北京
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河北省魏県出身の郭瑞祥さんは、1937年3月に中国共産党に加入しました。16歳から革命活動に身を投じた郭さんは初心を守り続ける紅軍戦士です。抗日戦争期間、郭さんは相次いで、河北省南部の戦闘や反掃討戦役などに参加し、勇敢に戦いました。解放戦争の時期には危機的な状況の下で、組織の健全化や党の指導の強化に力を入れた結果、危うい局面を挽回しました。定年退職後は、それまでと変わらない質素な生活を続け、終始一人の紅軍戦士・共産党党員としての優れた伝統を守り続けています。
郭さんは16歳で革命活動に身を投じ、抗日戦争、解放戦争などに参加し、数十年間、実直に軍隊で生活してきました。1937年、「七七事変」が起きたあと、郭さんは秘密革命活動者となり、複雑かつ危険な環境の下で共産党に大量の情報をもたらしました。1949年、渡江戦役を終えると、郭さんが所属する軍隊は貴州省に赴き、現地の匪賊の討伐戦闘を行いました。そして、1950年の初め、郭さんは蜂起部隊に対して、共産党の方針や政策の教育活動を担当してきました。反乱や暴動を起こすことが懸念されていた蜂起部隊に対して、郭さんが将兵らへの思想改革を行った結果、彼らはすぐに解放軍の正規軍に編入することとなり、解放軍の一員として活躍しました。
定年退職した後、郭さんは終始、刻苦奮闘の精神を受け継いでいます。普段、郭さんは破れた服を自分で縫っては、また着る生活を送っています。そんな父親の影響を受けて、息子や娘たちの家族はみんな、優れた態度を受け継ぎ、素晴らしい家風が日常生活の中で徐々に形成されました。定年退職前、郭さんは貴州省都匀軍分区の副政治委員となりましたが、職権を利用して、私利私欲を満たすことは一度もありませんでした。郭さんの6人の子供の内、5人が軍に入隊していたこともありました。退役以降は、普通の一労働者となりました。「党や国に迷惑をかけないこと」は、郭さんが子孫たちに伝えている家訓です。
定年後、郭さんは相変わらず理論学習を続けています。党や国の大政方針を理解するために、毎日テレビで放送されているニュースを見るほか、新聞の切り抜きもしています。
郭さんは定年退職してから、幹部療養所によく通っています。療養所の仕事に関心を寄せると同時に、今後の発展などについても、しばしば助言や提案を行い、常に人々がよりよい生活を送るためにその身を投じています。