北京
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新中国が成立して70年、数多くの外国人が中国と深い絆を結んでいます。埼玉県日中友好協会の会長を務める大東文化大学の田中寛教授もその中の一人です。
1950年生まれの田中教授は大学時代、歴史学科で東方史学を専攻し、中国近代史を学びました。辛亥革命や五・四運動などの歴史的事件に触れた中で、近代の中日関係に深い興味が湧きました。卒業論文は中国共産主義運動の先駆者である李大釗氏を取り上げ、これを通じて中国の歴史や両国関係について深く考えるようになったとのことです。1983年に仕事を辞め、清華大学に短期留学し、翌年に湖南省長沙にある湖南大学の日本語学科で教鞭をとることになりました。
1年半にわたる中国滞在の大きな収穫の一つは、北京大学卒業の中国人女性と縁を結んだことでした。妻は黒竜江省ハルビンの出身で、共に現地を訪れた際に、地元の社会科学院で中日関係を研究していた歩平氏と知り合い、それがきっかけで、中国を侵略した日本軍の罪証集めを始めることになりました。
中国での留学と大学での仕事が終わり、日本に帰国した後、田中さんは大学の修士課程に進み、卒業後、日本語教師として活躍するようになりました。 田中教授は今、大学で教鞭をとる傍ら、埼玉県日中友好協会の会長も務め、様々な対中友好団体の活動にも積極的に参加しています。山西省での植樹造林や現地への資料の提供、また、日本国内における中国語講座やセミナー、スピーチコンテストなど多彩なイベントを開催し、民間レベルでの中日友好交流を促してきました。
「日中両国とも歴史を忘れずに、互いに尊重し、友好関係を発展させていく必要がある。戦争を体験した世代がどんどん減っていく中、今後はいかにして日中友好事業に携わる若者を増やせるかが大事になる」とこのように語る田中教授は、代々にわたって日中友好事業のバトンをつないでいくことの大切さを指摘しています。(怡康、森)