4歳からバイオリンを習い始め、音楽の専門学校に進学。その後、バーのステージで歌っていたところ、中央テレビ局のディレクターにスカウトされます。そのディレクターは、『新視聴』というオーディション番組を担当しており、その番組に出演するようすすめたわけです。趙凱はその番組に参加したことがきっかけで、レコード会社と契約を結び、歌手デビューを果たすことになるのです。ここまでの人生はおそろしく順調でしたが、実はこのあと、波乱万丈の人生がはじまります。
趙凱は、2001年、アルバム『布拉図広場(プラトン広場)』でデビューする準備を進めていました。ところがこのファーストアルバムが、レコード会社らのトラブルで、リリースできなくなるという憂き目にあいました。
「オーディション番組に参加した時、初めてテレビの中の自分を見て、いままで感じたことのない興奮が沸いてきました。その勢いで歌手デビューした!と思ったら、いきなりそんなことになってしまって。非常に失望しました。その気持ちはだんだん絶望に変わっていき、最後には、レコード会社と解約しました。その後は、趣味としてやっているカーレースに夢中になり、カーレーサーになりました」(趙凱)
それで、2003年までの2年間は、音楽を捨て、カーレースに専念していたそうです。そんな中、ある日、車を運転しながらラジオを聴いていたとき、転機が訪れました。
「2005年のある日のことです。その日は大雨でした。カーラジオを聞いていたら、DJが、僕のファーストアルバムに収録されている曲『不哭(泣かない)』を紹介しているじゃないですか!DJは、僕がここ2、3年まったく姿を見せていないけれど、個人的に彼の新しい動きを期待しています、って言っていました。それを聞いて、とても感動したんです」(趙凱)
それで、復帰を決意した彼は、1年半の準備期間を経て、ニューアルバム『趙凱』を発表することになりました。
【プロフィール】
出身地:北京
星座:うお座
一番忘れられないこと:歌のコンクールに初めて参加したこと
一番好きな色:ブラック、ホワイト
一番好きな食べ物:牛肉
趣味:カーレース、筋肉トレーニング、サッカー
一番好きな人:両親
一番やりたいこと:個人でコンサートを開くこと
(編集:洋)
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