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名古屋から南京へ、平和のメッセージ・坂東弘美さん

2014-12-09 21:35:32     cri    

 

 今年もまもなく南京大虐殺が起きた12月13日を迎えます。77年前の出来事です。

 本日のお客様は、南京市と姉妹都市の名古屋市からの坂東弘美さんです。

 2012年2月、南京からの友好訪問団に向かって、「いわゆる"南京事件"はなかったことだと思う」という名古屋市長の発言がありました。坂東さんはそれに憤慨して、有志と共に「河村市長『南京虐殺否定』発言を撤回させる会」を立ち上げ、合同代表になり、精力的に活動をしています。

 「河村市長とは同じ年です」という坂東さん。父親は1937年の第2次上海事変(淞滬抗戦)に兵士として参加し、その後、徒歩で上海から南京へ向かい、大虐殺が起きたあくる日(12月14日)に南京に入りました。自らが目にした生き地獄の様子を子どもや孫に伝えたく、坂東さんの父親は生前、手記を残しました。その手記を読んだ坂東さんは、「同じ戦争を体験していた世代の父親の子として、どうして戦争認識がここまで違うのか。徳をもって怨みに報いるという中国人の考え方があることを河村市長に知らせたい」と言います。

 河村市長の問題発言を受け、公式行事が途絶えた名古屋市と南京市の交流は2013年、友好都市提携35周年を迎えました。「もう民間でやるしかない」と有志たちと立ち上がり、平和記念コンサート実行委員会の委員長を引き受けて、行事を成功させました。

 主旨に賛同して名古屋市民、名古屋在住の中国人アーティストだけでなく、北は宮城、南は広島まで、日本全国から90人もの人が集まりました。南京戦に参加し、侵略軍の一員でありながら、心に深い傷を負った兵士の懺悔の実話を基に作られた歌、「紫金草物語」。この歌は、紫金草合唱団の有志の皆さんによって、日本全国、そして世界各地で歌い続けられています。

 名古屋にはまた、戦時中、南京から運ばれてきた千手観音像が平和公園の平和堂におさめられています。安置された当時、名古屋ではラジオで実況放送したほど注目されましたが、現在は「拝まれもせず、お水をあげられず、お花も捧げられずに、ただ真っ暗闇の中でひっそりと朽ち果てている」ようだと言います。この観音像をめぐり、どのような悲しい物語があったのでしょうか。

 体は小柄ですが、父親の代で解決できなかった戦後処理のこと、心の和解に通じる道を一生懸命に探っている坂東さん。かくも平和に対し、深く、深く思いを寄せている理由は何か。マイクを向けてみました。

 最後に、坂東弘美さんが実行委員の1人として準備を進めている、南京大虐殺にまつわる映画の上映会をご案内します。近くにお住まいの方、たまたま、その前後、名古屋にいらっしゃる方、ぜひご覧ください。

 2015年2月14日(土) 愛知・名古屋・イーブルなごやホール

 ◎14時00分~

 ◎名古屋市営名城線 東別院 1番出口 徒歩 3分

 ◎お問い合わせ:ジョン・ラーべ〜南京のシンドラー〜上映名古屋実行委員会

 メールアドレス:bdk@dp.u-netsurf.ne.jp

 電話:090-6087-8656 (平山)

 Web:http://www.kawamura-nankin.com/

【プロフィール】

坂東弘美(ばんどう・ひろみ)さん

1947年名古屋市生まれ(67歳)
名古屋テレビタレントセンター・八期生
中京テレビをふり出しに、アナウンサーの仕事を続け、今はフリーランスとして活躍
中国安徽省での日本語教師、
CRI・中国国際放送局での日本語専門家(1999~2001年)を経て、
帰国後は小中学校で絵本『むらさき花だいこん』などの朗読を通して、平和の大切さを伝える活動をしている。
2012年から、河村市長「南京虐殺否定」発言を撤回させる会・共同代表

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