北京
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●中国の貧困状況への取り組み
中国の「十三五」第13次5カ年計画(2016-2020年)は貧困撲滅計画を発表している。さらにそれ以前からも2013年に習近平主席は「標的型貧困救済」戦略の推進を提言し、2014年には国務院貧困救済室がその他の部署と共同で「標的型貧困撲滅実行メカニズム設定の実施計画」を策定した。このような流れを受けて、今年2020年は貧困脱却「決勝の年」、つまり、ひとつの成果をあげる一里塚とされている。それを表すかのように「脱貧(貧困脱却)」「扶貧(貧困支援)」という言葉は今年に入ってから重要なキーワードとして、多く目にするようになった。
また、「小康社会(いくらかゆとりのある生活)」という言葉も昨今の中国においては欠かせない言葉だ。2020年の「両会(全国人民代表大会と中国人民政治協商会議)」では、小康社会の全面的完成と貧困脱却堅塁攻略の達成を確保することを明らかにした。

赤渓村内の建物に掲げられた「決勝全面建設小康社会、決戦脱貧攻堅(小康社会の全面的完成の決戦に勝利、貧困脱却への堅塁攻略の決戦)」の文字
実際に中国国家統計局発表のデータを見ると、地方の貧困住民の数は1978年の約7億7000万人から2019年末までに551万人に減少し、貧困率は97.5%から0.6%に減少したとしている。
●福建省赤渓村の貧困脱却への一歩
中国全土で貧困撲滅計画が進められる中、福建省の海辺の都市・寧徳市福鼎県赤渓村は独自の道を進んでいる。赤渓村は三方を海、もう一方が山に面し、雄大な茶畑を有する自然豊かな場所にある。村は1000世帯以上、常駐人口はおよそ5000人。この村は「中国扶貧第一村(中国最初の貧困扶助の村)」として、全国的にその名が知られている。上記の言葉が示すようにこの村もかつては貧しく、1984年の村民の年収は166元に過ぎなかった。

赤渓村前に建てられた「中国扶貧第一村」の石碑

雄大な自然を有する赤渓村
そんな窮状を周知するため30数年前に立ち上がったのが王紹据さん。当時、福建省福鼎県報道グループのリーダーを務めていた王さんは1984年、赤渓村の貧困状態について、「貧しい村は貧困脱却のために特別措置が必要」と題する文章を人民日報に投稿した。
この行動は中央政府の目に留まり、政府は貧困脱却に向けて動き出した。当時の村について、王さんは、「全国の農村情勢は非常に良好で、多くの『万元戸』、『億元村』が現れていたが、このような現象は交通が便利で、自然条件が良い農村にしか存在しなかった。広報担当の幹部として現地に行ってみると、住居は茅葺の屋根、主食は『サツマイモ米(サツマイモの千切り)』でショックだった。この状況を反映させなければならないと思った」と語った。

元福建省福鼎県報道グループリーダーの王紹据さん
●自らの足で歩む貧困脱却
中央政府の貧困対策の下、赤渓村は「輸血」「換血」「造血」のプロセスを進めてきた。輸血とは「直接支援」、換血とは「辺鄙な地、資源に乏しい土地からの集団移転」、造血とは「自らの力による貧困脱却」のことを指す。現在は「造血」の段階にある。貧困脱却について王さんは、「自分たちで作ることを行う」と述べ、中央政府から与えられるだけではなく、自分たちで切り開く自活こそが貧困脱却の道であると考えている。
王さんの行動によって中央政府をはじめ各級政府からの関心が集まる中、2016年には村民たちは習主席とテレビ会話で直接話す機会を得ることになり、翌2017年には赤渓村の取り組みが評価され、「全国貧困脱却貢献賞」を受賞した。

2016年に習主席とテレビ電話形式で直接対話(出典:人民網)
30数年前に村を思う王さんの一歩が赤渓村の貧困脱却につながり、村民たちは自主的な道を歩んでいる。そんな努力が実り、農業農村部は2019年に「中国の美しいレジャーの里(中国美麗休閑郷村)」のリストに加えた。今後の村のあるべき姿について、王さんは、「党や政府が直接、私を豊かにしてくれるのではなく、私自身が豊かになりたいと思い、労働によって自身の富を作り出すべきだ」と語る。村民年収がわずか166元に過ぎなかった村は、2018年には1万8305元にまで増加し、大きな変化を遂げた。
政府の援助を受けながらも、赤渓村は自らの足で自らの生活をより良いものにするべく歩んでいる。(文・写真:日本人記者 星和明)

村の各地で観光客を迎える準備のための工事が行われている