北京
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中国共産党第一次全国代表大会は、1921年7月23日から7月31日の日程で開催されました。この会議は李漢俊の自宅で開かれ、党の創始者メンバーである陳独秀は広州、李大釗は北京にいたため、出席しませんでした。
1917年のロシア十月革命の勝利は、中国人民に新たな希望をもたらしました。陳独秀、李大釗らを代表とする知識人は、マルクス主義を積極的に広め、マルクス主義と中国労働者運動の結合を促進するよう尽力しました。1921年7月23日、7つの地域共産党の早期組織から来た13人の代表と、2人の共産国際代表が上海に集まり、中国共産党第一次全国代表大会を開催し、中国共産党の正式な成立を宣言しました。また、会議では、党の基本任務・民主集中制などの組織原則と規律などを規定した中国共産党綱領が定められました。
第一次全国代表大会に集った各地の代表者13名の内、最年少の劉仁靜は当時、北京大学の学生で19歳でした。最年長は教師をしていた何叔衡で45歳。そのほか、李達や周仏海のように日本の大学に留学していた青年たちもいました。
中国共産党は成立の日から、天地を切り開く歴史の重責を担い、中華民族の偉大な復興を実現する歴史の使命を担い、中国人民を指導して民族独立と人民解放を勝ち取り、国家の富強と人民の幸福を実現する歴史の旅へと踏み出しました。
第一次全国代表大会の開催場所は典型的な石庫門(せきこもん)建築で、1920年秋に建てられました。この建物は出席していた上海代表の李漢俊と兄弟の李書城の住まいでした。当時、使われた建物は現在、「中国共産党第一次全国代表大会会址」という名のもと、記念館として保存されています。会址は1952年9月に修復され、対外開放されました。記念館では、陳望道が翻訳した「共産党宣言」のほか、中国共産党設立の歴史的背景、各地域での共産主義グループの出現と活動、中国共産党の誕生などの内容が展示されています。ここは中国共産党の誕生地であり、中国共産党人の精神的な家です。
記念館の裏手には、実際に代表大会が開かれた部屋も保存されています。手狭な部屋にテーブルが一つあり、代表者たちはそのテーブルを囲んで議論しました。
中国共産党第一次全国代表大会の会議中、フランス租界の巡査に襲撃されたため、後嘉興南湖に会場を移し、湖面に停泊した遊覧船で会議が続けられました。中国共産党初回綱領と決議はここで討議され、可決されました。また、選挙を行い、中国共産党中央委員会の指導者メンバーを選びました。そのため、嘉興南湖は中国共産党革命勝利の重要な記念地となりました。その後、1959年、「南湖革命記念館」が落成し、会議遊覧船の複製を作って湖面に停泊させ、当時の様子を再現しています。