北京
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今年の8月15日は、旧暦7月15日の中元節です。日本ではお中元と言われ、日ごろお世話になっている人に贈り物をする習慣があります。一方、中国ではこの時期、真夏が過ぎて秋の涼しさが始まる頃です。先祖や亡くなった人をしのんで、灯ろうに火を灯して死者が帰る道を照らします。今回の中国メロディーは「忆故人,寄哀思(故人を思い哀悼する)」をテーマとした歌と音楽をお送りしましょう。
先祖への恩返し
中元節はもともと、中国古来の「秋嘗(あきなめ)」という習わしが由来です。毎年、秋の収穫のシーズンになりますと、刈り取ったお米などを大地や先祖にささげて感謝の意を表します。そんな「秋嘗」の時期は当初は定かではありませんでしたが、1500年前の北魏の時代から、立秋を過ぎて初めての満月の日、つまり旧暦7月15日に定められました。この日は1年のほぼ中間に当たる満月なので、中元節と呼ばれます。この時期、多くの農作物がすでに収穫を迎えますが、中国では新米で先祖をしのび、先祖に収穫の知らせを報告する習わしがあります。また、どの家もお墓参りに行き、冥福を祈る習俗もあります。
そんな中元節は、農耕文化から生まれた記念日とされています。昔の人は農耕生活を過ごす中で、すべての物に何らかの因果関係があると知ったのです。たとえば、実がなるには種の恵みが必要であり、実は種に、後の人は先人に感謝の気持ちをいだくわけです。そのため、中元節は先祖に恩返しをする日なのでしょう。
鬼節(死者の日)
中国では昔、中元節は清明節と同じく「鬼節(死者の日)」と呼ばれ、地獄の門が開き、死者の霊魂が赦される日だとの言い伝えがあります。先祖の霊が戻ってきて家族との団らんを楽しむのです。そこで、子孫は先祖をしのんでお墓参りをし、灯ろうに火を灯して死者が帰る道を照らすのです。また昔、お寺や神社ではこの日、親族のいない霊魂を慰めるため、法事を行ったり、蒸しパンなどを用意したりする習わしがあります。陰陽の考え方によりますと、死者の霊魂が住む陰の世界から人間が住む陽の世界への道は非常に暗く、明りがなければ道が見えません。霊魂が帰る道を照らすため、中元の夜に「ハスの灯ろう」を川や湖、海に流すという行事がありました。
中国の東北地方出身の女性作家・蕭紅は、『呼蘭河伝』の中で、この行事について以下のように書いています。「7月15日は「鬼節」(死者の日)、怨みを持って亡くなった魂は生まれ変わることができず、地獄で苦しむしかない。生まれ変わりたくても帰る道が見つからない。もし灯ろうがあれば、それに魂を託せるのだ…」
別れはよりよい再会のため
肉親や恋人、親しい友人が亡くなり、別れの苦しみをずっと心に秘めますが、中元節になりますと、手作りの「ハスの灯ろう」を川に流します。あるいは、線香をともして、かすかな煙を見ます。そして、死者は実は別れ去ったのではなく別の世へと旅立って行ったのだと思うのです。別れは単なる再会のためと信じるのです。
宋の時代の詩人・蘇軾がうたった「江城子」。亡き妻を想う大変感動的な詩です。せつなく感動的な言葉で妻への深い思いを表し、今でもこれ以上ない名作とされています。
別れ別れになってはや十年
思い出さずとも忘れない
千里を越えて墓に来ても
語ることもない
たとえ出会っても
気づかないだろう
顔は塵で汚れ 髪は白く
番組の中でお送りした曲
1曲目 感恩的心(感謝の心)
歌詞:
私は偶然に生まれ 埃のようなもの
分かるだろうか 私の弱さが
どこからきたか 私の愛はどこに行くか
誰か 今度は 私を呼ぶ
天地は広々 この道はでこぼこ
神は知っている 私は負けないと
感謝の心 あなたに感謝
2曲目 河灯(灯ろう流し)
この曲は東北地方を舞台にしたドキュメンタリー「長白山」の挿入歌で、長白山に端を発する大河・松花江の岸辺で、中元節の夜に灯ろうを流し、先祖をしのぶ場面を描いています。
3曲目 大海(海)
この歌は1992年に台湾の歌手・張羽生が、若くして亡くなった妹へささげたものです。
歌詞:
呆然と海辺に来て 潮の満ち引きを見る
愛してると言いたいのに 風に吹き散らされ
振り返り 君はどこ
海が過去の愛を呼び戻せれば
私を一生待たせるだろう