北京
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中華圏音楽界ではフォークソングはポピュラー音楽として、長く多くのファンに親しまれています。フォークソングは心の奥の声であり、フォーク歌手は最も敬虔なミュージシャンであるという言い方があります。34歳の趙雷は中国フォークソング界の代表者として、最も敬虔な音楽信者と呼ばれています。彼のデビュー曲「成都」のネット視聴回数は延べ2億回を突破し、第25回東風ポピュラーソングランキングのトップになりました。今回の中国メロディーはそんな趙雷の音楽人生をご紹介しましょう。
青春と音楽に包まれた無名のルンペン歌手
2003年の夏、17歳の高校生だった趙雷は、北京の地下通路でルンペン歌手と出会いました。ルンペン歌手は趙雷に各地を流浪する物語を話し、「本当の自由は言葉では伝えることができないものだ」と諭しました。ルンペン歌手の抑揚ある歌声、自由奔放な性格、音楽を愛する魂は趙雷の心の中にまったく違う世界の扉を開きました。
高校卒業後、趙雷は大好きなギターを持って北京各所の地下通路でルンペン歌手と同じような音楽活動をしました。最初は通りすがる人々の冷たい眼差しにすごく緊張しましたが、だんだん慣れてくると、彼は他のルンペン歌手らと共に音楽に包まれた青春を送り、辛いながらも、みな楽しく過ごしていました。
その後、14年間の紆余曲折を経験し、彼はようやく無名のルンペン歌手から新世代のシンガーソングライターに成長します。デビュー曲「成都」は彼と同じように異郷をさすらう人々の心を癒します。
歌わなければならないフォークの吟遊詩人
北京っ子の趙雷の作品は北京特有の歴史ある路地「胡同」文化の息吹に溢れ、真心をこめた歌詞と素朴なメロディーは庶民の暮らしのテーマと相まって、少しもわざとらしくなく、多くの若者に受け入れられています。
趙雷の独特な音楽スタイルは青春時代、各地をさすらう経験から生まれたものでしょう。彼は祖国の美しい山河を踏破し、自分の音楽の道のために豊かな素材を積みかねました。趙雷の音楽作品の中にはラサの青空、タングラ山の雪、ナムツォー湖の神聖な湖が出てきます。その歌詞は都市の喧騒から離れ、人々に立ち止まって考える余裕を残してくれます。彼の作品の中には美しい景色だけでなく、嫌なことに遭遇した時の葛藤や、困った時に道行く人が差し伸べくれる手なども歌われており、喜怒哀楽といった日常生活の縮図が表現されています。
2010年初めて湖南衛星テレビのオーディション番組「快楽男声(スーパーボーイ)」の舞台に登場した趙雷は経験不足で良い結果は残せませんでしたが、彼は「歌うことができる人もいれば、歌わなければならない人もいる。僕は歌わなければならない人だ。フォークソングの新しいブームを巻き起こしてみせる」と宣言していました。その後、趙雷は仲間たちとバイクで各地を流浪しながら自分の音楽を磨いていきました。そして、再びオーディション番組の舞台に戻った時には、「画(絵)」という曲でフォークソングの新しいブームを巻き起こし、有言実行を果たしたのです。
今では、フォーク歌手といえば趙雷と言われ、ファンたちは彼がギターを持ちながら、真の音楽を創作し続けてほしい。そして、俗っぽい芸能界でその音楽の才能を殺さず、多くの素晴らしい音楽を届けてほしいと願っています。
番組の中でお送りした曲
1曲目 成都(せいと)
歌詞:
涙の訳は昨夜の酒だけではなく
名残惜しいのは君の優しさだけではない
あとどれぐらいこの道を行くのか?君は僕の手を握っている
困ったのは、もがく自由だ
別れはいつも九月で、思い出には懐かしさ溢れる
2曲目 画(絵)
歌詞:
寂しい夜空に月を描き
その月の下に歌う僕を描く
寂しい部屋に大きな窓と
ベッドを描く
描いた女の子が私に付き添う
3曲目 南方姑娘(南国の女の子)
歌詞:
北国の村には南国の娘が住んでいて
彼女はいつも花模様のスカートをはいて道端に立つ
言葉数は少ないが 笑顔は穏やかで優雅だ
その柔らかい眼差しに どんな悲しみがあるのだろう