中国の改革開放にしたがって、海外から中国に来て仕事をする人々が増えています。そして、彼らが中国にいる期間に付き合う一般の中国人の中にも当然、共産党員がいます。では、外国人の目に、共産党員はどう映っているのでしょう。
中華人民共和国建国前の1930年代、アメリカのジャーナリスト、エドガー・スノー氏が、当時の中国共産党の拠点、北西部の陝西省の延安に入り、中国共産党の活動を記録しました。スノー氏は、その著作「赤い星が中国を照らす」の中で共産党のことを次のように述べています。
「数千万人の若者がもつ、長く続いていて衰えない情熱、終始変わることのない願い、それに革命への驚くべき楽観的情緒が、炎のように彼らのすべての活動を貫いている。人前でも、自然の前でも、そして、神の前でも決して失敗を受け入れることはない」
さて、それから70年経った今、当時と大きく事情や変わり、今、中国では多くの外国人が中国人とともに社会で活躍しています。
そのうち、北京のあるインターネット会社に勤めるアメリカ人のビルさんを取り上げましょう。彼は、周りの共産党員をどのようにみているでしょう。
ビルさんは周りの党員に一つの共通した特徴があるといいます。それは、勤勉で、いかなる苦しみにも耐えられるということです。「彼らは、仕事に対する取り組みも真面目で、何事も精一杯やり、難しいことがあっても、退こうとしない」と、ビルが言います。こうした若者と一緒に仕事することをビルさんはとても楽しく思っています。
「うちの会社の党員スタッフは若い人たちばかりです。大学を卒業したばかりの人がほとんどなのですが、しっかりした技術を持っていて、頭もいいですね。彼らのような共産党員と一緒に仕事ができて、とてもうれしく思います」
43歳になるビルさんは、中国にこれまで10年住んでいます。アメリカの労働者の家庭に生まれたビルさんは、家族も10数人いて、それぞれの政治的主張も違うそうです。そのため、家族はそれぞれの主張を語り、時折、口論になることもあります。ビルさんは共産党のことをこのように言うそうです。「スノー氏が共産党の拠点、延安へ行ったとき、毛沢東は43歳で、周恩来総理もわずか37歳だった、こうした若い人々が、共産党の初代のリーダーとなって、一丸となって、前向きに、全国各地の若者たちをひきつけていった。そして、これらの若者が、奇跡を作り上げ、ついに新中国を建設したのだ。このような前向きで、最後までやりぬく精神は、現代まで確かに伝わっている」。
北京のあるメディアに勤めているフランス人の若い女性、イレンナさんは、中国共産党の党員に対する印象がちょっとした事で作られたといいます。
「私達はメディア関係ですから、よく夜勤があるでしょう。年上の女性スタッフは、私に対して、とても親切にしてくれます。彼女は仕事もちゃんとしています。おしゃべりの時に、北京での暮らしに困ることがないかと、聞いてくれます。私だけではない。彼女はほかのスタッフに対しても熱心です。あとで知ったのですが、彼女は党員だったのです」
スーポさんはモンゴルからの留学生で、北京の人民大学で外交学を勉強しています。北京にきて5年になるスーポさんは、同級生や先生、友人に数多くの党員がいます。
スーポさんは中国に来たばかりのころ、中国語があまりできず、外交学という奥深い学問を勉強するのは、大変なことでした。そんな彼を手伝ってくれたのは、党員の同級生だったとスーポさんが言います。丁寧に教えてくれたおかげで、勉強もかなり順調に進んだそうです。
中国で、こんな共に助け合える友人ができたことが、留学生活でもっともうれしいことだそうです。
「私個人の経験ですが、共産党の党員の方は、真心をもって人に付き合うようです。それから、常に公平の理念を頭においています。この国の与党の党員がこのような人々であることは、とてもいいことだと思います」
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