北京
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この間、中国園芸協会が、中国の花に関するアンケート調査の結果を発表しました。これによりますと、一番の人気を集めたのがボタンで、2位がウメ、3位がランでした。中国では、国を代表する花がボタンかウメかで議論が続いています。今回の中国メロディーは、中国の花に関するお話と音楽をお伝えしましょう。
清朝末期の国花~ボタン~
世界各国にはだいたい、その国を代表する花があります。例えば、日本は言うまでもなく桜ですね。ギリシャのオリーブも有名ですし、フランスのアイリスも愛らしい花で、エジプトのスイレンはその悠久な歴史を表しています。一方、中国ではボタンを思い出す人が多いでしょう。ボタンは、100年も前の清朝末期に、中国を代表する花と定められました。そんな上品で美しいボタンは、国が繁栄し盛んになり、人々の生活が幸せで縁起が良いことを象徴し、百花の王と昔から讃えられています。
日本では、花見といえば桜のことですが、昔の中国では花見はほぼボタンのことです。唐の時代の詩人・白楽天は「花开花落二十日,一城之人皆若狂(花が咲いてから散るまで20日間、街の人は皆狂うが如し)」とうたい、長安の人々がこぞってボタンを見に押し寄せる情景を描きました。この詩を見て、当時の中国でもボタンが大変に愛されたことがわかります。
そんなボタンが、20世紀の初め、つまり清の末期と中華民国の初めに中国の花とされたのは当然のことでしょう。
中華民国の国花~ウメ~
中国では、ボタンはその豪華な姿から「百花の王」と讃えられ、さらに国を象徴する花とされました。しかし、1920年代末の北伐戦争の後は、冬の寒さを恐れず吹雪の中でも凛々しく咲くウメの姿が、中華民族の強靭な精神を表していると思われるようになっています。当時、中国財政部は新しい通貨を発行するにあたり、花をデザインしたものにしようとして、当時の国民政府に代表的な花を決めるように求めました。国民党中央宣伝部は各界の意見を参考した上、ウメの花に決定しました。
当時は、ボタンについては「あまりの美しさで現実の暮らしを忘れてしまい、快楽主義を代表するものだ。外国に侵略されて国が危うくなっている今、中国人の品格を表し切れない」と考えられていました。
こうしたことから、ボタンでなければ中国の花はやはり梅、と考えられるようになります。1949年に新中国が成立した後、花に関する論争はしばらく中断しました。その後、1983年に中国植物学会が「中国を代表する花は何か」というアンケートを行いました。その結果、一番人気はウメ、2番目がボタン、3番目がキクでした。ウメを支持した人は「春の便りを象徴しており、寒さの中で凛と咲く気高さは、数千年にわたって強じんでゆるぎない中華民族の強さを代表するものだ」と主張しました。
ボタンとウメ、中国の国花は二つ?
国を代表する花は民族精神の代表であると言われています。それはボタンであると、中国人は昔から考えていました。しかし1930年代、ボタンはあまりに華麗すぎて革命を迎えた当時の中国にふさわしくないとして、ウメを代表の花としました。厳しい寒さに凛と咲くウメだけが、列強の侵略をはねのけ、近代化へと歩む当時の中国にぴったりだったのでしょう。
中国民族の性格には、ウメの品格も備わり、またボタン の特性も持っています。忙しい生活の中ではもちろんウメのような強さが充分に現れますが、記念日を楽しむときには、隠されたボタンらしさが現れるのです。この二つの花は、中国人の多面性を象徴し、また中華文化の奥深さを表現しています。それで、ウメとボタンは共に中国の花だ、という声が徐々に高まっています。
番組の中でお送りした曲
1曲目 牡丹謡(ボタンの歌)
歌詞:
幾重にも重なる花びら
過去の歳月を綴り
千年の長い歴史
悲しみはまだ心に残る
2曲目 踏雪寻梅(雪のウメ探し)
この曲は「夜猫子(ふくろう)」という四人組の女性バンドが歌ったもので、晴れた日に子供たちが雪の中でウメの花を楽しむ場面を描いています。
3曲目 大地飛歌(大地を走る歌)
この曲は、中国音楽界のソプラノ歌手・宋祖英が歌ったもので、澄み切った歌声が多くの人々に愛されています。
歌詞:
山道を歩き山の歌を歌う 網を張って漁の歌を歌う
牧歌を歌うほど牛やヒツジが集まり 夜空の星より多くなる
ボタンが咲き花の歌を歌う ライチは赤くなり甘い歌を歌う
楽しい歌で友情は長く 劉三姐の家の前の川より長く