水資源が豊富な独特の地理条件に恵まれていることから、トルファンでは葡萄やスイカなど多くの果物が栽培されている。また、乾燥した気候で雨量が少ないため果物の糖度がかなり高い。こうした美味しい果物を食べることもトルファン観光の大きな楽しみである。

 「城は葡萄の中に、人も葡萄の中に」と言われるように、トルファンは「葡萄の王国」であり、人々の話題に上ってきた。史書によると2000年前から既に葡萄の栽培が始まっていたという。

 トルファンの街を歩いていると、至る所に昔ながらの素晴らしい葡萄園が有り、どの民家でも葡萄棚を見ることができる。そして、特殊な方法で作られる干し葡萄も名産である。通気性のよい土で造られた「蔭房」と呼ばれる建物で、自然の熱風を利用して葡萄を干すと、みずみずしい緑色で少し酸味を帯びた甘い干し葡萄が出来上がり、とても好評である。

 トルファン市政府は観光客のために、「葡萄通り」を区画した。ここには多くの葡萄の道や、葡萄パーク、葡萄博物館もある。葡萄溝の美しい景色を楽しんた観光客は、ここで自分で摘み取った葡萄を味わうことが出来るの。

 6、カシュガル

 カーシーことカシュガルは「シルクロードの真珠」という美称を持ち、長い歴史を持つ文化の町である。

 タリム盆地西端の最も古いオアシスの一つ、カシュガルは「塞外にある江南」と言われ、中国の重要な綿の集散基地の一つでもある。

 カシュガルは豊かな天然資源に恵まれ、独特な自然景観、砂漠観光、氷河探検、高山観光などは全国から観光客を集めている。またカシュガルは長い歴史を持ち多くの文化遺産がある。エイティガール寺院やアパク・ホージャ墓地(香妃の墓)、マハマド・カシュガリ墓地、ヤルカンド・カーンの国の遺跡などはいずれも有名な景勝地で、これらの遺跡からウイグル文化と建築芸術の特徴を知ることができる。

 「カシュガルに行かなければ新疆の魅力は分からない」という言葉が有るように、歴史ある文化、庶民的な風情、独特な自然景観と文化遺産により、カシュガルは新疆地域で最も代表的な観光地となった。

 7、ホータン

 ホータンは古くから「于闐」と言われる西域地区で有名な古国で、ユーラシア大陸の中心部に位置するシルクロード南端の要衝である。各国の使者、商人と旅人が行き交うこの地には各民族の人々が暮らし、東西の文化もぶつかり融合している。

ホータンは北はタクラマカン砂漠に面し、南は崑崙山に接しているため神秘的な雪山と砂漠、奇異な湖と草原、密生した森、のどかな田園といった色々な絶景が見られる。玉石、絹、絨毯と果物が有名で、「玉城」「絹都」「果物の郷」などの美称がある。

 

五、新疆の宗教

 1、多宗教の共存地 

 新疆は歴史上、仏教、景教、マニ教とイスラム教が伝わったため世界で唯一の四大宗教の共存地となった。

 1世紀、仏教が新疆を通ってシルクロード沿いに、中原各地に伝わった。景教とはキリスト教のネストルウス派のことで、6世紀に新疆に入った。考古学者によると古代の新疆は景教が盛んであっただけでなく、景教の中心的存在の一つであった。その後、イスラム教が広まるに連れ景教は新疆から姿を消し、694年にはマニ教が中国に入った。後の19世紀以降、敦煌の莫高窟や新疆のトルファンで多くのマニ教の書物が発見されたが、これはマニ教が中国西北部各地に広がり、その影響が深かったことを物語っている。またイスラム教は10世紀の半ばにシルクロードに沿ってカシュガルに入り、16世紀から17世紀までに、新疆地区の至るところに伝わった。

 20世紀半ばには、新疆の宗教はイスラム教、仏教、道教、カトリック教、キリスト教(新教)、ギリシア正教の6つになった。ウィグル族、カザフ族、回族、ウズベク族、キルギス族、タジク族、タタール族など7つの少数民族はいずれもイスラム教を信仰している。漢族、モンゴル族、シベ族、タフール族の一部は仏教(チベット仏教を含む)を信仰し、漢族の一部は道教、カトリック教とキリスト教を信仰している。ギリシア正教の信者は主にロシア族である。他に、満族やシベ族の一部はシャーマニズムを信仰している。

 2、新疆の教徒と信者

 現在、新疆の各民族には信仰の自由があるため、新疆内には、宗教活動を行う場所が2万ヶ所以上あり、ラマ寺や仏教寺院、キリスト教会、ギリシア正教会など、各民族教徒の需要を充分に満たしている。

 イスラム教を信仰している民族は、ウィグル族、カザフ族、回族など10の民族で、信者の数は1000万人に達し新疆の総人口の56%を占めている。イスラム教の関連活動を行う場所は2万ヶ所以上有り、イスラム教高級教員を養成する経学院や経文学校もある。蒙古族のほとんどはチベット仏教を信仰し、信者は合わせて8万人。そしてチベット仏教寺院の数は40ヶ所。また、キリスト教徒の数は3万人近くで、教会は24ヶ所。更にカトリック教徒は4000人あまりで、その教会と宗教活動の場は25ヵ所となっている。この他、新疆地方の100人あまりのロシア族はギリシャ正教の信者で、2つの教会を持っている。

 新疆内の各級宗教団体は88機関に上っており、ウイグル語、カザフ語、マンダリン語による『クルアーン』『ハディース』『聖書』などが出版されている。1980年代から今に至るまで、新疆のムスリム5万人余りがメッカ巡礼に参加し、政府もそのために関連の医療と保障サービスを提供している。

 宗教者は、国家の諸事務に参与する権利も持っている。一部の愛国宗教者は国と地方の各级政治協商会議や全人代で要職にあり、全人代代表や政治協商会議の委員を務めている。政府は、貧困層の宗教者に生活手当てを給付している。

 庫車王府モスク(イラン人カメラマン ダウード・ジャヘダル・アムラレ)

 

 チベット篇

一、チベットの概況

 1、概況

 チベット自治区は中国に5つある自治区の1つで、略称は「チベット」。チベット族を主体とする民族自治地域である。中国西南部、青海・チベット高原の西南部に位置している。その南と西はミャンマー、インド、ブータン、ネパールなどの国と隣接し、国境線はおよそ3800キロに達している。チベット自治区の面積は122万k㎡余りで、中国の総面積の8分の1を占めている。

 チベット自治区の平均海抜は4000m以上で、青海・チベット高原の主体となり「世界の屋根」とも呼ばれている。第6回国勢調査によれば、チベット自治区の総人口は300.22万余りで、その内チベット族の人口は271.64万に達し総人口の90.48%を占めている。

 2、地理

 青海・チベット高原は独特な自然的特徴が多いことから、世界の高原高山区域では重要な地位を占めており、地球の「第三極」とも呼ばれている。その所以は、主に海抜の高さと気候の寒さにある。青海・チベット高原の平均海抜は4000m以上で、歴史的に見ると、今から最も近い時期に起きた地殻変動によってヒマラヤ山脈が出来たことと密接に関わっている。高原の周りには大きな山脈が聳え立ち、多くの高山が連なっている。このため、海抜4500m以上の中腹地の平均気温は氷点下で、最も暑い時でさえ10度に満たない。

 また、多くの雪線を超える海抜6000mから8000mの高峰が聳え、世界で最も若い高原でありながら、アジアを流れる多くの大河の源となっている。

 3、歴史と現状

 紀元前から青海・チベット高原に住んでいたチベット族の先人は内地の漢民族と連絡を取っていた。長い月日を経て青海・チベット高原に分散していた多くの部落は次第に統一され、現在のチベット族となった。

 7世紀の始め頃、中国内地の中原地区では、300年余り続いた混乱と分裂状態に終止符が打たれ、それと同時にチベット族の英雄であるソンツェンガンポも正式に吐藩王朝を立てて、首都をラサに定めた。ソンツェンガンポは執政期間に唐王朝の進んだ生産技術、政治と文化の成果を多く取り入れ、政治、経済、文化などの分野で唐王朝と極めて友好的な関係を保っていた。

 13世紀半ば、チベット地区は正式に中国領土内に組み入れられ、その後の中国は中央政権が何度も変わったが、チベットはずっと中央政府の管轄下に置かれていた。

 1644年に清王朝が出来た後、チベットでの中央政府の主権行使を更に制度化し法律化させるため、清王朝はチベットに対する管理を強めた。そして1727年にチベットの地方行政を監督するチベット駐在大臣を置いた。

 1949年に中華人民共和国が成立すると中央人民政府は、チベットの歴史と現状に基づきチベットの平和解放を決めた。またチベット人民の希望に基づき民主改革を行い、封建的な農奴制度を廃除した。こうして100万に上る農奴と奴隷は解放され、彼らが売買、譲渡、交換、債務返済に利用されることは無くなり、人身の自由を得た新しい社会の主人公に生まれ変わった。その後数年間の安定した発展を経て、1965年9月にチベット自治区が正式に成立した。

 

二、チベットの民族

 1、概況

 全国の半分以上のチベット族はチベットに住んでおり、他に青海、甘粛、四川、雲南などに分布している。チベット族以外には、漢族、回族、メンバ族、ローバ族、ナシ族、ヌー族、トーロン族など10以上の民族がチベットに居住しており、メンバ族、ローバ族、ナシ族の民族自治体に当たる民族郷もある。

 2、チベット族

 チベット族の言語は、漢・チベット語系チベット・ビルマ語族のチベット語支に属している。チベット族は主に牧畜業に従事しており、チベット族の都市部住民は、手工業、工業、商業などに携わっている。

 宗教はチベット仏教で、民族性は明るく情熱的で、美しい歌や音楽に合わせて踊るのが得意である。

 民族衣装は地域ごとに少し異なるが、基本的に長袖の短いシャツで、男性はその上に大きくたっぷりした長袍を着る。女性は袖無しの長袍を纏い、腰には虹色のエプロンの様な帯を締める。そして男女共々弁髪で、首飾りをする。

 主食は(ツァンバ=ハダカムギやグリンピースを挽いてさらに炒ったもの)で酥油茶(スーヨウ茶=牛や羊の乳を煮つめて取った油で作ったお茶)やミルクティー、ハダカムギ酒を好み、牛や羊の肉を食す。

 その昔、誰かが亡くなると土葬をしていたが、今は天葬、火葬、水葬になった。

 3、メンバ族

 メンバ族は、チベット高原に集まり住んでいる歴史の長い民族で、人口は10561人(2010年第6回国勢調査)、主には、チベット南部の門隅地域に住み、一部は、モート、リンチ、ツォーナーなどの県に分布している。主に農業に従事し、牧畜業、林業、狩猟や手工業にも携わっている。男女共に赤い長衣を纏い、こげ茶色の帽子や黒いラシャ帽を被り、女性はブレスレットやイヤリングをしている。男性はナイフの鞘をアクセサリーとして腰に結んでいる。メンバ族は男女共に酒好きでタバコも呑む。主食は米、トウモロコシ、そばなどである。ほとんどがチベット仏教を信仰しており、一部地域では、原始宗教も信仰している。水葬がほとんどで、土葬、天葬と火葬もある。

 4、ローバ族

 ローバ族はチベット自治区東南部のローユ地区に多く集まり住み、人口は3682人(2010年第6回国勢調査)。独自の言葉はあるが文字は無い。主に農業に従事し竹を材料とした編み物を作っている。

 鬼神を崇拝する人が多く、客の前を歩く行為をタブーとしているため、必ず客の背後を歩かなければならない。男性は普段は毛糸のノースリーブをまとい、クマの皮や藤で作った帽子を被る。女性は短い上着に、少し長めのスカートという服装である。主食はトウモロコシ、米、蕎麦。

 

三、チベットの経済

 1、工業

 昔のチベットの産業といえばチベット絨毯やプル(チベット産毛織物の一種)、エプロン、チベット靴、木製茶碗の製造など伝統的な手工業で、近代的工業というものはなかった。1951年のチベット解放後、特に1959年の民主改革を経てチベットの工業は急成長を果たした。現在、優勢鉱産業、建材業、民族手工業、チベット医薬を基幹産業に、電力、農牧製品加工業、飲食品加工業などを主要産業とした特色ある工業生産システムが形成された。現代商業、観光、飲食サービス、文化娯楽、ITなどの新興産業も迅速に発展してきた。

 2012年、チベットの年間工業成長は55.11億元を達成し、前年比14.7%増となった。チベット医薬業、エネルギー産業、優勢鉱産業、建築業、高原特色食品業、民族手工業などの企業は1982社になり、うち登録資本1億元以上の企業は254社もある。ラサ国家級経済技術開発区、タクツェ工業パークと青海チベット鉄道ナクチュ物流センターにはそれぞれ639社、64社、57社の企業が進出しており、非公有制経済の税収額は計143億元に上り、総税収の93%を占めている。非公有制経済はチベットにおいて雇用の主要ルート、地方財政収入の主要財源、市場繁栄の原動力と資金導入の主要分野になりつつある。

 2、 農業

 チベットは農業と牧畜業を主とし、両者の発展を同じように重視している。また海抜が高く気温が低いことから独特な農業を有し、その地理的な違いと垂直変化は著しい。チベットの栽培業は、主に自然条件が優れた河谷地帯に集中している。栽培作物の品種はとても少なく、主には裸麦で次に、小麦や油菜、えんどう豆、水稲、トウモロコシも幾らか栽培されている。そのうち、作付け面積の広い裸麦は寒さに強いため、海抜2500m~4500mの地区で広く栽培されている。2012年、チベットの年間食糧生産は95万tに達し、13年連続で90万tの大台を維持している。

 3、牧畜業

 牧畜業はチベットの農業経済の主体で、歴史が長く発展の潜在力は大きい。自治区の天然の牧場は8200万ha近くに達し、その内全国の5分の1を占める5600万haあまりは開発可能で、中国の5大牧畜地区の1つとなっている。ここには様々な牧草が有り、またその90%以上が高山湿原や高山の草原、牧場で、牧草の栄養価値も高い。

 チベットの牧畜業はその農業総生産の60%を占め、ヤク、チベット綿羊、チベット山羊が飼育されている。その内、ヤクの数が最も多い。ヤクは高原地帯特有の動物で、厳しい寒さや酸素不足、湿気に耐えられることから「高原の舟」とも言われている。ヤクは肉用や乳用として産出量が高く、荷役としての便利な交通手段でもある。またチベット綿羊は厳しい寒さと乾燥に耐えることができ経済的効果も高いので、広い範囲に渡って多く飼育されている。

 4、林業

 2010年第7回全国森林資源調査の結果によれば、チベット自治区の森林面積は1462.65万haで、全自治区の森林カバー率は12%近くになった。自治区の森林資源は主にヤルツァンプ川の中流下流地域、山南地区、東部の峡谷地帯に分布し多くが原始林である。また、トウヒやモミを主とする亜高山帯針葉樹林が広く分布し、樹木の生長も速く、この点は世界でも稀である。

 チベットはエコ建設を重視しており、森林生態、野生動植物、湿地、砂漠化など各種類の保護区61ヶ所が設立されている。自然保護面積は約4130万haで自治区内の国土面積の34%を占めており、脆弱な高原生態と生活環境は効果的な保護を受けている。現在、チベットの生態はほぼ原生状態を維持しており、中国の環境保護分野において最も優れている地域である。

 4、チベット支援プロジェクト

 世界の屋根と呼ばれるチベットは、歴史的要因と自然環境の制約により、長きに渡り社会発展のスピードが加速することは無かった。1994年、中央政府は第3回チベット活動座談会を開き62件ものチベット建設全国支援プロジェクトの実施を決めた。これらのプロジェクトは農業、牧畜業、林業、エネルギー、交通、郵便、通信などの分野に及んでおり、総投資額は48億6千万元を超えている。現在これらのプロジェクトは既に完成して操業に入っており、経済的にも社会的にも著しい成果を収めた。

 62件のチベット支援プロジェクトは、チベット経済の発展を促すと共に、これまでの数千年の高原住民の生活習慣を大きく変えた。現在、自治区の政府所在地ラサの市民たちは毎日数チャンネルの衛星テレビ番組を楽しんでいる。また、チベット東部の三江流域では、農業の総合開発によって荒原はオアシスへと変貌し、チベット南部の学校は平屋の校舎が数回建てとなり、農牧民の子供たちは、明るい教室で授業を受けている。

 花崗岩が敷かれたポタラ(布達拉)宮前広場では、色鮮やかな旗が風になびいている。毎年多くの観光客がここを訪れ、ポタラ宮はチベット高原の魅力を世界に発信している。

 2010年、中国共産党中央と国務院は第5回チベット作業座談会を開き、チベットに対する中央の特別優遇政策の連続性と安定性を維持するため政策上の支援と資金投入に更に力を入れていくことを強調した。それにより、中央からの投資や特別プロジェクトの投資規模が拡大され、投資の重点も生活水準向上や社会事業、農牧業、インフラ整備に移り始めた。

 

四、チベットの観光資源

 1、ナムツォ

 チベット語で湖のことを「ツォ」という。チベット自治区には湖が1500ヶ所あり、総面積は240k㎡あまりで中国の湖の総面積の3分の1を占めている。高原にある湖は面積が大きいだけでなく、深い湖も多いことから水資源の貯蔵量は豊かである。

 最も大きいのはナムツォで、ここは天の湖、神の湖という意味を持つ有名なチベット仏教の聖地である。ナムツォはラサ市郊外のトーション県とナチュ地区バンゴ県の間に位置している。その東南部には万年雪を被った高い山が有り、北は緩やかな高原の丘陵地帯で広い草原が湖を囲んでいる。ナムツォはまるで巨大な鏡の様で、チベット北部の青空、白い雪、緑色の草花と牧畜民のテントなどを色鮮やかに映し、自然の魅力を生き生きと描いている。

 2、ポタラ宮

 チベット自治区の首府ラサ市西北部の山にあるポタラ宮は世界で海抜が最も高く、最大の冬宮式の建築群である。ポタラ宮は7世紀に建てらた13階建ての建物で、敷地面積は41ha、全てが花崗岩で造られ1000に上る部屋が有る。そして、ダライラマの霊塔と仏殿、歴代のダライラマの法体が保存されている。この霊塔や仏殿には金箔、玉が使われ、その豪華さには目を見張る。中でも最大のダライラマ5世の霊塔の高さは14.85mで金を11.9万両あまり使い、4000個の真珠や多くの珍宝が使われている。歴代のダライラマはこのポタラ宮で暮らし正教の事務を執り、法事もここで行われた。寝殿は最も高い場所にあり、一日中陽が当ることから日光殿ともいわれている。

 1961年、ポタラ宮は中央政府から全国重要文化財に指定された。毎年専用資金が投入され修理工事が行われている。1989年春から1994年夏にかけ、中央政府は5300万元を特別投入してポタラ宮の全面的修復工事を行った。2002年から2009年にかけて、中央政府は1.7億元を投資して技術的改造を中心とした第2期の修復工事を行った。元の面影を維持するために伝統的な材料と工程を使用した他、恒久性と生き生きとした雰囲気を生かした工事を施したことで、1000年以上の歴史を持つこの宮殿はより魅力的な建物に変貌した。

 3、大昭寺と八廓街

 ラサ市の中心部にある大昭寺は、647年にチベットの王であるソンツァンガンポが唐の文成王女を王妃に迎えるため建立したもので、中には仏殿、経堂などがある。仏殿は4階建てで、唐代の建築風格、金箔の銅の瓦屋根、ネパール、インドの建築芸術をも兼ね備えている。殿内の中央には文成王女が長安から持ち帰った釈迦牟尼12歳時の金箔の銅像が陳列され、境内の廊下と殿堂の周りには、文成王女がチベットに嫁入りした時の賑わいと神話を描いた長さ1000m近くの生き生きとしたチベット風の壁画を見ることができる。 

 4、タシルンポ寺

 タシルンポ寺はチベット黄教最大の寺院で、500年余りの歴史を持ち、パンチェン・ラマが宗教活動と政治活動を主に行った場所である。

 タシルンポ寺は山腹に建てられ、50あまりの経堂と200あまりの部屋を持っている。その内、弥勒仏像の有る宮殿は高さ30mで、建物は冠、顔、胸、腰と脚の5階に分けて出来ており、中には高さ26.2mの弥勒仏の銅製坐像が鎮座している。この坐像は、6700万両もの黄金と12万kgの純度の高い銅で作られ、大小さまざまな1400個あまりのダイヤモンド、真珠、琥珀やその他貴重な石で飾られている。

 

五、チベットの教育

 1、概況

 チベット族の小学校から大学までの学費はすべて国庫負担である。この優遇措置の実施はチベット地区だけに限られている。チベットには昔、今のような学校は1つも無く、大学で勉強することも考えられないことだったが、今のチベットには大学が6校有る。2012年、チベットの各種在校生の数は55.7万人で、一人当たりの教育年数は7.3年になった。

 チベットの教育事業を発展させるため、1985年から中央政府は、内地の21の省でチベット族専門のクラスや学校を設立し、チベットのために、大学卒業生など高等学校卒業生を数多く育成した。勿論、学生達の衣食住費と学費は国庫負担である。

 2012年末までにチベットには1006校ものクラスと学校が出来、大学6校、中等技術専門学校6校、高等学校29級、中学校93校、小学校872校となった。小学校への入学率は99.4%、中学校への入学率は98,2%、高校への入学率は60.1%、大学への入学率は23.4%である。チベットでは、区内の教育施設建設を中心に区内外の教育も両立させて、学齢前教育、義務教育、高校教育、職業教育、大学教育と特殊教育を含む特色ある現代民族教育システムが形成された。

 

六、チベットの宗教

 1、チベット仏教とラマ教寺院

 チベット仏教はチベット族、蒙古族などが集まり住む地区で信仰されている。俗にラマ教と呼ばれ、古代インドと中国の内陸地方からチベットに伝わり、地元の古い宗教と融合して誕生したチベットの地方色をもつ仏教である。

 漢民族の仏教徒とインド仏教の影響を受け、チベット仏教の寺院は漢民族の宮殿建築になぞって出来ており、規模が大きく、巧みな彫刻と絵画を特色とする。ラサのポタラ宮、レブン寺と青海のタール寺は古代建築の代表といわれている。

 チベット地区にある寺院では、チベット仏教の神秘的な色彩が重視されている。仏殿は一般に高く奥行きが有り、色鮮やかな布の絵が掛けられ、柱には絨毯が巻かれ、薄暗い室内に神秘的な雰囲気を醸し出している。寺院の外観は色彩的な対照が目立ち、壁は赤く塗られ、その上に白や茶色の装飾用の布が巻かれている。経堂と塔は白く塗られ、窓枠は黒く神秘性を表している。

 2、チベット住民の宗教的風習

 チベット自治区ではほとんどのチベット族、メンバ族、ローバ族、ナシ族の住民などがチベット仏教を信仰し、また多くの庶民がイスラム教とカトリック教を信仰している。現在、チベット自治区では、計1700ヶ所のチベット仏教の活動場所が有り、僧侶の数は約4.6万人。また、イスラム教寺院は4ヶ所で、イスラム教信者は約3000人。このほか、カトリック教会は1ヶ所で信者は700人あまり。各宗教活動は正常に行われ、信者の要求を満たし信仰の自由が十分に尊重されている。

 チベット族の風俗習慣は尊重・保護され、チベット族と他の少数民族はそれぞれ自らの伝統と風俗習慣に基づき暮らし、社会活動に参加する権利と自由がある。彼らの衣食住はその民族の伝統と習慣に沿っており、冠婚葬祭などでは現代文明や健康的な新習慣を汲み入れている。チベットでは一部の伝統的祝日、例えばチベット暦の新年、釈迦を祭るサガダーワ祭、豊作祭りと他の法会などの宗教活動が今でも続き、これらの活動は中国と世界の現代要素を取り入れている。

 

七、チベットの文化

 1、タンカ

 タンカとはチベット文化の特色を持つ色彩豊かな宗教画を布やシルク、紙に描いた掛け軸の様なものである。

 タンカは亜麻、平織りの綿布などを生地にしており、シルクを生地とするものも有るが非常に珍しい。これは文成王女がチベットに入った際に紡績などの生産技術を伝えたことから始まったとされている。タンカの生地から、その生産技術がチベットで普及していったことが分かる。

 タンカの絵に使われる塗料は、濁りの有る鉱物や植物にゼラチンや牛の胆汁を加えた物を原料としている。この原料の配合方は科学的で、且つチベット高原の気候が乾燥していることもあり、タンカは数百年経っても色褪せず描きたてのような瑞々しさを保っている。

 タンカには、社会史の風習が描かれ題材も多く多彩だが、特に宗教的なものが多い。

 2、酥油花

 酥油花は牛乳や羊乳を使った芸術品で、内容は幅広く、仏教物語、釈迦牟尼物語、歴史物語、伝説や故事などがあり、太陽、月と星、花や草木、鳥や獣、楼閣や亭、神と仏、文官武官など様々である。その作り方も巧みで芸術レベルは高い。

 酥油花はその大きさと用途から大小様々な物があるが、供え物の場合には小さく細やかで鮮やかな物が多い。形もそれぞれ違い、めでたさと喜びの気持ちが込められているのが特色である。酥油花は数十から数百が並べられ、その様子は異彩を放っている。

 3、チベット劇

 チベット劇はチベット語で「アラジム」と呼ばれ、仙女という意味を持ち「ラム」とも称される。チベット劇は歴史が長く流派も多い。その表現方も民族色が色濃く「文成王女」「ノーサン王子」などの8つの劇が代表的な作品である。チベット劇の音楽は優雅で美しく、仮面や衣装を使い斬新であり深い文化的基盤があることを物語っている。

 チベット劇は民間の歌や踊りで、それぞれの物語の内容を表す総合的表現芸術である。15世紀からタントンジェブという僧侶が仏教の故事を内容とした自作の簡単な歌舞劇を各地で披露したことがチベット劇の元となった。その後、多くの民間芸人によって受け継がれる中でレベルも上がり、段々と変化していった。現代のチベット劇には脚本、踊り、役による歌の節回しや異なった衣装、仮面が有り、更に楽団による伴奏や、伴奏つきの歌唱もある総合芸術となった。

 チベット劇の民間劇団は各地に有り、常に農村の広場や大きなテントの中などで披露されている。地元の多くの市民の関心を集め、いつも超満員である。