北京
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8月15日――日本では「終戦の日」と言われるが、国際社会では、第二次世界大戦で玉音放送により日本の降伏が伝えられた日として見られている。戦争から75年の時が経った。この日に行われる戦没者追悼式で、日本の歴代首相が慣例として発表する談話において戦争についてどう語るのか、「アジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えた」という日本の加害責任について言及するのか。これはアジア諸国の神経に触ることだ。
このほど、安倍晋三首相が広島平和記念式典(6日)と長崎平和祈念式典(9日)で、酷似する挨拶を行ったことにより、日本国内の被爆者団体などから失望の声が上がり、インターネット上でも「コピぺ」といった批判を招いた。「朝日新聞」が同じ表現の文字数を数えたところ、1140字前後の二つの挨拶の約9割が一致したと報じた。さらに、両式典の挨拶の言葉は過去にも前年と似ていると指摘された。
頭のいい人たちが政治をやっていると思われるが、実はもっと必要なのは「頭」ではなく、「ハート」のほうかもしれない。人の心や痛みが分かる感受性が必要だろう。戦争を記念するのは、戦争を避けるためだ。平和祈念も決して形式で済まされるショーにしてはいけない。
ところで、「『あの戦争』の話題ときたら、どうも中国人がデリケート過ぎる」と文句を言う日本人もいる。歴史は過去、現在、未来を繋ぐもので、歴史を反省することは、決して過去に拘るということではなく、正しい「今」を選択し、素晴らしい未来を切り開くためのカギである。
国交正常化以来、中日両国は経済、文化、科学技術、教育、環境保護など、諸分野にわたって素晴らしい友好協力の成果を収めてきた。しかし、戦争や歴史問題に話題が及ぶと、どうも「心の壁」があるようで、特に近年、経済の実力の変化により、両国民間には様々な考え方や温度差が出てきた。
いかに戦争の傷跡を乗り越え、心の和解を実現させ、平和と友好を長く続けていくのかは、中日両国にとって大きな課題である。「難しい、難しい」と言うのは簡単だが、勇気を持って問題を直視し、地道に努力していくことが一番の良策だろう。幸いなことに、中日は数千年にわたる文化の絆に恵まれ、人への気配りや心遣い、優しい性格と豊かな感受性を持っている両国民が多い。だからこそ、世界を混乱させたコロナ禍の中、「山川異域・風月同天(山川域を異にすれども、風月天を同じうす)」の逸話が国境を越えた感涙を誘った。
第二次世界大戦終結から75年後の今日、またも「歴史を鑑みとし、未来に向かう」を語りたい。これは中日両国の人々に友好と希望をもたらす知見であり、常に我々の自信、勇気と良識を問う激励でもあるのだ。(CRI日本語部論説員)