「この文化祭をやることによって、お前は何を得られるんだ?」
大学のある部署の書記が、私に聞きました。彼は文化祭の実行役として、私と一緒に奔走してくれた人です。この日も、夜6時過ぎに出向いた自治区の外事弁から、車で戻る途中でした。
「うーん、形に残るものは何もない。経験とか、思い出とか、学生が一生懸命日本語を勉強してくれるようになるとか・・・、そういうことかなあ」
私の答えを聞いて、彼は驚いた顔をしました。そして彼が次に言った言葉を、私はきっと忘れないでしょう。
「今度の文化祭に、大使館なんかが満足するかは、どうでもいい。でも、お前のことは満足させてやるから、安心しろ!」
11月3日(土)4日(日)の2日間、寧夏らしい青空の下、配属先である寧夏大学にて「中日文化友好交流祭」を開催しました。学生が主体的に参加して、日本人と交流できるような文化祭。楽しめて、かつ自然に日本を感じ、学べるような文化祭。それが、私の理想でした。
学生たちには、「みんなはお客様じゃなくて、主役だよ。見ているだけじゃなくて、自分でやるんだよ」と伝え、浴衣の着付け・カレー作り・コンテストの司会や採点などの係を、割り振りました。
彼らは、私の準備不足なところを助けて、本当によく頑張ってくれました。
日本料理を食べに行きたいのを我慢して、一生懸命浴衣を着付けていた子。
2年生の自分には司会なんて無理だと断りたかったけど、私が困っているのを察して引き受けてくれた子。
彼らの頑張りと笑顔が、どれほど私を助けてくれたでしょう。
助けてくれたのは、学生だけではありません。
寧夏の日系企業3社からは、資金・物資援助の上に、歌コンテストの審査員や日本語コーナーへの参加などをしていただくことができました。
銀川の協力隊員2人は、1年生と一緒に踊ったソーラン節にはじまり、ポスターのデザインやスピーチコンテストの審査員など、いつも力になってくれました。
更には、内蒙古から遊びに来てくれた協力隊員、「学生参加型の実演を」というお願いに快く応じてくださった剣道や華道の先生方、スケジュールを調整して全日程参加してくださった国際交流基金やJICAの方、奥様ぐるみで助けてくださった島根大学の先生方。
もちろん、あの書記も全力で応援してくれました。忙しい身ながら会場に張り付いて、突発的な事態(賞状が用意されていないとか、日本語コーナーの場所が会議で使用中だとか)に対応してくれました。
多くの人に支えられて駆け抜けた2日間でした。
文化祭が終わった今、「あの文化祭から、何を得られたのだろう?」と考えます。
学生たちは、いろいろな知識・日本人の友人・大きな催しをやったという経験や思い出などを得た、と言ってくれます。
では、私は何を得られたのでしょう?
経験、思い出、学生が日本語学習に前向きになったこと。ソーラン節が踊れるようになったこと。いろいろな人たちとの人間関係や信頼関係。もっとありそうなのに、もっと大きなものを得たような気がするのに、うまく表現できません。
1ヶ月後、日本に帰るまでには、「こんなものを得たよ」と伝えられるようになっているでしょうか。(2007年11月)
文:寧夏大学外国語学院 日本語教師 石田若菜
平成17年度2次隊
出所:人民網日本語版
参考文章:http://www.people.ne.jp/Volunteer.aspx
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