王小帥(ワン・シャオシュアイ)
1966年1月1日、上海生まれ。
出身校:北京電影学院 監督科
中国第6世代の監督を代表する一人で、インディペンデント映画出身。『十七歳的単車(北京の自転車)』という作品で、2001年第51回ベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞し、海外で高い評価を受けました。『十七歳的単車』は出稼ぎ労働者を主人公にした作品ですが、こうした庶民的な視点が彼の持ち味です。
しかし、王小帥監督は、国家電影局の許可(日本の映倫みたいなもの)のないまま、国際映画祭に出品したため、一時的に国内で映画を発表することを禁じられていました。監督は、当時を振り返って、「あのころは本当に若くて、気まぐれだった。気ままに映画を撮ってはいけないね。いろいろ教えられた。処分を仕方なく受け入れた。2003年、やっと処分解除の知らせをもらった。そのときはほっとした。これから、落ち着いて心置きなく映画を撮れるんだと、その瞬間思った」と話してくれました。
2003年、国内上映禁止処分が解かれた後、王小帥監督は『青紅(シャンハイ・ドリームズ)』という作品を手がけました。この作品はカンヌ映画祭で審査員賞を受賞し、非常に話題を呼びました。また、監督にとって、国内での公開を許された唯一の作品でもあります。
カンヌ受賞の気持ちについて、王小帥監督は「名前を呼ばれたとき、それほど興奮していなかった。以前ベルリンで受賞したとき、興奮しすぎて、"はしゃぎすぎだ"といわれた。今回は、少し興奮の気持ちを抑えながら舞台にあがった。受賞式の日は、ちょうど私の誕生日だった。受賞の瞬間は、自分は本当ににラッキーな人間だなあと思った。すべての努力が報われたという感じだった」と語りました。
話によると、この映画の脚本は、王小帥監督が自らの経験を元に書き下ろしたものだそうです。監督自身の回想録のようなものです。実は、映画の主人公「青紅」と交際していた男の子のモデルとなったのが、若いころの王小帥監督らしいです。自分のほろ苦い初恋を映画にしたわけです。
でも、この映画の撮影は順調とはいえませんでした。クランクアップまで2年ぐらいかかりました。王小帥監督は「貴州ってところは、天候が変わりやすくて、晴れたり曇ったりする。だから、理想の天気になるまで、さんざん待たされた。時間がずいぶんかかったため、制作費もだんだん底を尽き、さらにプロデューサーが交通事故にあって入院して、ほんとうに泣き面にハチって感じだった。でも、スタッフみんなで一丸となって、厳しい状況を乗り越えた」と苦労話を聞かせてくれました。
王小帥監督はいま、チベットを舞台にした映画を製作しているということです。王小帥監督の今後に注目が集まっています。
【主な監督作品】
『冬春的日子(仮題:冬と春の日々)』(1993)
『極度寒冷(仮題:極度の厳寒)』(1997)
『扁担姑娘(仮題:天秤棒を担ぐ女の子)』(1997)
『十七歳的単車(北京の自転車)』(2000)
『二弟(仮題:二番目の弟)』(2003)
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