北京
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担当:王小燕
今日(10月23日)は中日関係において、記念すべき日です。40年前の1978年10月23日、「中日平和友好条約批准書」の交換式が日本の総理官邸で行われました。鄧小平副総理と福田赳夫総理大臣が交換式に出席し、両国の外相、黄華中国外交部長と園田直外務大臣がそれぞれの国を代表して批准書に調印しました。この時から「中日平和友好条約批准書」が発効したのです。
(資料写真)1978年10月23日、中日平和友好条約批准書交換式の様子
今日の「CRIインタビュー」は中日平和友好条約発効40周年の記念企画です。中国と日本のこの40年あまりの道のりを両国の二つの家族の間に起きた小さな物語に投影してお伝えします。この二つの家族がこれまで半世紀余りにわたり、かたい友情で結ばれ、現在も毎年顔合わせをしています。今年は両家の皆さんが、10月22日に北京で一年ぶりに再会しました。
この二つの家族とは、北京放送、CRIの古参リスナーさんで、甲府市在住の神宮寺敬さん(98歳)一家と、国交正常化の前から中日記者交換協定に基づき、「光明日報」紙日本特派員として日本に駐在し、のちに中国の文化次官に務めた劉徳有さん(87歳)一家です。
日本の侵略戦争に駆り出され、通信兵として中国戦場に送られた経験がある神宮寺さんと、日本の植民地支配下の中国東北部で生まれ育った劉さん。戦後、両家の間で築かれた友情は、「身内ではないが身内以上、親戚ではないが親戚以上のお付き合い」だと総括しています。二人の初対面は1960年代半ばの東京でした。その後、中日関係に何度も紆余曲折が現れましたが、両家の絆はどんな時でもぶれることなく、固く結ばれています。なぜそれができたのでしょうか。両家のお手紙のやり取りで残された記録に基づいて編成してみました。ぜひお聞きください。写真(下)は劉家に保管されている甲府からのお便りの一部。