北京
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改革開放40周年を祝う式典が行われた先月18日、改革開放に貢献した外国人10名に友誼の勲章が授与されました。そのうちの1人が、中日両国の国交正常化を推進し、中国の改革開放を支持した故大平正芳元首相です。CRIの日本駐在記者が、授与式に出席した大平元首相の孫である渡辺満子さんを先ごろ取材しました。渡辺さんは、国交正常化の歴史を振り返り、両国友好の今後の見通しを語りました。
大平元首相は1972年の秋、当時の田中角栄首相の中国訪問の際に、外務大臣として同行しました。一連の交渉を経て9月29日、両国政府は中日共同声明に調印し、国交正常化が実現しました。渡辺さんによりますと、2人の家族はともに右翼の嫌がらせや脅迫を受けており、中国行きの飛行機に乗る際も妨害を受けたとのことです。祖父の大平元首相が両国関係の正常化推進に取り組んだ理由について渡辺さんは、第2次世界大戦中に中国で働いていたことが大きかったとしています。
渡辺さんは、「祖父は当時、中国人に対する日本軍の横暴な振る舞いを見て、罪の意識が生まれたのだろう。その後政治家になり、その時から日中国交正常化を考え続けていた」と述べました。
大平元首相は、改革開放40周年の記念式典で、中日国交正常化を推進し、中国の改革開放を支持した政治家として、勲章が授与されました。
渡辺さんはこの式典の場で、「国交正常化した1972年はまだ10歳だったが、よく覚えている。それから、パンダのカンカンとランランがやってきた。日中友好ムードでものすごく盛り上がっていた。その時に、大きくなったら何か日中の間で仕事ができたらいいなと思った。今回、祖父が改革友誼勲章をいただいたので、人民大会堂に行き、中国側の代表100人と、外国代表の10人が一緒に写真を撮って、とても光栄でうれしかった」と話しました。
渡辺さんは大学を卒業した後、テレビ関係の仕事をし、幾度も中国に関連した番組を手がけました。今は日中映画祭実行委員会の副理事を務め、上海国際映画祭で日本映画をアピールし、また東京国際映画祭では中国映画をアピールしています。大平元首相の孫として、両国の相互理解や若者交流の促進が使命であると考え、両国が向き合って歩むことを期待しています。
渡辺さんは、「祖父は、中国と日本は生活習慣が全く違うと言っていた。だから理解し仲よくするためには努力が必要だと。国が違うので、全部一緒ということはないが、できることは一緒にやっていきたい。それは文化だと思う。分厚い文化交流は何よりも必要だと思う」と述べました。(殷、森)