皆さんは王羲之をご存知ですね。彼は東晋時代、つまり西暦304年から439年生きた書道家で、日本でも知られる中国書道界を代表するの一人ですね。この話は「王羲之と餃子」というものです。
王羲之は若いときから学問と書道に励み、ついには優れた書道家となったが、かつては進歩が早くうぬぼれた一時期があったという。若いころ、王羲之の書道は多くの人に知られるようになり、書道というと若く期待されるものとして彼の名が上がったので、王羲之はいつも鼻が高かったという。
と、ある日、彼が町を歩いていると、ある餃子屋らしい店には多くの客がいて、それはにぎやかだった。そこで王羲之が店の前に来ると、入り口の両側には「対聯」が張ってあり、「此処に来れば通り過ぎることはできず、味を知るとまた常に来る」という意味のことが書かれてある。
「ふむ!うまいこというわい。しかし、字が下手だな。私に比べりゃあどうにもならん」と思い、店の餃子がうまいといってもあの「対聯」はうぬぼれすぎだと見くびって、この店の餃子の味はどんなものか試そうという気になって店に入った。
中は、客でごった返し、店のものが忙しくできた餃子を出したり、後片付けしたりし、客たちはそれぞれ座ってできあがった餃子をうまそうに食べている。これを見た王羲之、「おお!商売繁盛!」と思わす声を出し、あいている席に座って注文を聞きにきた店の小者に小銭をわたし、自分も餃子を皿いっぱいにほしいと頼んだ。そして店の窓際の方をみると、そこには大きな鍋にはお湯が沸いている。、そして戸を大きく開いた隣の間から白い餃子が家鴨の雛が飛んできたように次から次へと鍋にポトン、ポトンと入ってくる。
「ほほっ!」と王羲之がそれに見とれていると自分が注文した真っ白でかわいい餃子が湯気を立てて運ばれてきた。
「うん!うまそうだ。さっそくいただくか!」
王羲之は箸を取って熱々の餃子をパクリ。すると、皮はぷりぷりしており、具は新鮮な肉と野菜を混ぜたものらしく、口の中でうまみがたっぷり出てきて、かめばかむほど味がしみでる。
「こりゃあうまい。」と王羲之は夢中になり、瞬く間に大きな皿に三十個はあったと思われる餃子をあれよあれよとまもなく腹に収めてしまった。
「これはいい。こんなうまい餃子は生まれて初めてだ。もっと食いたいがもう腹には入らんな」と笑った王羲之、こんなうまい餃子を一体誰が作っているのだろうと知りたくなったので、店の小者を呼んだ。
「ちょっと聞くが。この餃子は誰が作ったのかね?」
「ヘイ、お客人。この餃子は店の主が作ったもので、いまは横の間で餃子作ってあの鍋に放り込んでおります」
これを聞いた王羲之は、珍しがり、一体どんな人物なのか見てやろうと思って席を立ち、外へ出てから壁を回り、餃子を作っているというこの店のとなりの間へと入って行くと、なんと白髪頭の元気そうなおばあさんが、一人で餃子の皮を作り、それに具を入れて包み、隣の窓際にすえつけてあるお湯が沸いた鍋に次から次へと外れることなく放り込んでいるではないか!これに驚いた王羲之が敬意を覚えて思わず歩み寄り話しかけた。
「これはこれは、あなたのようなすばらしい腕をお持ちになるまではどのぐらいかかりましょうか?」
これを聞いたばあさんは、相手の顔を一目見てにやりと笑い答えた。
「そうじゃのう!まずは五十年はかかろう」
この話方が一般庶民でないようなので王羲之はさらに驚く。
「このようにすばらしい餃子を作られるのに、店の門の対聯の字はいまいちでございますなあ」
これにはばあさん、手を休めずぎょろりと王羲之をにらんでから仕事を続けながら言う。
「ふん!お客さんはご存じないんですね。実はあの若造の王羲之に人をやって一度頼んだのですが、そう簡単には書いてくれそうにないんですよ。少し名が売れたからってうぬぼれることはないでしょう。字がいくらかうまくなったからといってももうこの道五十年のわたしの腕にかないますかねえ。上には上があるということを忘れてはいけないね」
これを聞いた王羲之は、いつかのことを思い出し、顔を真っ赤にしてその場で自分がそのうぬぼれている王羲之だと白状し、ばあさんに一礼すると筆と硯を持ってこさせ、かの「対聯」と同じ文句を心を込めて書き、ばあさんにまた一礼してわたした。
これを見たばあさん、意味ありげに大きくうなずき、ニコニコしていた。
こうしてこの店は王羲之の対聯を加えてますます繁盛したそうな。
そして王羲之もこの時から書道と学問にいっそう励み、のちに書聖とまで言わせる人となったわい。はいおしまい!
では来週のこの時間でまたおあいいたしましょう。
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