北京
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ハリンは蒙古族トルグート部第15代王女です。そんな彼女は音楽が大好きで、故郷のコトカケヤナギとラクダが好きです。ハリンのしなやかで美しい歌声は蒙古草原で広く伝えられているだけでなく、ヴォルガ河畔にあるロシアのカルメック共和国のトルグート人の末裔に親しまれています。今週の中国メロディーは引き続き蒙古族の女性歌手・ハリンと彼女の音楽の世界を紹介しましょう。
美しい故郷・アラシャン
ハリンは小さい時から蒙古族自治区アラシャン地区で育ちました。そこには世界で最も美しいコトカケヤナギの林があり、毎年、コトカケヤナギの葉が黄金色に輝く季節になると、彼女は遠く北京から故郷に戻り、友人達と再会し、故郷の歌を耳にするのを一番の楽しみにしています。
ハリンの故郷・アラシャン地区には世界で一番多くのヒトコブラクダの群れが住んでいます。トルグート人にとって世の中の草や木にはみな魂があり、ラクダは人間の親しい友人です。多くのトルグート民謡はみなラクダの背に乗って、そのゆっくりしっかりした歩調に合わせて歌われたものです。
トルグート王女の宿命
ハリンという名前はモンゴル語で「飛ぶ」という意味があります。歌と踊りが上手な彼女は11歳の時に地元の民族歌舞団に入り、最も若い歌舞団員となります。その後、北京の中央民族大学民族舞踊学部に入学し、卒業後、同じ中央民族大学声楽学部に進学して自分のアルバムをリリースしました。彼女は自分の名前のように疲れを知らず飛び続けています。
ハリンは「わが蒙古族は古来より遊牧民族で、トルグート部はその中でも移動距離が最も多い部族だ」と語っています。資料によれば、トルグート人は17世紀30年代にヴォルガ河畔に移住したことがありますが、ツァーリの専制に耐えられなかったため、祖国に帰還しようと決めました。1771年1月、トルグートのリーダー・オバシが帰還の号令を出すと、トルグートの兵士たちは、「わがトルグート人は何時までも奴隷ではない。太陽が昇るところに帰ろう」と叫びながら、苦難の末、帰国の途につきます。ツァーリ兵隊の追撃と悪天候の影響を受け、十数万人のトルグート部は数カ月にわたる民族大移動を経て、数万人しか祖国に帰還することができませんでした。
ハリンは「わが民族にはずっと移動の宿命があると思う。私の名前ハリンさえもこのトルグート人の運命に密接に繋がっているかもしれない」と言いました。
これがトルグート人なのだ!
ハリンは2012年と2013年の2回、ロシアのカルメック共和国でソロコンサートを成功させ、地元の人々の歓迎を受けています。
1771年トルグート人が祖国へ帰還するその冬、天候不順で、ヴォルガ河には厚い氷が張っていなかったため、河の西岸に住んでいるトルグート人は河を渡ることができませんでした。そのため、トルグート人は今もヨーロッパに残留しており、今のカルメック共和国に暮らしています。
ハリンはカルメック共和国を初めて訪れた時のことを振り返って次のように語りました。「公演のため、初めてカルメック共和国に訪れ、見知らぬ街を歩いていると、よく知っているような顔をたくさん見た。この人はおじさんに似ていて、あの人はおばさんに似ている。初めて会った人なのに意外にも親近感があった」。彼女がレストランに入ると、地元の歌手がトルグートの古い叙事詩『ジャーンゴール』を歌うのを耳にしました。カルメックの舞台に立った時、『飛び散る血、引き裂かれる肉(私たちは離れていても家族だ)』という故郷のことわざを口にすると、すべての観客が感動の涙を流しました。
ハリンたちがカルメックを離れる時、地元の人々は涙を浮かべてハリンたちと抱き合いながら別れを告げました。 あるおばあさんは「祖国に帰還する時、なぜ私たちをカルメックに残したの?私たちを嫌っているのですか?」と尋ねました。ハリンはこの話を思い出すと、今でもとても悲しくなります。これがトルグート人なのです。
番組の中でお送りした曲
1曲目 悲泣的骆驼(泣くラクダ)
歌詞:
子ラクダを失った親ラクダ
泣き声が山河を揺り動かす
悲しい歌を歌う
2曲目 巴彦博格达(バインボゴダ)
歌詞:
遠ざかる故郷
父さんの故郷バインボゴダ
振り返ると
私の後ろにあるのは
母さんの故郷バインボゴダ
青々とした草原
澄んだ泉
3曲目 思念(恋しく思う)
歌詞:
故郷を離れる私
心が寂しくて堪らない
北方から吹いてくる風
私の心は震えている