バンポー寨では、ハニ族の女性・韓英さんと出会いました。
彼女は25歳の若さですが、村の将来の発展や、ハニ族の民族の文化の発揚というスケールの大きいことを常に考えて、行動をしているしっかりものです。
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韓英さん | この村で生まれ育った彼女は、なまりのない綺麗な共通語で話していました。
「私たち少数民族のことを、いつも純朴と言われています。しかし、その裏をとってみれば、私たちはまだ「遅れている」ということです。私たちは良い資源を持っているにも関わらず、それを上手に利用していない。また、外部との接触があまりにも少ないことによる閉塞感があるのです。」
町部の同世代の若者とは違い、韓英さんは責任感の強い女性です。彼女は村で生まれ育ち、学校を卒業後、町に出稼ぎに行きましたが、最近また、生まれ故郷にUターンしました。最近、辺境の少数民族地域でも、大都会に憧れて、どんどん都市部に行きたがる傾向がありますが、彼女は何故みなと逆の方向を歩んだのか、興味深く話を伺いました。
「1998年、私は高校三年生でした。村では同年代の友人で、高校教育を受けた人が少なく、私はとてもラッキーでした。私の学んだ高校は、町部の観光専門高校でした。卒業する3ヶ月前に、ある旅行社で実習するチャンスに恵まれ、そのまま正式採用されました。」
韓英さんの最初の仕事はシーサンパンナー州の州都・景洪市で、ツアー客にビデオ撮影する仕事でした。彼女の働きぶりが評価され、その後、様々なチャンスにも恵まれ、昨年下半期、ふるさとに帰る前までは、景洪市最大のデパートでカウンターマネージャにまで昇進しました。
しかし、順調に町部での仕事をこなしている彼女は、何故村に戻りたいと決意したかと言いますと、一つは製茶産業が繁盛していることと関係があるが、もう一つは何よりも彼女には大きな夢があったからです。
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韓英さんの飲食店・「ハニ人家」 | 「ふるさとにこそ、私のやりたいこと、自分の夢を実現させるスペースがあったからです。私は村で二つのことをやりたいのます。一つは製茶産業の発展。これには父の影響が強いのです。父はお茶が好きで、私たちの村は世界でも名の知られたお茶の産地だと教えてくれました。もう一つは、ハニ族の伝統的な飲食文化の発揚です。同じシーサンパンナーに暮らしている民族ですが、ダイ族は飲食文化の宣伝に長けていて、北京などの大都市にダイ料理は名を馳せています。しかし、ハニ族はこの点まだ努力が足りません。」
このような韓英さんは、一ヶ月前に、村の入り口に大きなレストランを開業しました。道路に面している一等地に、二階建てのハニ族の伝統的な木と茅葺の家屋に、「ハニ人家」と大きな看板を掲げています。村の若者たちを従業員に雇い、村外から腕のいいコックさんを招いて、大々的にレストランを開店しています。
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韓英さんの飲食店・「ハニ人家」2 | 一方、お茶についても、彼女は知識を深めています。昨年末、村の二人の代表の一人として、彼女は省都・昆明で行われた茶の品質定めをする最初の審査員資格研修を受けました。
今後の村の製茶産業の発展について、彼女ははっきりとした考えを持っています。
「まずは、お茶の原材料の供給元ということから脱却して、独自のトレンドマークを登録すること。これは今年中にやり遂げる予定です。その後、市場の開拓が大事となってきます。目標は全国の大都市で販売拠点を設けることですが、当面の急務は、業務展開に必要な営業の分かる人材の養成です。村で、教育を受けたことのある人間として、私は村中の若者をリードして、ふるさとの資源を生かして、ふるさと建設に貢献する責任があると感じています。」
頑張れ、韓英さん!
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