北京
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春秋戦国時代は、中国史において重要な歴史的な変革の時期で、群雄割拠する諸侯が覇権を争い、戦いを繰り広げました。この時期には数多くの諸子百家、英雄が登場しました。また、各地の特色ある民謡もこの偉大な時代を彩りました。それから2000年後の今日、この戦国七雄の民謡はどうなっているのでしょうか?今週の中国メロディーは前回に続いて「戦国七雄」の歴史と音楽をお伝えしましょう。
三晋、戦国時代が幕を開ける
春秋時代末期は周の国力が衰退し、各地で有力な諸侯が現れて互いに覇権を競った時代です。紀元前403年に中原の超大国であった晋が韓・魏・趙の3国に別れたことから、戦国時代が始まるとする考えが有力です。
それ以降、秦、楚、斉、燕、趙・魏・韓の七雄が覇権を争う戦国時代が幕を開けました。また、晋が分裂してできた国の韓・魏・趙は「三晋」とも言われています。
英雄の地・趙
戦国の七雄の中でも北方に位置する趙は,春秋時代、常に北方の遊牧民族・胡と戦っていました。武霊王の時代になると、大きな志を持つ武霊王は胡から戦術を学ぶと共に「胡服騎射(北方遊牧民の服装を騎馬の戦法)」を取り入れ、趙を軍事大国へと成長させました。武霊王が自ら進めた弓騎兵団は、中国史上初の騎馬兵隊となりました。当時、この騎馬兵隊は無敵を誇り、西の林胡、楼煩を打ち負かし、北の中山国を滅ぼして、領土を千里にまで拡げていきました。これによって、趙は一流の大国になりました。しかし、紀元前260年の「長平の戦い」に敗れて以降は、次第に力を失っていき、最終的に趙は秦に滅ぼされてしまいました。
長年にわたる秦との争いの中で、趙は廉頗、藺相如、趙奢などの良臣と名将を輩出し、これらの人物から趙の勇猛果敢な民族性を感じることができます。そんな趙は英雄を輩出しただけではなく、民謡の故郷ともされています。伝統音楽の種類は豊富で、山の歌や小唄、地方劇「開花調」などから趙の伝統文化の魅力を味わうことができます。
人材の宝庫・魏
数百年の戦いを経て、秦が六カ国を統一し、秦王朝を成立したことをご存知の方は多いと思います。しかし、実は戦国七雄の中には秦より実力を持ったもっと強い国がありました。その国は魏です。
中原の超大国であった晋が韓・魏・趙の3つの国に別れたとき、この三国の中で魏は晋の最も良い土地を獲得しました。また、戦国七雄の中で魏は最も早く変革を実施した国で、文候の時代には、文化が繁栄し、優秀な人材を輩出する全盛期を迎えました。李悝、呉起、孫臏、信陵君など、多くの優れた思想家、政治家、軍事家はいずれも魏の出身で、秦が中国を統一する舞台で頭角を現わし大活躍した風雲児・商秧や張儀、藩睢さえも魏の国の人です。
しかし、戦国時代末期、多くの優秀な人材を失っていくのに伴い、魏の国力は衰えていきました。そんな魏は中華文明の中心地に位置し、各地の文化が集まり融合するところで、その土地の民謡は爽やかで明るいイメージを持っています。
強国の狭間で生存する・韓
韓は戦国七雄の一国で、紀元前453年に晋から独立した国の一つです。しかし、 当時の韓は七雄の中では、最弱の弱小国家でした。黄河中流地域に位置する韓は、東部と北部は魏と隣り合い、西は強大な秦と隣接し、南は強国の楚と接していました。国土が七雄の中で最も小さいこともあり、常に周りの強国からの脅威にさらされていました。
そんな韓は戦国時代、ずっと強国の狭間で生存する運命から抜け出すことができなかったため、周りの大国に頼らざるを得ませんでした。風向き次第でどちらにもなびく「二股膏薬」と呼ばれ、結局、六国の中で最も早く滅亡しました。そんな韓の地方の民謡は柔らかく美しいことで知られています。
番組の中でお送りした曲
1曲目 桃花紅杏花白(桃の花は赤く、杏の花は白い)
この歌は山西省左権県(戦国時代の韓の属領)の地方民謡を元にアレンジしたものです。
歌詞:
桃の花は赤く
あんずの花は白く咲く
山一面の花は 太陽に向けて咲き誇る
2曲目 人説山西好風光(みな山西省の景色は美しいと言う)
この歌は山西省の代表的な民謡で、山西省中部汾陽地区(戦国時代の魏の属領)の風光明媚な景色を描きました。
歌詞:
みな山西省の景色は美しいと言う
土地は肥沃で 穀物の香りが漂う
左手には太行山
右手には呂梁山
高いところに立って一望してみる
汾河の水がさらさらと
わが村の傍へ流れてきた
3曲目 編花籃(花籠を編む)
この歌は河南省西南部鎮平県(戦国時代の韓の所属)の民間音楽を元にアレンジしたものです。
歌詞:
花籠を編みに南山へ行こう
山の一面の赤い牡丹は なんと美しいのだろう
牡丹を摘み 二、三輪の花が籠いっぱいなる
鮮やかな花 少女は見て喜ぶ