北京
PM2.577
23/19
墓室の真ん中にあるレンガ造りの供物台。出土の時、供物台の上には墓誌が置かれた。墓室の北西、南西、北東、東南の壁には彩色画が描かれている。(安陽=新華社配信/安陽市文物考古研究所孔德銘所長提供)
【新華社鄭州3月13日】中国河南省安陽市で、レンガ彫刻が施された金王朝時代(1115~1234年)の壁画墓が発見された。このほど発表された発掘調査報告によると、墓は独特な設計が施された高僧の墓で、4人が埋葬されており、壁画の内容もこれまで見られない題材が含まれている。河南省の黄河以北で金代高僧の墓が見つかったのは今回が初めてであり、考古学的に重要な価値を持つ。
墓は市内の文峰大道と太行路の交差点の東南角に位置する複合施設、大華時代広場で13号棟の基礎溝工事を行った際に見つかった。墓の発見後、同市文物考古研究所は国家文物局の許可を得て、北京大学考古文博学院と共同で発掘調査を行った。
文物考古研究所の孔德銘(こう・とくめい)所長は「墓誌のある高僧の墓が見つかることも滅多にないのに、墓誌ばかりか、高僧が4人も埋葬されていた」と述べ、墓の形状や構造も非常に独特だと説明した。
墓は擬木構造の八角単室塼室墓(せんしつぼ)で、全長は9・35メートル。南北方向に造られ墓道は南に伸びている。墓道、墓門、甬道(ようどう)と墓室の4部分で構成されており、傾斜墓道には17段の土階段が掘られている。
墓室の平面プランは八角形で、北側と西側、東側の壁に耳室と呼ばれる小部屋が一つずつ造られている。耳室内には陶罐(陶製の水がめ)が全部で4つ置かれており、中には火葬された遺骨が納められていた。考古学者は出土した墓誌と照らし合わせ、この遺骨を4人の高僧のものと判断した。
天井は穹窿頂(きゅうりゅうちょう)と呼ばれるドーム型で、頂部はレンガを四角形に積み塞いでいる。墓室の中心にレンガ作りの供物台があり、出土当時、墓誌はこの台の上に置かれていた。
墓では特徴的な壁画も見つかった。墓室の北西、南西、北東、南東すべてに彩色画が描かれており、中でも「童子啓門図と「行医図」は特に珍しく、孔氏は「墓室の壁画によく見られるのは『婦女啓門図』であり『童子啓門図』は珍しい。『行医図』などもあまり見かけない」と語る。
出土した墓誌から、墓は金の正隆4年(1159年)に相州洪福寺文殊院の院主洪論が数人の高僧のために造ったことが分かった。墓は独特の設計と美しい壁画を持つほか、墓誌の年代記載や内容も豊富で、宋・金代の安陽の洪福寺や開元寺などの仏教寺院の盛衰や地名の歴史的変遷なども記載されている。
保存状態の良い壁画には、当時の生活の濃厚な息遣いや生き生きとした人物像が描かれている。これらは金代の人々の信仰や医療、薬学、社会生活の姿を如実に伝えており、重要な歴史的価値と芸術的価値を備えている。(記者/桂娟、双瑞)