インドネシアの反対派武装組織・自由アチェ運動は27日アチェの中心地・バンダアチェ市で軍事組織・アチェ国民軍を解散したと発表しました。これは自由アチェ運動がインドネシア政府との30年にわたる武力対立に終止符を打ち、政党組織へと移行することを意味しています。今日の時事解説はこれについてお話しましょう。
昨年末、アチェ地区が大津波に見舞われた後、今年に入ってインドネシア政府と自由アチェ運動は和平交渉を再開し、8月15日にフィンランドの首都・ヘルシンキで和平協定に調印しました。この合意に基づき、独立の主張を放棄した自由アチェ運動は今月31日までに3000人の武装を解除する見込みです。また、兵器を明け渡すと同時に、インドネシア政府は軍と警察をアチェ地区から撤退させることになる」とのことです。
インドネシア政府と自由アチェ運動は以前に合意した停戦合意はいずれも武装解除の問題で食い違いがあったことによって実現しませんでした。従って、今、自由アチェ運動の兵器明け渡しと政府軍撤退の計画が円滑に進むかどうかは和平合意実現のかぎとなりました。
これまで3ヶ月間、インドネシア政府と自由アチェ運動は兵器明け渡しと駐留部隊撤退について過去の相互不信の態度を変えて、最大の誠意を示してきました。今年9月14日に1300人のインドネシア警察は期限を前にしてアチェから撤退し、また、9月15日に自由アチェ運動も合意通りに4段階に分けて武装を解除し始めました。
インドネシアのスシロ大統領は27日にバンダアチェ市で自由アチェ運動の指導者と会見しました。その後、スシロ大統領は「自由アチェ運動が対立をやめ、平和を実現しようとするその思いは誠意のこもったものである。今、政府側はアチェ和平プロセスを順調に進めていかなければならない」との考えを表明しました。これに対し自由アチェ運動のスポークスマンは記者会見で「アチェ国民軍はすでに武装を解除し、軍隊を解散した。元の武装勢力の人々はすでに社会に戻り、アチェの平和と安定に尽力している」とした上で、「ただし自由アチェ運動は解散しない」と強調しました。
アチェはインドネシア国内で資源が最も豊かな省の一つであり、石油と天然ガスの輸出量は全国の3分の一を占めています。しかし、地元住民は長い間貧困に苦しんでいます。1970年代、インドネシア政府が資源密集型経済発展戦略を実施したことによって、資源の収益を分配するかという問題においてアチェと中央政府が対立しました。1976年、自由アチェ運動は資源分配の不均衡と宗教上の違いなどを理由として独立のイスラム国家建設を要求しました。専門家は「自由アチェ運動が最終的に独立の主張を放棄し、武装組織を解散した後、アチェ地区の安定をいかに保っていくか、また、武装勢力の人々の今後の生活をどうするのかなどがアチェ地区の長期的な平和に向けた重要な課題である」と見ています。
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