北京
PM2.577
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「人を殺すのは銃ではなく、人だ」。これは1980年代に米国大統領を務めたレーガン氏が残した名言である。確かに銃は無辜で、銃が自ら人を撃つことはない。しかしレーガン氏は、銃を持つことによって、人を殺すことが簡単になるということに気づいていないようである。
米国で銃暴力に関するデータを収集する非営利団体「銃暴力アーカイブ(GVA=Gun Violence Archive)」の発表によると、過ぎ去ったばかりの2021年、米国では銃による暴力で4万4750人が死亡、4万359人が負傷した。銃乱射事件(犯人を除いて一度に4人以上が撃たれて死傷した事件)は691回起こった。いずれも、GVAが統計を始めた2013年以来最多となった。
2016年から昨年までの累計をみても、米国で銃暴力による死者は23万人以上、負傷者は19万人以上に達している。平均して年間約4万人が死亡、3万人以上が負傷しているという計算になる。これは、毎年大きな戦争、または大虐殺が起きていることに相当するといえよう。
銃暴力による死傷者とともに増え続けるのは、銃の所有者である。とりわけ新型コロナ発生以降、社会秩序崩壊への心配からか、ますます多くの米国人が自らを武装するようになっているようだ。統計によれば、2020年3月だけでも、米連邦捜査局(FBI)が行った、銃購入のために必要な身元調査(犯罪歴の有無など銃購入者の購入資格を確認するための調査)の件数は370万件に上り、身元調査システムが発足した1998年以来の最多を記録した。また、同じく2020年3月に、初めて銃を購入した人に売られた銃の数は、米国全土で売られた銃全体の約40%を占めた。この数値は、それまでの20年間の平均である24%を大幅に上回っている。
そうした勢いに乗って、米国の銃所有者は現在、成年者の3分の1にあたる約8140万人に上っており、1人平均1.2丁の銃器を持っている。つまり、銃の数は人口よりも多い。銃の氾濫と銃暴力はすでに米国の持病となっている。実は、米国では銃乱射事件が発生するたびに、銃規制をめぐる討論が行われる。しかしその討論はいつも結果を出せないままに終わってしまう。その背後には、「米国式の民主主義」や政治利益、経済利益があるとみられる。
周知のとおり、米国は憲法によって「国民が銃を保有し携帯する権利」を認めている。もともとは、政府軍による鎮圧にお手上げにならないように、強権的な政府に対抗する能力を国民に持たせることと、個人が自らの財産と土地を守れるようにすることが目的だったそうだ。しかし、現実、特に繰り返し発生する銃暴力事件が示しているように、米国の一般市民は、銃を保有していても、すべての人が自らの命と財産をしっかり守れているとは限らない。また、米国人の思考回路に沿って考えれば、恐らく米政府は、国民に銃の保有のみを認めるだけでは足りない。装甲車、戦車、大砲も必要かもしれない。それらを装備して初めて政府軍に対抗できるようになるからである。
また、米国の民主、共和両党はそれぞれ異なる利益集団に支えられている。そのうち、共和党に絡んでいるのは軍需産業である。これまでの米大統領選挙や中間選挙で、軍需関連企業は多額の政治献金を出して共和党を支えてきた。そのため、共和党政権下では銃規制が行われない。一方、民主党の執政時には、大統領が銃を規制しようとしても、いつも共和党議員の猛烈な反対と利益集団からのけん制を受け、あきらめざるを得ない。したがって、軍需産業こそが米国で最も力のある政治パワーであるといえよう。そう考えれば、米政府が、銃暴力によって年々、大量の死傷者が出ていることを目にしながらも効果的な対策を打ち出せていない理由も分かる。軍需企業にとって、治安の悪化と社会の混乱は好ましいものである。なぜなら、民衆が不安から身を守るために、より多くの武器、殺傷力のより高い武器を買い求めるからである。一方、軍需産業にコントロールされた政府はというと、銃暴力事件後に追悼式を行い、半旗を掲げ、強硬ぶりを示すことを繰り返すだけだ。
「人を殺すのは銃ではなく、人だ」。そのとおりだ。しかし、それらの貴い命は、「手に銃を持った人」に奪われたのである。さらにそれらの命は、病的な「米国式の民主主義」に奪われた。命を軽視し、権力と金銭だけに目を向ける制度の創設者と実行者に奪われたのである。
「銃暴力アーカイブ(GVA)」は最新の統計データを発表した。2022年に入ってわずか5日で、米国では503人が銃暴力事件によって命を失ったという。(CRI日本語部論説員)