聞き手:王小燕、志摩悦二郎
20130723节目第二段
|
1971年春、名古屋で開かれた第31回世界卓球選手権大会に60人あまりからなる中国代表団が出場しました。両国の国交正常化がまだ実現されていない中、多くの困難を突き破っての出場でした。
大会中、中国代表が米国代表に中国訪問を要請したことがきっかけで、中米の外交関係が大きく改善されのちに「ピンポン外交」として注目された動きでした。
この「ピンポン外交」の歴史と背景、そして卓球が絆で結ばれている両国の人々の現状を、ローカルの視点から掘り下げて取材を続けているのが、地元の民放・名古屋テレビのディレクター・村瀬史憲さんです。
学生時代からテレビ番組の制作経験を積んできた村瀬さんが、中途採用で名古屋テレビに入社したのは2005年のことでした。ピンポン外交の舞台を提供した名古屋という土地柄もあり、名古屋テレビと中国とのかかわりも濃厚なものがありました。会社の資料室に保管されている多くの資料を目にし、村瀬さんは入局後、矢継ぎ早に自らの提案による中国題材のドキュメンタリーを制作してきました。
これらの番組には、戦争の歴史を乗り越え、真の意味での「心の和解」の実現に向けて努力してやまない人々の取り組みはもちろん、目先の事象に惑わされずに、月日の試練に耐えうる報道とは何か、といったジャーナリズムそのものに対する深い思考も含まれています。
今回のインタビューは村瀬さんが連休を返上して、取材と撮影で北京に訪れた時に行ったものです。頻繁に中国を訪れている村瀬さんには、何年も費やして探し続けているものがあると言いますが、その探し物とは一体何なのか。また、村瀬さんがドキュメンタリーで追っかけてきたテーマの一つに、名古屋と南京との深いかかわりがあります。ドキュメンタリーの制作を通して視聴者に一番伝えようとするメッセージは何か。ゆっくりとお話を伺っていきます。
折しも、日本では先週末の参院選が終わり、安倍総裁の率いる与党自民党が参院でも主導権を握るようになりました。日本にとって、久しぶりの安定的な政治運営が期待できるようになりましたが、隣国の中国から見れば、平和憲法の改正や歴史認識をめぐる一連の問題の成り行きがこれまで以上に高く注目されています。
中日関係がまたもや重要な節目に差し掛かっている中、村瀬さんの語る「名古屋から見える中国」には啓発的なヒントもたくさん含まれています。詳しくはぜひ番組をお聞きください。
番組の最後は、この1月、名古屋で「名古屋南京友好都市35周年記念音楽会」を開いた紫金草合唱団による組曲「紫金草物語」の一曲「平和の花 紫金草」をお聞きいただきます。(王小燕)
【村瀬史憲(むらせ・ふみのり)さん】
1970年愛知県生まれ。早稲田大学在学中からテレビ報道番組の制作に関わる。
東京の制作会社に約10年間所属し、民放やNHKで報道を中心とした番組の制作に携わる。
2005年、名古屋の民放テレビ局、名古屋テレビに入社。
現在、ニュースデスクを勤める傍ら、報道ドキュメンタリーの制作を続けている。
<最近の主な作品>
『二つの観音像~南京・名古屋 交換された仏像を追う』(2006年3月29日)
『幻の第13話 ~翻弄された中国報道~』(2007年11月14日)
『秘録 ピンポン外交~中日国交正常化の「原点」』(2012年11月12日)
『銀球のメッセージ~ピンポン外交と名古屋~』(2012年12月24日)(メ~テレ50周年特別番組)
© China Radio International.CRI. All Rights Reserved. 16A Shijingshan Road, Beijing, China. 100040 |