北京
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神戸っ子の山田さんは南京町からほど近い町で子供時代を過ごしました。30年前に、大学生だった彼は、大阪発の鑑真号に乗って、初めて中国の土に足を踏み入れました。バックパッカーで各地を旅行し、知らない人とたくさん出会いました。その2年後の1991年、交換留学先の北京で山田さんは昆劇に出会い、それ以降、今日にいたるまで、28年間不断の努力で稽古を続けてきました。
このほか、山田さんはドラマや映画の出演、中国の演劇に関する論文や著書、ご自身の北京滞在で感じた中国論の執筆など、多彩な才能の持ち主でもあります。
目の前に広がる、誰でもたやすく見える「中国」よりも、彼が選んだのは、600年もの昔から脈々と受け継がれてきた古典演劇の世界でした。そこにどっぷりと浸かって、普通では目にすることのできない風景を満喫し、絶えず新境地を切り開き続けてきました。
こんな山田さんを引き付けてやまない「昆劇」の魅力とは?その探険の旅路において、山田さんが出会ったのはどのような人や風景だったのでしょうか。一回目の今回は、まずは昆劇のいろはをめぐり、山田さんに分かりやすく説明していただきます。
【キーワード】
<四功五法>昆劇や京劇を始め、中国の伝統演劇が重んじる基本的な要素を言う表現です。
四功とは、唱(うた)・念(せりふ)・做(しぐさ)・打(立ち回り)。
五法とは、手(手振り)・眼(視線)・身(姿勢)・歩(足さばき)・法(行い)
なお、昆劇とは14世紀半ば、江蘇省昆山一帯で生まれた伝統芸能です。笛や簫(縦笛)、笙(管楽器の一種)、琵琶を伴奏楽器に使い、きめ細やかさと優雅さが特徴です。16~18世紀末まで、昆劇は文人の間で流行し、後の時代の戯曲や演劇に大きな影響を与え、「百劇の祖」とも言われています。また、演劇の世界三大ルーツの一つともされています。
清の乾隆年間以降、昆劇は衰退し始め、2000年になりますと、中国には昆劇に携わる人は約800人しかいなくなったと見られていました。2001年には、昆劇はユネスコの世界無形文化遺産に指定。その後、若手俳優の育成や、若者向けの新しいスタイルの「新昆劇」の試みなどにより、近年、昆劇人口が少しずつ増えています。
日本では、京劇役者の坂東玉三郎さんが京劇の梅蘭芳(メイ ラン ファン)先生への憧れの中で、そのルーツが昆劇であると市ってから、2008年、蘇州昆劇院で稽古を受け、一緒に昆劇の代表作、『牡丹亭』を演じ、中国と日本の各地でツアーをしました。
【プロフィール】
山田晃三(やまだ こうぞう)さん
1969年神戸市出身。京都外国語大学卒業。
北京第二外国語大学での交換留学を経て、1993年から北京師範大学大学院に進学し、中日経済関係を専攻する。留学のかたわら、1991年から世界無形文化遺産である崑劇の稽古に取り組み、北方崑曲劇院の俳優戴祥麒氏、張毓文氏(国家級無形文化遺産伝承者、国家一級俳優)に師事、「夜奔」「問探」「刺虎」「借扇」「擋馬」「三岔口」「下山」「挑滑車」など多数の崑劇及び京劇を習得。
2009年~2019年、北京大学で日本語を教える。2016年2月、自らの中国論の集大成となる「北京彷徨 1989-2015」(みずのわ出版)を出版。
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