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西園寺一晃氏 日中友好協会全国本部参与

2008-12-21 23:09:03     cri    

国民感情こそ、両国の友好関係のカギ

 2008年は中日平和友好条約締結30周年の年。両国が国交回復前から、中日友好事業に力を捧げてきた友好人士に西園寺公一氏とそのご家族がいます。
 一晃さんは西園寺公一氏の長男として生まれ、1958年、中学3年から10年間北京で過ごし、中国を「第二の故郷」とみています。日本に帰国後、ジャーナリストとして活躍。父親からバトンを引き継ぎ、「日中友好」と「戦略的互恵関係」の重要性を訴え続けています。
 半世紀にわたる中国との付き合いを通して、今、そして今後の中日関係をどのように見ているのか、CRIの劉非記者が日本でインタビューしました。

■日本は歴史の総括ができていない

Q 今日までの中日関係をどのように振り返りますか。途中、波風が起きた時もありましたが…

A 私は1958年、両親に連れられて北京に移住しました。その後、北京で10年間暮らしました。言い換えれば、私は中国の水を10年間飲んで、中国の米を10年間食べて、つまり私にとって中国は第二の故郷。ですから、私にとって中日関係に何とか役に立つのかがひとつの恩返しと思います。この間、ずっと日中関係が山あり谷あり、いろな波風が立って、いいときもあって、悪いときもあったのですね。私がいろいろ見て、日中関係が波風が立ったのには、いくつかの原因があると思います。

 ひとつは、日中には2000年の長い交流の歴史があり、その中に短いだが大変不幸の時代があった。日本の軍国主義は中国を侵略して大変な損害をもたらした。その時代の総括ができていない。きちんとできていない。日本の古い世代は自分で体験しているから、そういうことが分かっています。認識が正しいかどうか別にして、そういうことが分かっていると思います。ですから、たくさんの人が戦争はいやだと、戦争は絶対いやだと、中国や朝鮮半島などアジアの人に迷惑をかけたと同時に、日本人も傷ついたわけです。ですから、大部分の古い世代の人は戦争が絶対いやだと思っているのです。問題は新しい世代の人です。中国の人はよく歴史認識という問題を言います。歴史認識というのは、ある意味では日本の若い世代には当てはまらない。というのは、歴史認識というのはこういう歴史があったと、これを知ってそれをどう理解するか、認識するかという問題ですよね。もともと知らないから、あるいは教育されていない、何があったのかほとんどの人があまりよく知らない。だから、歴史認識以前の問題なのです。だから、二つの問題があるのです。ひとつはあの時代、あの戦争に対する認識が間違っていること、もうひとつは歴史を知らないことです。

Q 振り返ってみると、歴史を総括する機会はあったようにも思いますが…

A 歴史の流れの中で、日本はかつての侵略戦争を徹底的に反省、総括する機会がいくつかあったが、総括はできませんでした。

 一つは終戦のときで、そのとき日本は本当に徹底的に総括すべきだったのです。ところが冷戦中で、アメリカの政策で日本は利用された。そして、戦争の問題があやふやになったのです。

 二つ目の機会は、日中国交正常化のときです。日中国交正常化のときに、日本は徹底して戦争を総括しなければならなかった。ところが、これは中国側にも原因があるのです。というのは、当時中国の対外戦略にとって、一番大事なのは中国が唯一合法的な政権だということを認めることです。それが最大の問題です。その結果、日本の戦争の総括問題は曖昧になった。

 三つ目の機会は日中平和友好条約締結のとき。平和友好ですからかつての問題をきちんとしなければならない。それは当然です。ところが、当時中国の最大の問題はソ連です。中国は安全保障のためにアメリカと関係改善して、ソ連と対抗する。つまり、平和友好条約の最大の問題は反覇権条項を入れるかどうかということです。ですから、相対的に日本の戦争責任などがすり抜けた。

 四つ目の機会は中国が改革開放を実施したときです。そのとき、中国にとって最大の課題は改革開放を行い、経済を豊かにすることでした。そのためには、もちろん、日本とかアメリカとか仲を良くして経済交流を行うことです。その中で、相対的に戦争の責任がまたすり抜けた。私が言いたいのは、こういう問題は日本自身がきちんと総括しなければならないということです。それは当然です。しかし、同時に国際的な状況とか中国の状況が影響しているのです。

■メディアにも責任がある

Q 歴史の総括ができなかった原因をどう見ていますか。

A まずは、世代交代です。日本の場合はさっき言ったように、かつての戦争をあまり教えていない、知らない世代をどんどん育ててきた。ほとんど知らない世代になった。だから余計問題があるのです。正確に言えば、日本にはかつての戦争を美化したり、あるいは改ざんしたり、そういうような人がもちろんいるけど、本当に少数だと思う。問題はたくさんの人が知らない。知らないのは間違っているよりもっと悪いかもしれない。これが二つ目の原因だと思います。

 三つ目の原因は双方のメディアの問題です。やはり相手の国を正しく知るというのはとても重要です。どんな国でも、いい点もあるし、悪い点もある。先進的な部分があれば、遅れいている部分もある。いい面も悪い面も、両方を客観的に報道するというのはなかなか難しい。今まで、中国のメディアも日本のメディアも、その面が欠けていると思う。中国のメディアを別にして、日本のメディアを言いますと、最近目立つのは中国の悪い部分、影の部分だけを掘り出して報道するのが多すぎる。一方、中国は対外宣伝が下手すぎる。例えば、最近の話ですがね。日本の大部分の人が別に中国に悪意を持っていない人を含めて、「チベットはかわいそうだと、中国が抑圧して自由も奪われてかわいそうだ」と、そう思っていますよ。これは中国とダライ・ラマの国際宣伝戦で中国が負けたということですよ。この間、私は朝日新聞に行き、若い記者と議論したわけです。若い記者は「チベット人はかわいそう、ダライ・ラマは民主主義や人権などを主張してすばらしいね」と言ってきました。そして、私は若い人に「かつてダライ・ラマは農奴制の頂点にいた人ですよ」と言うと、若い人は「えっ」と驚いて、「そんなこと全然知らなかった」と答えました。要するに、その若い記者は50年前、チベットがどういう状況にあったのか、あの時ダライ・ラマはどういう階級に属しているのか、どういうことをやっていたのか、まったく知らない。中国政府はこういう基本的ことを世界のみんなに教えなければならない。

■ 国民感情こそ日中友好の前提

Q 健全な中日関係を構築する上で、何が大事だとお考えですか。

A 日中の首脳会談やハイレベル会談では、「政治と経済は車の両輪だ」とよく言われています。実はこういう言い方が不十分なのだと思います。政治は大変重要で、経済も大変重要ですが、もう一つ重要なのは国民感情だと思います。

 もし国民感情がよくなければ、政治関係も経済関係も非常に不安定です。今までは経済関係は基本的によかった。今は政治関係が正常化され、良くなってきた。だから日中関係が良くなったとは言えないと思う。それは国民感情の面で、つまり政治関係が良くなったからと言って、必ずすぐに国民感情が良くなるとは限らない。特に小泉政権時代の5年半、もちろん日本側の原因で国民感情は悪くなってきた。あの時、日本側のメディアがよくつかったのは「反日」という言葉と「嫌中」という言葉です。お互いの国民感情はうんと悪くなった。今は政治関係が正常化され、良くってきた。だからと言って、国民感情は根本的には好転していない。

 私は北京の大学で講座を持っているので、中国の若者と接触する機会があります。対日感情は2,3年前に比べて非常に冷静で、だいぶ良くなった。正直に言って、日本の国民感情はまだあまり良くなっていない。国民感情を良くするには時間がかかるわけです。これは政治家が命令してできるわけではない。ですから各分野の民間交流を続けなければらない。胡錦涛国家主席のこの面でのやり方はとても柔軟だと思います。両国の民間交流、特に青少年交流をとても重要視して、少し時間をかけてもやっていこうと。胡錦涛主席の考え方がとても客観的、正しいと思ったのは、歴史認識問題が大変重要だとしていることで、これは変わっていせんね。しかし、様々な交流をやって国民感情を良くしていく中で、解決していくと考えいます。もし歴史認識を日中友好の前提であるとすると、これは非常に難しくなります。 

 最近、歴史認識の問題だけでなく、様々な問題があります。たとえば冷凍餃子など食の安全問題があります。長い目で見ればこれはたいしたものではないと思う。どの国でもそういう時期を通るのです。日本もそうであった。日本は70年代にひどい公害が出て、ひどい食品の安全問題も出て苦しんだけど、それを少しずつ解決して、少しずつ賢くなってきた。だから、日本の人は少し冷静になって、こういう時期だからこそ日本の経験を中国に教える。日本のノウハウを中国に持っていく。考えれば、これは中国のためにも日本のためにもなる。

■「戦略的互恵関係」は決してスローガンでない

Q 両国関係の今後をどのように展望しますか。

A どういう考えであろうと、決まっていることはひとつ。日本は中国がいなくては生きていけないことです。中国も日本がなければ持続的な発展が難しい。相互依存関係がそこまでに来ている。日本の国民の中に中国の衣類とか中国の食材とかがなかったら、生きていけない。そういう関係になった。日本の経済は50年代の終わりから発展してきて、60年代に大きくなり、70年代から高度成長の時期に入り、80年代ピークに達し、そして、バブルになる。90年代初めからバブルが崩壊して10年間日本は不景気になり、失われた10年でした。日本人はものすごく自信を失いました。10年経って、日本の経済は復活した。その原因は二つあります。

 ひとつは企業の努力、リストラとか色々なことをやって企業をスリムにし、無駄を省いて、それで再生した

 二つ目は中国大陸から「神風」が吹いた。これが最大の原因です。つまり、中国の大発展、市場の爆発というのは、日本の物をたくさん買うこと。日本経済はそれで復活した。それ以降、戦後ずっと続いていた日米関係は変わった。政治も経済も含めて、中国は日本にとって最大の貿易相手国になった。04年には香港を含めれば中国は日本にとって第一の相手国です。しかし、07年には香港もマカオも除いても、最大の貿易相手になった。ですから、おそらく相互依存関係の中で日本が中国に依存する部分は大きいと思います。しかし、中国経済のこれからの持続的な発展のために日本の協力が絶対必要です。

 例えば、今中国で一番深刻になっているのは環境問題です。もうひとつは省エネの問題です。50年代の日本はエネルギーの主役は石炭でした。ところが日本が成長を始めているときに、エネルギー革命が起こりました。つまり主役は石油になった。日本には石油がないから、非常に効率的に使わなければならない。そこで日本では、省エネ技術がものすごく発展してきました。

 ひとつの例を挙げますと、一つの物を作るために、石油換算にして、これを作ると日本が100トンの石油が必要とすると、アメリカが同じものを作ると280トンです。韓国や台湾が300トン、中国が850トンです。これだけ効率が違うのです。中国は今の効率をうんと良くしていけば、中国にとってすごくいいことです。石油の節約にもなるし、環境問題にもつながる。ですから、日本から学ぶべきで、また、日本はこの技術を中国に渡すべきです。そういうふうにお互い助け合いができる。これは中日両国だけでなく、世界にとってもいいことです。

 だが、日本が一方的にそれを中国に教えるというのではなく、それは日本にとって大きなビジネスチャンスです。だから、お互いに利益があることなのです。仲良くして、お互いの国民感情が良くなれば協力はもっとスムーズに進む。だから今、日中両国に必要な交流や協力が本当にスムーズに進むかどうかの決定的な鍵は国民感情だと思う。今の日中関係というのは例えば「日中友好」とか、「戦略的互恵関係」とかいったスローガンではなく、本当にそうしなければお互いに生きていけない。あるいはお互いに発展していないか。

Q 「戦略的互恵関係」の構築に向けてご提言を。

A まずは、経済関係や協力関係を強固なものにして、それから、政治関係の正常化を図ることです。政治関係の正常化は何かというと、お互いに政治体制も国情も違うから矛盾が出てきます。絶対に出る。矛盾が出ないことはありえない。問題は矛盾が出たときに、それを拡大させないこと。できるだけ解決する方向で話し合っていく。そういうシステムができたかどうかということです。もうひとつは非常に忍耐強い、長い目で見た国民同士の友好、国民感情というものを良い方向に持っていく。そういう努力をしなければならない。(聞き手:劉非)

【プロフィール】

                                                   
 1942年東京生まれ
 中日国交回復前の民間大使・西園寺公一氏の長男
 1958年、一家で北京に渡り、10年間滞在
 1966年北京大学卒業。日本に帰国後、朝日新聞社に入社し、調査研究室勤務
 2002年10月定年退職
 現在、日中友好協会全国本部参与
    北京大学日本研究センター在外研究員、工学院大学孔子学院学院長

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