北京
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7月7日、北京・蓮花池公園に咲く蓮の花(撮影:平文智)
ご案内:王小燕
中国でも日本でも、夏と共に蘇る記憶があります。それは、戦争にまつわる記憶です。
ただ、同じ戦争への共通した記憶ではありますが、日本では「終戦75周年」「広島、長崎の被ばくから75周年」などとして記憶されているのに対して、中国では「中国人民による抗日戦争並び世界人民による反ファシズム戦争勝利75周年」の年として言及されている。
一方、この戦争の終結を振り返る節目の年は、新型コロナウイルスのパンデミックが世界を席巻しました。
こうした過去になかった事態の下で迎えた戦後75年の夏、皆さんの今思っていることをお聞かせください。
<コロナ禍の戦後75周年、私が今思っていること>
CRI日本語放送メッセージ募集のご案内
字数:ご自由に。
署名:本名・ハンドルネーム・ペンネームのいずれ可。
形態:文字原稿・音声ファイルでの投稿のいずれも可。
(投稿内容と関連する写真の同封は大歓迎)
宛先:riyubu@cri.com.cn
タイトル:「75周年メッセージ」と明記してご送信お願いいたします。
第一回は大門高子さんからのメッセージをご紹介します。大門さんは「戦後」と同じ年で、植物が大好きで、元小学校教師をしていました。大門さんは、日本人は戦争の中で被害を受けながらも、加害者でもあった歴史を忘れずに、未来に向かって平和を謳歌する「紫金草合唱団」「再生の大地合唱団」の発起人の一人です。
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感染症との闘いの中で日中75年の歴史を考える
中国と日本をつないで海を渡ったマスクと心
満開の紫金草と記念撮影する大門高子さん(写真:本人提供)
新型コロナウイルスとの闘いの日々の中で
7月3日は私の75歳の誕生日です。1945年生まれで生後10日目に空襲を受けました。「終戦っ子の会」という会に入っていますが、「戦後」という区切りはいつも私の年齢と重なります。
今は世界中の情報が短時間で伝わってきます。そんな中で新型コロナウイルスとの闘いがまだこんなに未知のもので世界中に恐怖をまき散らし、医療も教育も経済も政治も足元をすくわれるようになるとは思ってもいませんでした。
合唱団の練習は会場が借りられず、3月から練習ができず、演奏会も中止か延期です。歌の練習も工夫してオンラインやズームで取り組んで見たりもして 思いがけない効果や面白さを見出したりもしていますが、高齢者にはハードルが高くなかなか大変です。体調を悪くしている人も出たりして、財政的な配慮や政治への要求も工夫がいるところです。このところ世界中で自然災害もひっきりなし、台風地震水害原発などの災害 何が起こるかわからない毎日です。これでもか これでもかと。
でもみんななかなか強いですよ。頑張って生きています。よくぞ助け合い励ましあっているなあと感心します。人間は強いです。テレビ局の番組も作り替え入れ替えおおらかに対応しています。そしてステイホームでささやかな楽しみを見つけています。
中国からもいろいろ工夫していることが伝わってきています。今回も早々と日本人監督が制作した武漢でのドキュメント「お久しぶりです、武漢」を見ることもできました。どんどん国が大きくなって、力を持って困難を乗り越える力を付けていることを改めて知ることもできました。
まだまだコロナウイルスの広がりがどのようになるかわかりません。人類と感染症の闘いが収束してどの国も医療も生活も豊かな国になるように力を付けてほしいものだと期待します。
紫金草の花
日中友好を願ってマスクで草の根交流を
個人ができることには限りがあり、なかなか思うように支援の心を伝えることは難しいものです。それでも「あの人はどうしているか」「あの子は元気かしら」と思いを馳せることはできます。今回もささやかながら中国大使館や日中友好協会を通してカンパ活動をすることや合唱団で集めたお金やマスクを買い集めて代表を通して送らせていただきました。
わたし達は紫金草と再生の大地合唱団として20年前から「不忘歴史 面向未来」という精神で日中友好交流を願って中国を訪れてきました。全国の仲間たちと一緒に日本国内をはじめ、海外では南京、北京、上海、台北、ニューヨークなどで演奏と交流をしてきました。来年4月には南京と撫順に訪中公演をしたいと計画しておりましたが現在は見合わせています。日本と中国の間は微妙な歴史の葛藤もありましたが、今では考えられないほどの緊張で初演を迎えたことを思い出します。それが今、紫金草の花は中国、特に南京では日中友好の象徴の花として大事に扱われています。
2017年4月3日、南京大虐殺遇難同胞記念館で鎮魂の歌を歌う紫金草合唱団訪中団
写真提供:侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館
中国で感染が急拡大した際、南京から支援が求められてきたのが2月初め。すぐにマスクを求めて、ドラッグストアなどを駆け回りましたが、すでに手に入らなくなりました。車で20か所ほど回ったけれどすでにマスク、トイレットペーパー、テッシュ、体温計なども手に入らなくなったのには驚きました。
虐殺記念館にマスクやお金を送る人……草の根交流の成果かと思います。ささやかでも人間的な温かいものが通い合えるのも大事なことかと思います。
中国の対応は早く見事でした。日本の方が品不足に追われました。その後日本は異例の不要不急の外出は抑えられ今に続いています。東京はいまだに新規感染者が増え続けています。
名古屋の河村市長は「南京では虐殺はなかった」という発言をしたとのことで、その後、現在も友好都市としての交流活動は途絶えてしまっています。それでも「困ったときはお互い様だ」とのことで、マスクを10万枚を送ったそうです。その後名古屋在住の元北京国際放送アナウンサー坂東さんから南京市対外友好協会から15万枚のマスクが送られてきたとの新聞の報道を知らせてもらいました。
南京からのそのマスクの箱書かれていたのは
紫金草満地 春櫻花連枝
持此芳華意 摘以寄心知
南京市対外友好協会
南京市対外友好協会から日本へのマスク(資料写真)
日本語に訳すと、
紫金草が大地一面に咲き誇り 春の桜が満開となり 枝と枝とが絡み合っている
素敵な思いを寄せた花々を摘み取って 遠方に送る我が心を知ってほしい
合唱団にもその後、南京虐殺記念館や撫順の友好協会や中日友好協会などからもマスクが送られてきました。現在合唱団では全国で一人の感染者も出ていません。集団感染をした病院に問い合わせてこれらのマスクを中国からのメッセージを添えてお渡ししたところとても喜ばれました。
「こんな時だからこそ」と自分らしくできることで
今は考えてみるとかつてない時間が使えるときです。久しぶりに長い手紙が来たりメールが来たりもしています。長い間たまっていた資料や写真を整理したり 太って着られなくなった服を処分したり……
今、学者や政治家には人類と地球規模の課題に目を向けて知恵を働かせてほしい時です。お金も知恵も働かせてほしいと思います。20年前、初めて南京で紫金草の演奏会を開いた時に比べたらどんなに発展してきているでしょう。ネットなどの通信も飛躍的な発展です。地球の何か所とも同時にメールしたりしています。信じられないくらいいろいろ進んでいます。
時間を自由に使えるこんな時だからこそ、やりたいことをやらなくてはと思っています。頑張りましょう。乗り越えましょう。
最近しみじみと残された時間の短さを考えます。人生は100パーセント終わりの時をいつか迎えるのだと思います。
さて私は残された短い時間をどう使うのか……
日中の歴史三部作「人間の絆 残留孤児の合唱曲」(中国の養父母に育てられた残留孤児をいつか合唱曲にしたいと思い続けています。戦後日中75年の歴史です)
「20年の取り組み「花が好き 歌が好き 平和が好き」(紫金草の物語 まとめなくてはー)
世界中が一日も早く終息して穏やかな日が過ごせることを心から願っています。みんなで平和の歌を歌う日が来るまで元気に乗り越えたいと思っています。
組曲「紫金草物語」のフィナーレを飾る曲「平和的花 紫金草」
【プロフィール】
大門高子(おおかど たかこ)さん
1945年生まれ。劇やミュージカルの脚本や、合唱組曲の作詞多数。元小学校教員。日本演劇教育連盟全国委員
生後10日で米軍の爆撃を浴びて、火の中を母に抱かれて逃げ回って助かりました。大人になり小学校教師になりましたが、教え子を再び戦場に送るなという精神を大事にした平和教育と文化活動の取り組みに力を入れた教育をしました。
実践の中で被害の前に加害の事実があったことを考えるようになり、そんな時に紫金草の新聞記事を目にしました。諸葛菜、花だいこんなどと呼ばれるこの花が南京から持ち帰った花だと知りました。その後、早めに退職し20年ほど取材した後、組曲「紫金草物語」と絵本「むらさき花だいこん」を出版。1998年から、合唱団をたち上げ演奏活動を通した日中友好運動に取り組んでいます。国内での演奏活動と南京、北京、上海、台北など12回の海外公演にも取り組んできました。これまでの500曲の作詞を手掛けてきました。
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