7月4日、四川を視察中の新潟県長岡市の森民夫市長は、旧山古志村(現・長岡市山古志町)村民からの義捐金20万円を成都市龍門山鎮団山村の村民に手渡しました。森市長はJICA・日本国際協力機関と中国の住宅・都市農村建設省村鎮建設弁公室の共同視察団のメンバーとして四川入りしたものです。
「私たちが地震でたいへんな被害を受けた際、中国を含めた世界各国から色々応援してもらった。それから3年8ヶ月が経ち、現在、私たちは復興したので、その恩返しをしたい」、と森市長はその心情を語りました。
なお、山古志村と団山村を結ばせたきっかけは、いずれの村にも、大地震を耐え抜いた動物の物語があるからです。
山古志村は2004年11月の中越地震では、三匹の子犬を産んだばかりの柴犬が飼い主を助け、すべての村人が避難した後もしぶとく生きつづけていました。そのストーリーは、後に映画・「マリと子犬の物語」になり、日本全国を感動させました。一方、成都市の団山村では、地震発生後36日後に生きていた豚が発見され、全国を驚かせました。
「双方に共通点があるので、できれば今後も交流を続けたい」と森市長は話しました。
関係者は、今回の義捐金の提供をきっかけに、今後、両村の姉妹関係の提携をも視野に入れ、交流を深める方向で模索を続けていくということです。
一方、今回の四川視察について、森市長は、「中国は広いだけあって、新潟以上に被害が広がっている。山間地帯にある農村の被害が、とりわけ大きかった。私たちもそうだったが、四川の皆さんも頑張れば、必ず元通り、さらに、これまで以上の暮らしがあることを信じている」と視察後の感想をこう語りました。
■ 関連背景
団山村の「朱堅強」、大地震を耐え抜いた動物の物語
6月23日、四川大地震の救援活動に参加した空軍関係者は、その部隊が成都市龍門山鎮団山村で瓦礫の整理をした時、地震発生36日後も生きていた豚を助け出した発表しました。なお、この豚は22日午後、成都の建川博物館に引き取られたということです。新華ネットが伝えました。
6月17日午後、十数人からなる救援部隊が団山村の村民・万興明さんの家で瓦礫の整理を手伝っていた時、豚小屋の床に敷かれていた板をめくり、その下で豚が生きていたことが確認しました。この豚は屋根裏から落ちてきた木炭を餌に生き延びたものですが、体重は地震前の150キロからなんと50キロに激減したということです。
この話がインターネットで掲載された後、被災地のみならず、国中の注目を浴びました。「命の奇跡を作り出したこの豚を、なんとしても食卓の肴にしないでほしい」という声が多く送られました。
一方、助け出された豚をなで涙を流した飼い主は、「餌をやった時に、豚が涙が流していたのを見た。これは人間の気持ちが良く分かる豚だ。これからも大事にしたいが、家は地震で半壊したし、今のままでは、飼い続けることは無理だ」と困っていました。
そこで成都の私設博物館・「建川博物館」のハン建川館長はこの話を聞き、豚を引き取ると名乗り出ました。ハン館長は3008元を出して豚を買い、また、飼い主一家の生活補助金として義捐金1万元を寄付しました。
この豚はハン館長に「朱堅強」(「朱」は「豚」と同じ発音で、「堅強」とは「意志が強い」)と名づけられ、現在、建川博物館で羊、牛と一緒に飼育されているということです。(王小燕)
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