北京
PM2.577
23/19
聞き手:王小燕、梅田謙
2011年4月、会社からの出張命令で初めて中国に降り立つ星野さん。向かった先は、吉林省吉林市の郊外にある松花湖という湖を一望できる大青山でした。星野さんは濃霧の中を視察し、スキー場に適した山だと確認して、その夜のうちに一気呵成に設計図を描き上げて、オーナーに提案しました。その年の12月に、仲間3人と共に現地に戻り、コンサルタントの仕事が正式に始まりました。それから3年余りの月日を経て、中日双方の切磋琢磨の中で、松花湖スキー場が開業を迎えました。
コース全長27キロ、計31本のコースからなる松花湖スキー場には、オーナーから「星野雪道」と命名されたコースもあります。今回は、「中国の地図に形を残した」と誇りをもって仕事を振り返る星野さんから、「星野コース」を含むスキーコースの誕生秘話を伺います。
中日2ヶ国語による「星野コース」の由来の説明、2015年1月の開幕式にて除幕
――仕事の中で一番苦しかったこと、楽しかったことは何ですか?
設計では「自分の足で現地を見る」ことを実践しました。山に3 年間で360 回入り、延べ1,000km歩きました。冬は最低気温がマイナス32度という日もあり、初めは経験不足でペットボトルが凍ることを知りませんでした。その日の昼食は、手袋をつけたまま、その場で足踏みしながら固まったパンをかじり、凍ったペットボトルの氷をなめて水分を取っていました。また、汗をかくとシャツが凍ってしまうので、山登りでできるだけ汗をかかないように工夫しました。そんな未経験の寒さの中での作業が、一番辛かったですね。でも、どんどんと学習していきました(笑)。
2013年2月、大青山で測量中の星野さん
――仕事して一番苦しかったことや、楽しかったことは何ですか?
設計は、「自分の足で現地を見る」ことを実践していました。山を3 年間で、360 回、延べ1,000km 歩きました。冬は最低気温がマイナス32度という日もありましたが、最初は経験がなくて、ペットボトルも凍ると知りませんでした。そんな日の山のお昼は、手袋を付けたままで、足ふみしながら固まったパンをかじり、凍ったペットボトルの氷をなめながら水分を取っていました。また、汗をかいてしまうとシャツが凍ってしまうので、山登りでできるだけ汗をかかないように工夫していました。そんな経験のない寒さの中での作業が、一番辛かったですね。でもどんどんと学習をしてきました(笑)。
2013年3月30日、開発前の大青山の山頂に登りおにぎりを食べる。この後スキー滑走
――それでも山を自分の足で見ることにこだわっていたのですね。
これは会社(注:株式会社プリンスホテル)の歴史、文化、伝統なのです。実際に現場をきちんと歩いて設計するのは私たちだけだと思います。そうすると、図面に無いものが随分と分かったりします。大きな岩があったり、カッコいい木があったりして、この木を残そう、この木を避けよう、とか。川があったり、沢があったり、小川が流れていたり、水の量が分かったり。それは図面には載っていません。最初のレイアウトは想像で描きますが、現地を歩いた上で変えていきます。少しずつ修正しながら。
――「手づくり」の作業なのですね。
ある日、フランスのコンサルティング会社の方と一緒に仕事をした時に、「日本人は山を歩いて設計をして、古典的ですね」と言われました。「これが当社の伝統です」と答え、一緒に山頂まで登りました。その日の夕方の会議で彼は「今日は日本人と一緒に仕事をして、自分の足で現場を見る姿勢に感銘を受けた。やはりGPS、GoogleEarth、CADだけに頼った設計ではお客さまの気持ちは理解できないのだと良く分かった。今後は日本人を見習って、自分の足で現場を見ようと思う」とオーナーに発言していました。それが嬉しくて、今でも忘れません。
あと、楽しかったことは、中国の方々と一緒に仕事をしたことですかね。まじめで素直な方々が多くて、異文化の中でのコミュニケーションが楽しかったですね。
2013年3月30日、「自分の足で山を歩く」を実践する様子。
この年は雪が多く自然雪が4月中旬まで残っていた
――チーム4人と中国の方々との共同作業を経て、松花湖スキー場はいつ開業したのですか?
2014年12月に開業しました。コンサルティングを始めたのが2011年11月でしたので、3年間ですね。現在ある31本のコースが全部できたのは、翌年の2015年12月のことでした。4人の経験と知恵を絞って、ノウハウを注いで、コンサルタントをやらせてもらいました。
――開業の日、皆さんはどのような心境でしたか。
もう、わが子を見るような気持ちで(笑)。「中国の地図に形を残した」と自分で思っていますので、夢とロマンがあって。一方で、お客さまの笑顔を見ただけで、それがもう励みになりましたね。仕事でも会議中でも普段の日常生活でも、その(お客さまの笑顔の)ことだけを考えて、一切妥協せずに設計したつもりです。
(中国側とは)色々とお互いに勉強しなければならないこともあって、私たちも真摯に受け止めて、そこで成長できたと思います。色んな方と接して、色んなスキー場の設計の仕方がありますので。自分たちの力だけではなく、皆で一緒に考えて、良いスキー場ができたと思います。
―― 松花湖スキー場には、星野さんの名前から命名された「星野コース」があるそうですね。
設計者の名前が付いた何々コースというゴルフ場をよく目にしますし、スキー場でも長野県の野沢温泉スキー場には外国人スキーヤーの名前が付いたコースがあります。なので、中国のスキー場に日本人の名前が付いたコースがあると友好につながるのかなと思いました。そのコース名を提案するにはそれなりの自信作でなければと判断して、C1コースを「星野コース」と名づけてもらいました。
星野コースは延べ1500メートルですが、完成させるまでに100キロほどを歩きました。もう目をつむっていても分かりますね。どんな木があって、どんな石があって、どんな地形で――、コースができたらどんな景色が見えるかということまで確認し、シミュレーションしながら、妥協は一切しないコース設計を行いました。
松花湖スキー場で合宿中の新潟県チームと(2018-2019シーズン)
白いウェアの女性(右2)はコーチとして参加したアルペンスキーの長谷川絵美選手
――星野コースの完成には開業式も行われたようですね。
はい、オーナーから認められ、家族を日本から招待してもらい、星野コースの開幕式を開催してくれました。オープンしたばかりの星野コースを、家族で一緒に滑りました。滑って、「お父さん、すごいね」と娘に初めて言われて。妻も、「お父さん良くやったね」と言ってくれまして、すごく嬉しかったです。いまでもオーナーには心の底から感謝しています。
――その後、松花湖スキー場はどうなりましたか?
2014 年12 月に開業して今年で6 シーズン目を迎えています。年々訪問者も増えて、今では中国で一番のビジターを誇るスキー場になっています。毎年オーストリアで開催されているワールド・スキー・アワード(World Ski Award)では、3 年連続で「中国で最も人気のスノーリゾート」に輝いています。
スキー場と併設する松花湖プリンスホテルでは、フランチャイズサービスを行なっていて、顧問も常駐しています。接客対応などを日々チェックして教育しています。スキー場に関しては、技術指導をやっています。その中で、お客さまの笑顔いっぱいのスキーリゾートだと聞きました。設計当初の夢が叶いました。
2015年12月、日本チームのスキー合宿
松花湖スキー場で合宿中の新潟県チーム(2018-2019シーズン)
また、スキー場の設計理念には「日本の子どもたちにも滑ってもらいたい」というのがありましたが、5年前から日本の長野県、新潟県、山梨県、群馬県、栃木県の、中学生から大学生までの指定スキー選手が一同に集まってスキー合宿を行っています。今年の合宿は終わったばかりで、これまで延べ宿泊人員も1 万人を超えました。これについても、願いが叶いました。
(写真提供:星野司)つづく
【プロフィール】
星野 司 (ほしの つかさ)さん
1962年新潟県南魚沼市生まれ。
1981年4月、国土計画株式会社、現在の株式会社プリンスホテル。新潟県南魚沼郡湯沢町に所在する苗場プリンスホテル・苗場スキー場入社、スキーパトロール隊に配属され、夏はスキー場整備、冬はスキー場運営管理を行いながらスキーコース設計開発を勉強する。
その後、苗場エリア総支配人、プリンスホテル本社勤務を経て、2011年12月に、プリンスホテルから4名派遣され、中国吉林省吉林市の松花湖プリンスホテル・松花湖スキー場開発コンサルティングを開始。2014年12月に松花湖プリンスホテル・松花湖スキー場の開業を迎え、松花湖リゾート総支配人として7名の派遣社員と運営管理を行う。
2016年3月から松花湖プリンスホテルのフランチャイズおよび、松花湖スキー場の安全管理に対する技術指導、接客対応指導を行っている。
2016年4月に株式会社プリンスホテル 吉林事業部 部長、吉林西武リゾートコンサルティング有限公司 董事長に就任。
2018年1月、プリンスホテルから4名派遣され、河北省張家口市崇礼区の汗海梁スキー場開発コンサルティング開始 、2019月12月31日に開発コンサルティングを終了し現在に至る。
※来週(1月28日)は、2019年12月31日に放送された年越し番組「行く年来る年」の再放送です。
この番組をお聞きになってのご意見やご感想をぜひお聞かせください。メールアドレスはnihao2180@cri.com.cn、お手紙は【郵便番号100040 中国北京市石景山路甲16号中国国際放送局日本語部】もしくは【〒152-8691 東京都目黒郵便局私書箱78号 中国国際放送局東京支局】までにお願いいたします。皆さんからのメールやお便りをお待ちしております。