【北京冬季五輪 注目の選手②】ショートトラック・武大靖

2022-01-24 15:50  CRI

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 第24回オリンピック冬季競技大会は2022年2月4日から20日まで、第13回パラリンピック冬季競技大会は3月4日から13日までの日程で、北京市、延慶区と河北省張家口市の3つのエリアを舞台にそれぞれ開催されます。このコーナーでは、冬季オリンピックとパラリンピックの注目の中国人選手をご紹介します。

3度目の冬季五輪に挑む、謙虚なチャンピオン

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資料写真(新華社提供)

武大靖(ぶ・だいせい、中国読み:ウー・ダージン)

1994年 黒竜江省ジャムス市に生まれる
2012年 国家代表選手になる
2014年 ソチ冬季五輪で初の五輪出場、男子500mで銀
2014年 世界選手権500mで優勝
2015年 世界選手権500mで優勝し2連覇を達成
2018年 平昌冬季五輪500mのグループ予選で五輪記録破る。準々決勝と決勝で2度世界記録を更新し優勝
2018年 W杯で世界記録を再び破って優勝

出場種目:スピードスケート・ショートトラック男子500m、5000mリレーなど

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平昌冬季五輪で優勝した武大靖選手(新華社提供)

ハードな練習も恐れず、10歳でスピードスケートの世界へ

 武大靖さんは1994年に中国東北地域の黒竜江省ジャムス市で生まれました。10歳のとき、テレビで中継されたスピードスケート・ショートトラックの試合を見て、当時の中国代表選手の颯爽とした姿に感化されて、自分でもやってみたいと思い立ちました。その練習のハードさを見て、父親が「やめよう」と言っても、武さんは続けたいと返事したそうです。そうして、まずは地元のアマチュアチームに入りました。

過酷な環境を和らげてくれた、保護者たちの温もり

 毎朝4時前に起床。母親が彼を自転車に乗せて練習場に送ります。のちに母親は「当時、息子は目覚まし時計をかけなくても、ちゃんと4時前に起きていた。相当スケートが好きだったのだろう」と振り返っています。

 練習までの難関は早起きだけではありません。東北の冬の厳しい寒さも立ちはだかります。黒竜江省は東北地域の中でも北の方です。冬の最低気温は、氷点下30度にも下がります。

 武さんが10歳の頃の練習場は屋外のスケートリンク。練習中の気温は氷点下10度を下回ります。子どもたちは10分も練習すれば足の感覚がなくなってしまいます。それを見た保護者たちは、スケートリンクの近くに小屋を建てました。中で火を焚いて、子どもたちが暖を取れるようにしたのです。子どもたちは10分ほど滑ったら小屋で足を暖め、またスケートリンクに戻って練習を続けます。そんな毎日でした。

 屋外なので、雪が降った日にはチームの責任者と保護者たちが一緒になって雪かきをして、子どもたちが滑れるようにしていました。

12歳でプロの道へ

 屋外のスケートリンクで練習を始めて2年ほど経ったある時、プロ選手になる機会が訪れました。武大靖さんが12歳のときのことです。中国東部、江蘇省のプロチームがジャムス市に選手を募集に来たのです。江蘇省ならば、室内のスケートリンクなどの練習環境が整っています。しかし、12歳の少年にとっては大きすぎる決断です。両親が彼に、「江蘇省に行ったら1年間は家に帰れない。それに、日常生活のすべてを自分でやらなければならない。本当に大丈夫なのか」と確かめるのも当然です。しかし武さんは迷わず、「大丈夫だよ。行きたい」と答えました。そして彼は1人で寝台列車に乗って、故郷から2000キロ以上離れた江蘇省に行ったのです。

念願の国家チーム入り ただし、アシスタントとして

 プロの道は簡単ではありませんでした。毎日の過酷な練習と、ホームシックにも耐えなければなりません。布団の中でひそかに泣く夜も多かったそうです。また、初めて大きなけがをしました。練習中に数人が倒れ込むのに巻き込まれた武さんは、ほかの選手のスケート靴のブレード(靴底の刃)に足を切られてしまいました。

 所属していた江蘇省のチームは2009年に解散し、武大靖さんは東北地域の吉林省のチームに移籍することになりました。その後、国内のリーグ戦で見せた滑りが当時の国家代表チームのヘッドコーチの目に止まり、スカウトされたことが彼の大きな転機となります。しかし、それは代表選手としてではなく、代表選手の練習相手、つまりアシスタントとしてのチーム入りでした。女子代表チームの練習相手を任されたのです。

 女子チームのレベルは想像を超えていました。武さんは、長距離でも短距離でも、女子選手に負けることもしばしば。「練習で女性選手に追い越された時は辛かった」と振り返ります。

 国家代表チーム内の競争は激しいものでした。選手であろうと、アシスタントであろうと、必要なレベルを満たしていなければ残ることはできません。大きなプレッシャーを抱えた武さんは、食事も喉を通らず、眠れない時期もあったと話します。

自身の滑りを見つめ直し、躍進を果たす

 2012年にさらなる転機が訪れました。代表選手たちが海外遠征に出ている期間を利用して、武さんは落ち着いて自身の滑りを磨き上げました。それが成績につながり、代表チーム内の練習試合でどんどん上位に立てるようになりました。そして、ついに代表選手として国際大会に出場できるようになりました。

 2013年2月、スピードスケート・ショートトラックのW杯ソチ大会の男子500mで2位になり、10月に行われたW杯韓国大会の1000mでは優勝を飾りました。

 2014年2月、ソチ冬季オリンピックで初のオリンピック出場を果たし、男子500mで銀、5000mリレーで銅を獲得しました。

 2014年3月の世界選手権では500mで優勝。2015年の世界選手権でも同種目で優勝し、2連覇を果たしました。その後も、特に500mと1000mで成績を残し続けました。

 2018年2月、自身2度目のオリンピックとなった平昌冬季オリンピックでは、まず500mのグループ予選でオリンピック記録を破ります。そして、準々決勝と決勝で、2度世界記録を更新し、優勝しました。また、男子5000mリレーでは、中国男子チームの過去最高となる2位を獲得しました。平昌大会で特に輝いた選手として、閉会式の中国選手団の旗手にも選ばれました。

 2018年11月のW杯では、自身が持つ世界記録をまた破って優勝しました。

「うぬぼれていたら、すぐに教えて」謙虚なチャンピオン

 優勝と記録更新を繰り返す躍進を果たした武大靖選手ですが、コーチにはこう言っているそうです。

 「チャンピオンになった私に、うぬぼれるような気配が出てきたと感じたら、すぐに教えてください」。

 のちに記者からこの発言の意図を聞かれた武選手は、「タイトルをある程度重ねていると、どうしても思い上がり、天狗になりがちだ。そうならないように気をつけたい」と話しました。

北京冬季五輪では自己ベスト目指す

 北京冬季オリンピックは武大靖さんにとって3度目のオリンピック。そこにかける思いについては、「せっかくの自国開催なのだから、ホームの北京で今まで以上の成績を収めたい。最高のコンディションで試合に出るつもりだ」と話しています。

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平昌冬季五輪で優勝した武大靖選手(新華社提供)

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