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先週に続いて、日本国外務省中国課の元課長・浅井基文さんにお話を伺います。今回は、1983年11月、中国の指導者・胡躍邦総書記訪日の舞台裏のお話です。
日本外務省在職中は対中国のみならず、在イギリスの大使館などでも活躍していた浅井さんは1990年に、外務省を辞職しました。その後、大学で教べんをとるようになり、学者としての人生を歩み始めました。どうしてそのような決断をしたのか。教壇に立った際、外交官として活躍していた経験がどのように生かされたのか、また学生への指導ではどのようなことを心掛けてきたのでしょうか。
更に、2005年から広島で6年間仕事をしていた浅井さんが、人類初の被爆地である広島で感じたことは何か。今後、日本の向かうべき道についての考え方は?詳しくはどうぞ番組をお聞きください。
【プロフィール】
浅井基文(あさい・もとふみ)さん
1941年7月 愛知県生れ
1963年3月 東京大学法学部中退
1963年4月 外務省入省
国内勤務 アジア局、条約局など 、国際協定課長(78年~80年)
中国課長(83年~85年)、地域政策課長(85年~86年)
外国勤務 オーストラリア(71年~73年)、ソ連(73年~75年)
中国(80年~83年)、イギリス(86年~87年)
1988年4月 文部省出向(東京大学教養学部教授)
1990年3月 外務省辞職
1990年4月 日本大学法学部教授
1992年4月 明治学院大学国際学部教授
2005年4月 広島市立大学広島平和研究所所長(2011年3月31日退職)
2013年11月 「村山首相談話を継承し発展させる会」共同代表
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