音楽の天才児から世界的な音楽家へ~チェロ奏者 王健

2020-01-19 16:11  CRI

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 王健は中国の有名なチェロ奏者で、10歳の時に上海交響楽団と「カミーユ・サン・サーンスチェロ協奏曲」を奏で、「音楽の天才児」と讃えられました。現在、51歳になった王健は世界的な音楽家として知られ、彼の演奏には聴く者の心を揺さぶる独特な美しさがあります。今回の中国メロディーはそんな王健の音楽人生と音楽作品をお伝えしましょう。

音楽啓蒙家の父

 王健は音楽一家に生まれ、4歳の時にチェロ奏者の父、王樹棠から手作りの小型チェロを譲り受け、チェロを習い始めます。父の王樹棠は当時、まだ小さかった王健のチェロへの興味をそそるため、当時流行っていた「小号兵(小さなラッパ手)」など子供の曲を演奏しやすいチェロ曲にアレンジし、また毎日、5分間しか稽古しないと息子と約束事を決めていました。これが王健の音楽及びチェロへの興味を大いに掻き立てました。また、息子に音楽への情熱を思いきり表現させるため、王樹棠は模範演奏をいっさいせず、息子と共演することもありませんでした。

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 王樹棠のような立派な啓蒙家が先生であったからこそ、幼い王健は徐々にチェロを愛し、音楽を愛するようになったのです。

音楽~魂の歌声~

 親がよく出張したので、幼かった王健は寂しい時にチェロから元気をもらっていました。彼は「音楽は魂の歌声で、バッハやベートーベンなどの偉大な魂が音楽を通して私たちに寄り添ってくれていると思う。例えば、ベートーベンの交響曲第5番を演奏する時には彼の魂と向かい合って話す事ができるのではないだろうか?だから音楽は偉大な魂をとこしえに生き続けさせるものだ」と述べました。

世界的な音楽の巨匠との出会い

 父王樹棠は王健に音楽の世界への扉を開き、アメリカの名ヴァイオリニスト・アイザック・スターンは彼に翼を与え、音楽の世界で羽ばたかせます。

 1979年、アメリカの世界的バイオリニスト、アイザック・スターンが当時、中国の外交部長の招きに応じて中国を訪れ、上海音楽大学付属小学校で王健と出会いました。当時、わずか10歳だった王健は即興でアイザック・スターンにクラシック音楽を演奏し、驚くべき音楽の才能を示します。この時、スターンに随行したカメラマンはこの少年が眉を顰めて厳粛で悲しい旋律の中に浸って演奏するシーンをカメラに収めました。その後、スターンの中国訪問は「毛沢東からモーツァルトへ/中国のアイザック・スターン」とういうドキュメンタリー映画になり、1981年度オスカーを獲得しました。映画の中の少年・王健はアメリカ人に「中国の音楽天才児」と称されました。

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 1985年、16歳の王健はアイザック・スターンの推薦の下、アメリカのイェール大学に留学し、その後、ニューヨークジュリアード音楽院に進学しました。1989年、彼はアメリカのクラシック音楽雑誌「ミュージカルアメリカ誌」の傑出した青年音楽家賞に輝きました。この後、世界の30の国と地域でコンサートを開き、多くの世界的一流オーケストラと共演を果たし、王健は実力と人気を兼ね備えたチェロ演奏家として世界の舞台で脚光を浴びていきます。

孤独は創造力と想像力を与えてくれる

 幼い頃から有名になった王健は世界各地を飛び回る生活をしていました。彼は「アーティストとして別れと孤独に慣れなければならず、自分ならではの世界に入り込める勇気と力を持たなければならない。この世界には他人の足跡がある、だが本当に存在するのは自分自身だ。たくさんの人に囲まれていると、心に刻まれた忘れ難い出来事に目を背けてしまう。だから孤独は私たちに創り出す創造力と考え出す想像力を与えてくれる」と話しました。

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音楽の火種

 自分の音楽人生を振り返り、王健は恩師であるアメリカの音楽の父と呼ばれるアイザック・スターンにとても感謝しています。彼は「僕は幸運児で、アイザック・スターン先生の推薦がなければ、エール大学に留学するチャンスは絶対に得ることができなかった」と話しました。

 ある記者がアイザック・スターンに「中国を訪れた時、何故、多くの子供の中から王健を選んだのか?」と聞いた時、この音楽の巨匠は「理由などない、ただ彼に心打たれた。それだけだ」と答え、「人ごみの中で火種を持つ人は本当に少ない。だから出会えたとしたら、その火種を伝えていかないわけには行かない」と話しました。

 現在51歳の王健は「僕もこのような火種を持つ若者を見つけていきたい。幸運にも、音楽の天才児と出会えれば、全力を尽くしてその生まれつきの才能を開花させ、大事にしていく」と話しました。

 番組の中でお送りした曲

1曲目 一生何求(一生には何を求め)

1980年に同じタイトルでヒットした曲を基にアレンジしたもので、複雑な社会環境の中で人々が自分の一番ほしいものをなかなか見つけられず、自分を見失ってしまうと嘆き悲しむ気持ちを歌っています。

2曲目 繍金匾(金色の額を刺繍)

中国西北地方に広く伝わる民謡を元にアレンジしたもので、元々は地元で伝わる恋歌ですが、1930年代の土地改革以後、西北地方の農家たちが共産党の指導の下で、自由を求める喜びを表した曲です。

3曲目 我和你(私とあなた)

北京オリンピックの開幕式でイギリス人歌手サラ・ ブライトマンと中国のベテラン歌手・劉歓がデュットした曲と同じタイトルのチェロ曲です。各国選手がオリンピックの旗の下に集まり、一つの家族になりたいという気持ちを表しました。

ラジオ番組
10月29日放送分
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