北京
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北京ラジオテレビ局と故宮博物院が共同制作した12話のドキュメンタリー「紫禁城」がこのほど、北京衛星テレビで放送されました。北京の紫禁城を都とする明、清の二つの王朝と民国、新中国、合わせて4つの時代の600年にわたる歴史的変遷を描きました。ドキュメンタリーの中の複数の主題歌が、大手音楽サイトの新曲ランキングに続々と登場しています。今回の中国メロディーはその中から挿入歌3曲をご紹介し、紫禁城600年の移り変わりを体感していただきましょう。
「都」
14世紀、明が建国された当初、開国皇帝の朱元璋は都を北に定めようとしました。しかし、この願いが叶わないうちに、彼はこの世を去ってしまいます。息子の朱棣は、父親よりも高い志を持っていて、当時危機的な状態にあった北部の辺境都市・北京に都を建設することを選びました。北京を中心に明の国境を北に進み、多民族統一の国を作ろうと考えたのです。彼はここに最も華麗で、最も強固な城を築き、最も偉大で最も強力な君主になろうと考えたのです。
1424年、64歳の朱棣は5回目の蒙古草原出征の途中で崩御し、自慢の紫禁城に帰ることができませんでした。しかし、北京に都を定めた彼の決定は、中国の歴史上で政治構造を大きく変え、今日の多民族国家となる基礎を築きあげたのです。
万里の風景、
両鬢(もみあげ)の白髪。
瑠璃の赤い壁。
また夢の夕日を見て
「紫禁城」の第1話の主題歌「都」では朱棣が15年を費やして王の城を築き上げた野心と、出征して故郷を思う気持ちを歌手タンウェイウェイさんが広い音域と豪快な歌声で表現しています。
「光」
1610年旧暦師走の二十四日、稲妻雷鳴、薄暗い早朝に、紫禁城の東宮から赤ちゃんの泣き声が響きわたり、明の最後の皇帝・崇禎帝が誕生しました。しかし、この冬の珍しい雷は、未来の悲劇的な運命に対する不吉な予兆のようでした。1644年、農民蜂起軍が紫禁城の下に臨みました。わずか33歳の崇禎帝は紫禁城の向かいの景山で恨みを晴らして自らの首を絞めて殉国しました。この皇帝は17年間在位して精進を尽くしましたが、いずれにしても動乱の中、平穏な明王朝を取り戻すことはできませんでした。
「紫禁城」第6話は、崇禎帝の悲劇の生涯を描いています。6話の主題歌「光」は曲全体が起伏に富んでいて、まるで盛大に打ち上げられた花火を思わせるようです。暗闇の中で闘い、一生懸命自らを輝かせ、諦めない勇者精神を名歌手の周深さんが優しく力のある歌声で歌っています!
「勇気」
1836年、イギリス人はアヘンを延命の薬と宣伝し、アヘンが中国で氾濫しました。アヘンの侵入は清朝全体を麻痺させ、国力を衰退させたため、清王朝は崩壊の瀬戸際に立たされました。その当時、道光帝が林則徐を勅使として広東省に派遣しました。林則徐は厳しい禁烟運動を指揮しましたが、1840年、イギリスはこれを口実に、遠征軍を派遣して中国を侵略し、アヘン戦争を起こしました。アヘン戦争時代の清王朝は侵略者の砲火の中で日に日に衰亡しましたが、林則徐のように国の危難の中で立ち上がった愛国の志士が現れたことも忘れてはなりません。
血と涙を流して悲願に身を投じたか
剣の中で戦えば戦火の中で消えてしまうかもしれない
人生を捧げても,成功も失敗も気にしない
第9話「思危(危機)」の主題歌「勇気」は、紫禁城で国の運命のために戦った愛国の志士たちの胸の内を歌っています。歌手黄齢さんの軽やかな吟唱や、サウンドトラックで徐々に強められていく交響曲のメロディーにも、歌に内在する迫力を感じさせます。