卓球は中国の国技で、中国には多くの世界チャンピオンが誕生しました。この小さなピンポンの球が果たしてきた役割はスポーツの分野に限っていません。数十年前、卓球外交は中国と日本の関係を促し、その後、中米関係を改善することに大きな役割を果たしました。今年は中日卓球友好交流50周年であり、中米卓球外交35周年でもあります。卓球の試合場以外での魅力も再び人々の注目を浴びています。
4月の初め、数十年前の卓球外交に参加したアメリカ卓球代表団の一行は再び中国を訪れ、中国の古い名選手らと親善試合を行いました。昔の忘れがたい思い出について、当時卓球外交の主役だった元世界チャンピオンの庄則棟さんは、「中国とアメリカ間の卓球外交は最初私とアメリカ人選手のコーワンさんから始まったもので、小さな球で地球を動かし、非常に複雑な政治闘争を卓球の試合場で簡単に解決した。これは、中国にとって、中米関係の扉だけではなく、世界の扉も開き、中国の改革開放に基礎を打った」と述べました。
庄則棟さんが言ったのは、1971年に、日本の名古屋で行われた第31回卓球世界選手権大会の時のことです。当時、庄則棟さんとアメリカ人選手のコーワンさんは、互いに記念品をプレゼントしました。これは世界のマスコミの注目の焦点となりました。同年、中国側の招きに応じ、アメリカの卓球代表団は中国を訪れ、新中国を訪れたはじめてのアメリカ人となりました。これは中米関係が改善される前奏ともなりました。翌年、アメリカのニクソン大統領は、中国を訪問し、中米両国は上海で共同コミュニケを発表しました。これで、中米関係は正常化を実現しました。この小さなピンポンの球は中国とアメリカ国民の距離を縮め、中米両国外交分野の難しい局面を打開するにも役立ちました。
実際には、中米卓球外交の前、卓球は中日関係の促進で積極的な役割を果たしました。1956年、中国の卓球チームは東京で行われた第23回卓球世界選手権大会に参加しました。当時、中日両国はまだ国交正常化を実現していませんでしたが、卓球を架け橋として、両国民は民間友好往来を盛んに行いました。
現在、中日関係が冷え込んでおり、この難関をどのように打開するかについて、日本代表団の木村興治団長は、 まさに、木村団長が言ったように、中国の孔令輝選手は日本でよく知られて、日本の福原愛選手も中国で人気があります。卓球を架け橋として、中日両国の若者が中日友好関係を引き続き推進していきます。
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