海南島は赤道に程近い南中国海に浮かぶ、台湾についで中国で二番目に大きい島です。四季を通じて温暖で、工場があまりなく、空気が新鮮なことで、大陸部から引っ越して、この島で老後を送る人々が少なくありません。これらの人々のほとんどは島のリゾート区や、街中に住んでいます。しかし、ある人は、農村部にあえてやってきて、農業を始める人がいます。まもなく70歳になる陳蘇厚さんもその一人です。便利な都市部での生活をやめ、田舎に来た理由は何なのか。そして見知らぬ地での老後生活はうまくいくのか。陳さんにお話を伺ってみましょう。
海南島の北西部、臨高県は一面に平野が広がり、農業に適した地域です。ここの松梅村に住むのが陳蘇厚さんです。陳さんは村で農業を営む170世帯の農家と同じように、自宅の庭を畑にして、青梗菜や大根、豆などの野菜を植えています。
実はこの陳さんは、かつて海南省の副省長(日本の副知事にあたる)を務めたことがあります。2003年に定年退職した陳蘇厚さんは奥さんと一緒に、故郷の臨高県松梅村にUターンしました。なぜ便利な街で暮らしをやめて、農村に帰ることにしたのでしょう。
「都市に住むか、それとも田舎に住むか、これは老後生活にとって大きな選択でした。定年退職まではずっと農業に関係する仕事をしていて、農家の人々と付き合ってきましたから、農業、そして、農家の人々に親近感を持っています。都会に住み続けるよりも、農村に帰って、農家の人々と仲良く付き合うほうが私に気楽だと感じたのです。」
現在、海南島には、陳さんと同じように、かつて比較的高いポストについていた定年退職者がおよそ1500人います。そのほとんどは医療施設も整い、生活が非常に便利なリゾート区に集中してすんでいますが、陳さんは恵まれた条件をあえて捨て、田舎に戻りました。
もともとは田舎で静かに老後を送ろうと考えていた陳さん。しかしだんだん考えが変わってきたといいます。陳さんの住む松梅村は、辺鄙で貧しいところで、村人のほとんどは稲作で生計を立て、一人当たりの年間収入は1000元前後。ある村人が言うに「他地域の娘さんが嫁いで来たくないところ」なのだそうです。このような農村の状況を何とか変えられないのか・・陳さんは次第にそう考えるようになりました。
「田舎はまだ貧しいです。昔は農業開発を担当していました。貧困を撲滅する仕事もやっていました。自分にも責任があると感じていました。何とかできないのでしょうか、問題解決に少しでも力になればと思っていました。」
陳さんは地元の農業生産のやり方を見ていて、栽培品種が単一であることが一番の問題であると気づきました。村人はこれまでずっと、米と芋の二種類を植えていました。産出量は多いですが、年によって収穫量に差がありますし、単価も安く、経済効果はあまり高くありません。村では、食料を自給する「食糧作物」の栽培ばかりで、高い利益を得るための「経済作物」をあまり重視してこなかったのです。
そこで、陳さんは、隣村に習って、比較的、経済価値の高いバナナを植えることを提案しました。しかし、これまでのやり方に慣れていた住民はこれをなかなか受け入れなかったのです。バナナ栽培を軌道に乗せるため、陳さんは、何よりも住民の意識を変えることが大事だと考えました。
陳さんは村人の考え方を変えようと工夫してきました。みんなを集めて、バナナ栽培のメリットを説明したり、栽培法の勉強にバナナ栽培拠点へ村人を連れて行ったりしました。村人の一人は次のように語りました。
「陳さんが手配してくれて、隣のバナナ栽培拠点を見学できました。そして、栽培テストを村でやりました。」
そして、陳さんはそれぞれの農家を訪れ、バナナの栽培を薦めた結果、7世帯の農家が「バナナ合作社」を組みました。資金が足りませんから、陳さんは銀行に直談判し、貸付を頼みました。銀行側は渋っていましたが、陳さんは精一杯説得を続けました。農業科学技術院の専門家を招くから栽培技術的には問題ない、そして、自ら出荷のルートを持っているから販売も問題ないと粘り強く説得を続けたのです。
一年後、この「バナナ合作社」は40万元の利益を上げ、6万元の貸付金を返済したほか、30数万元の利益をあげました。一世帯当たり5万元、これまでの村のやり方では考えられない金額です。
多くの村人が合作社に加わりたいと考え、去年末までに、この村のすべての農家がバナナ栽培を始め、早くも地元では「バナナの村」として知られるようになったのです。
静かにゆったりと田舎で老後を過ごす・・これが元々陳さんが描いていた老後の人生でした。でも、かつて副省長として辣腕をふるっていた陳さんは、農村の状況をほうっておくことができなかったのでしょう。副省長時代に養った人々を引っ張っていく力、人間的な魅力、そして人脈をフルに生かして、今度は自分の故郷のために精一杯取り組んだことが、農村の状況を変えることにつながったわけです。
中国では、今、都会で働いていた人たちが退職し、地方の農村に移り住むケースが見られます。もちろん、農村でのんびりと老後を・・という人生を送る人もいますが、陳さんのように、これまで都会で養ってきた能力を様々な面で都会より立ち遅れている田舎で生かしていこうとする人たちも多くいます。
これからの農村を元気にしていくのは、こんな定年退職者の皆さんなのかもしれません。
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