北京
PM2.577
23/19
1971年3月、桜満開の名古屋。この地で開かれる第31回世界卓球選手権大会に、日本卓球協会の招きに応じて、中国から代表チームが参加しました。
当時の世界はまだ冷戦の真只中。中国にとっては、外国開催のスポーツ大会に6年ぶりの出場です。
「地元の愛知で開催される世界卓球選手権を世界一の大会にしたい。そのためには、最強の中国チームの参加は不可欠です」
そう決意をしたのは、当時の日本卓球協会会長で、愛知工業大学学長だった後藤鉀二氏でした。秘書の小田悠祐さんによりますと、後藤会長は兵役で中国に赴いた過去の体験から、「中国人民に対し、筆舌に尽くしがたいご苦労をかけた」「中国のために尽くしたい」という熱い気持ちがあったことも背景の一つでした。
1971年1月、周恩来総理と握手する後藤鉀二会長(中国駐名古屋総領事館の記念ビデオから)
しかし、当時の中国と日本はまだ外交関係がなく、中国から代表チームを招くのは至難の業でした。そんな中、日本から北京を訪れた後藤会長一行4人を受け入れて心のこもった対応をし、一旦暗礁に乗り上げた会談を、柔軟な姿勢で対応するよう実務担当者を諭した人は、中国の周恩来総理でした。
大会期間中、中米選手同士の偶然の交流がスタートとなり、大会最終日に、「アメリカチームの中国訪問」が発表され、世界を驚かせました。その訪問がきっかけになり、キッシンジャー米国務長官の極秘訪中や、中国の国連復帰、ニクソン大統領の訪中、中日国交正常化、中国の国際オリンピック委員会(IOC)復帰など一連の歴史的大事件が立て続けに起きました。
のちに「ピンポン外交」として知られるこの一連の出来事から50年過ぎました。先週、名古屋市内では、第31回世界選手権大会の会場だった愛知県体育館で市民参加の卓球の交流試合が開かれ、翌日には、「温故知新 ピンポン外交が導く未来」と題して、「ピンポン外交」の歴史的意義を振り返るシンポジウムが開かれました。このシンポジウムはリモートでの参加も含め、約300人が出席しました。
シンポジウムで発表された内容について、今週と来週の番組で音声にてご案内します。
左から小田悠祐さん、竹内敏子さん、杉本安子さん
今週はピンポン外交に実際にかかわった方たち――後藤鉀二会長の秘書で、1971年年初、後藤会長と共に北京に赴いた小田悠祐さん、第31回世界選手権大会に出場し、団体種目で金メダルを獲得した元日本代表の竹内敏子さん(中京大学 名誉教授・東海学生卓球連盟会長)、杉本安子さん(元愛知工業大学卓球コーチ)のお話を抜粋してお届けします。
半世紀前に何が起き、何を学び、それが今の世界情勢に置かれている中国と日本にとって参考になることは何か、リスナーの皆さんと一緒に考えることができればと思います。
【リンク】
ピンポン外交から50年、名古屋で記念シンポジウム
ピンポン外交から50年、今の時代にも重要な示唆=孔鉉佑大使
◆ ◆ ◆
この番組をお聞きになってのご意見やご感想をぜひお聞かせください。メールアドレスはnihao2180@cri.com.cn、お手紙は【郵便番号100040 中国北京市石景山路甲16号中国国際放送局日本語部】までにお願いいたします。皆さんからのメールやお便りをお待ちしております。