北京
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石田隆至さん
【プロフィール】
1971年大阪生まれ。明治学院大学国際平和研究所研究員。大連理工大学海外招聘研究員を経て、2020 年秋から上海交通大学人文学院副研究員。専門分野:新中国による日本人戦犯への教育改造と裁判、戦後日本の平和運動および中国から帰国した元戦犯による反戦平和運動、脱植民地期のアジアにおける平和外交など。
中国共産党創立から100年を迎えた今年、平和研究の視点から中国共産党の歩んできた歴史を見つめ続けてきた日本の学者がいます。現在は上海交通大学で研究活動を続けている石田隆至さん(50歳)です。
石田さんは大学院生だった2000年頃から、研究仲間の中国人留学生とともに新中国から帰国した元戦犯に聞き取り調査を行ったのをきっかけに、20年近くにわたってオーラルヒストリーをはじめ、調査、記録、研究を続けてきました。加害者だった日本人戦犯に対する新中国の向き合い方から見えたもの、そこからにじみ出る中国共産党の平和に対するぶれない姿勢とは何か。8月初め、北京を訪れた石田さんにインタビューしました。
【新中国による日本人戦犯の自己反省教育と裁判とは】
1950年代初め、新中国は旧ソ連から移送されてきた日本人戦犯、および日本の敗戦後も「皇国復興」を掲げて中国に留まり国民党とともに共産党との内戦を戦った旧中国侵略日本軍、あわせて約1100人を遼寧省撫順市、山西省太原市の戦犯管理所に収容しました。約6年にわたる教育改造や取り調べ、裁判を行った結果、ほとんどの人が「認罪」(自身が加害者であり、戦争中の行為が戦争犯罪であったことを認識する)し、自身の過ちを深く反省しました。帰国後は「中国帰還者連絡会(中帰連)」を結成し、反戦平和・日中友好をライフワークとして活動を続けました。
なお、2021年8月現在、存命中の「中帰連」メンバーは5人です。
――石田さんは新中国による日本人戦犯の自己反省教育と裁判について、20年近く研究を深めてきました。その過程で中国共産党にも興味を持ったようですが……
私は戦後生まれのごく普通の学生で、日本社会で過ごすなかで、共産党というものに触れる機会は特にありませんでした。そうした中、中国から帰国した日本人戦犯達が、自分の過去の過ちを見つめることができたのは、「洗脳された」とか、「命が助かりたいので忖度して共産党の言いなりになった」とか、いろんなことが言われてきましたが、実際に元戦犯のおじいさん達に会って話を聞いていく中で、決してそういう話ではないなと感じるようになりました。世界の他の戦犯裁判と同じように、罪状を調べ上げ、死刑や終身刑を科すことで終結させることもできましたが、新中国は戦犯の認識が内側から変わるのを6年もかけて待ち続けていたのです。だとすれば、当時の中国共産党が何を考えていたのかということを踏まえて研究する必要があると考え、中国共産党にも関心を持つようになりました。
――たとえば、そうした中で影響を強く受けた方はいましたか。
帰国した元戦犯たちからもそうですが、同じく2000年前後に山邉悠喜子さんという方から受けた影響も大きかったです。当時はもう70代だった山邉さんは戦後、中国人民解放軍の衛生兵として8年間活動していました。そういう経験から、日本と中国との関係や、あの戦争に対する見方が、私がそれまで接してきた身近な日本人と全然違っていました。一言でいえば、被害者の立場というか、中国の人たちがどう感じているかということをきちんと踏まえた上で、日本と中国との関係、戦争の問題、歴史の問題を考えなきゃいけないということを、非常に分かりやすく教えてくれました。
山邉悠喜子さん近況写真
そういう新鮮な驚きと、日本人にこのような影響を与えた中国共産党とはどのような組織なのかを知ってみたいという思いから、いろいろと調べるようになったのが始まりです。
――これまでの研究を通して知ったことは?
大きな特徴の一つとして、自分とは異なる存在、時には敵であるような存在とも、いかにして良い関係を作っていくかということを目指している点にあると感じています。
日本人の戦犯というのは、中国側からすれば、絶対許せない相手ですよね。昔は敵だったわけですし、中国共産党の人達の中にも、自分の家族とか、地域の人達がひどい目に遭った人もたくさんいます。それにもかかわらず、そういう人達に反省するための環境を作ったというのは、その人たちが変わって、良い関係を作り直すことができるだろうというふうに、そういう信念を持って接していたから、できたことではないかなと思います。
さらに、新中国の成立後、「共産国家」ということで西側諸国から敵視される時期が続いていました。それに対しても、力で対抗しようという形ではなく、できるだけ良い関係を作るにはどうすればいいだろうかという接し方をしていました。そういう方針は、改革開放以降も基本的に変わってないと私の目には映っています。
現在も、新型コロナウイルスの発生源をめぐり、中国を敵視しようとしている国々も含めて、世界の人々と一緒に解決していこうとしているのが、今の中国の姿勢だと感じています。
――そういうところも、「人類運命共同体」の共同構築という理念につながった発想と言えるようですね。
そうですね。歴史を振り返れば、そうした平和的なアプローチは中国共産党の様々な時期に貫かれていました。
抗日戦争の時代には、八路軍は日本人の捕虜に対してきちんとご飯を食べさせたり傷の手当てをしたりして、「いつまでも戦争を続けると君自身も危ないから」という形で、いろんな配慮をしてきました。そういう影響を受けて、中には、反戦運動というのを八路軍と一緒に行うような人たちも出てきました。
戦後、日本人戦犯に対しては、「きちんと間違いを反省すれば、いい関係を作って、国際平和を一緒に生み出していけるはずだ」と信じて、6年間、彼らが変わるのを待ち続けたわけです。
日本と国交正常化交渉をした時にも、戦争賠償を請求しないというのは、やはり、「これから日本がきちんと戦争の反省を踏まえた上で、良い関係をつくっていきたい」というメッセージだったというふうに思います。また、旧日本軍が中国に残した毒ガス兵器という歴史の「負の遺産」についても、中国と日本で共同して、リスクを伴いながらも中国国内で処理することになったというのは、やはり「これから一緒に平和な東アジア、平和な国際環境を作っていきたい」というメッセージだと受け止めています。
そういう形で、中国共産党の百年をずっと見ていくと、「人類運命共同体」というメッセージをはっきり言葉にしたのが近年だというだけで、その理念というのはずっと以前からあったように私は考えています。
――最後に、実際に中国で暮らしていて、身近で感じた中国共産党員の姿は?
今の日本では、具体的なことは何も知らないまま、中国や中国共産党について先入観を持っている人が多いのが現実です。私の身の回りにいる中国の学生や市民にも共産党員がたくさんいますが、彼らは社会や地域への貢献を一生懸命やっている人達が多いです。災害時はもちろん、普段から困っている方や、年配者、障害者、貧窮者などに対して、献身的にサポートするような取り組みをしている方もたくさんいます。そういう現実の共産党員の人達がやっていることを知ると、中国共産党といっても何も特別な組織ではなくて、日本や他の国にもあるような、普通の市民たちがより暮らしやすい社会を作るための日々の努力をしている場だといえます。こうした現実を具体的に知ってもらうことも、大事なことではないかなと感じます。
(構成:王小燕 写真提供:石田隆至)
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