北京
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唐の時代の名詩人・白楽天の叙事詩「長恨歌」は楊貴妃と玄宗皇帝の恋物語を詠んでいて、今でも広く歌い継がれています。詩の中に描かれた楊貴妃が住んでいた宮殿・華清宮はまるで仙境のようで、「骊宫高处入青云,仙乐风飘处处闻(華清宮は白い雲の中で、ふわふわと美しく漂っている)」という詩句は後世の人々に憧れを抱かせています。このほど、この詩句の中に出てくる華清宮の遺跡が西安で発見されました。華清宮は中国の歴史上の恋と政治闘争が入り混じった物語が何度も繰り広げられた重要な舞台として注目を浴びています。今回の中国メロディーはそんな華清宮の物語と音楽をご紹介しましょう。
恋と縁がある驪山
華清宮は西安市臨潼区驪山(りざん)の頂上にあり、標高は697メートル。唐の玄宗時代、玄宗皇帝と楊貴妃はいつもここで雄大な山河を眺めていたのでしょう。驪山は恋と縁があるところと言われます。
紀元前8世紀、ここでは周の時代の王・周幽王と褒姒(ほうじ)の恋の悲劇が発生しました。褒姒は周幽王のお気に入りの妃で、抜群の美貌を持っていましたが、性格は憂うつで、皇帝の寵愛を競って後宮の妃たちと争うことをよしとしませんでした。 周幽王はどんな方法を考えても、褒姒を笑わせることができませんでした。ある日、周幽王は悪だくみをする家臣の意見を聞き、驪山に狼煙をともしました。古代の中国では狼煙は敵軍が侵入する軍事信号を表しました。各地の部隊は急いで驪山のふもとに駆けつけましたが、その後、それが周幽王の冗談だと気づきました。それを見て褒姒はやっと笑ったのです。しかしそれ以降、周幽王は周りから信用できない王であると見なされました。そのため、少数民族犬戎(けんじゅう)の軍隊が本当に侵入してきた時、周幽王が狼煙をあげても誰も助けに来ませんでした。結局、周幽王は敵に殺され、西周王朝は滅亡してしまいました。
繰り返す国王と美女の悲恋の物語
歴史には驚くほど似ている出来事があります。紀元8世紀、唐の玄宗皇帝は驪山が好きで、山の頂上に豪華な温泉宮殿を建てました。楊貴妃や役人たちを連れて、驪山の宮殿・華清宮に住んでいました。李白、白楽天などの名詩人は、華清宮の雄大さと華麗な様を讃える詩作を残しました。白楽天の叙事詩「長恨歌」は玄宗皇帝と楊貴妃が華清宮で過ごした美しい時間と、安史の乱が起こり楊貴妃が殺された悲劇的な過程を詩人の筆致で生き生きと描き出しています。驪山は再び国王と美女の悲恋な物語の舞台となったのです。
驪山は恋と縁がありますが、悲劇とも隣り合わせです。褒姒と周幽王、楊貴妃と玄宗皇帝のラブストーリーはみな悲劇となりました。驪山は帝王の離宮として円満な愛情を実現するのが難しい場所かもしれません。王は権力と美女を愛しますが、結局、それは往々にして両立しにくいものだったのです。
番組の中でお送りした曲
1曲目 在水一方(水のほとりにあり)
中国の最も古い詩集「詩経」の中の「蒹葭(荻と葦)」という詩からイメージを膨らませて作詞したものです。
歌詞:
緑草は黄味を帯びて青々と茂り 白い霧が一面に立ち込める
あの麗しの人は 河の向こう岸にいる
流れに逆らって上り 彼女の傍に寄り添いたいと願うが
岸辺の流れは激しく 道路は遠く又長く寄り付くことが出来ない
流れに随って下り 彼女の居場所を探し求めたいが
ただかすかに見えるだけ まるで彼女が河の真ん中にいるかのごとく
2曲目 梨花颂(梨の花を讃える)
「絶世の美女」楊貴妃を梨の花に例えています。中国語の「梨」と「離れる」の発音は同じで、曲の中の梨の花は楊貴妃と玄宗皇帝が離れ離れになる運命の悲しい結末を表しています。
3曲目 愛江山更美人(権力より美しい人を愛する)
英雄たちが権利と美女とを両立できないもどかしい気持を描きました。