北京
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1時間目 「CRI時事解説」非難の背後にある焦燥&「美しい農村づくり」の現場では~海南省中廖村での見聞(上)
担当:王小燕、斉鵬
北京では爽やかな秋の空が広がる日が続いています。
今週の番組、「CRI時事解説」では「非難の背後にある焦燥」と題するCRI論説委員の文章を紹介します。
後半の「スペシャル・バスケット」では、「美しい農村づくり」(美麗郷村建設)を進めている最中の海南省中廖村での見聞をお届けします。
中廖村全貌(資料写真)
中廖村、遊歩道からの眺め
中廖村は海南省三亜市の郊外(吉陽区)にあります。村の面積は454ヘクタール、815世帯、3402人の村人がいます。ここは悠久な歴史があるリー族の集落。治安が良く、昔からの村並みがとても良い状態で保管できている村落でもあります。2015年から、「美しい村」(美麗郷村)建設という国からの呼びかけをはじめ、木を切らず、古い家屋を取り壊さず、土地を収用せず、池を埋め立てないことを厳守し、農業と観光を融合した新しい発展の道を模索するようになっています。
開花中のビンロウの木
村に設置された伝統工芸教習所、「無形文化遺産学堂」
伝統工芸の教習所で黎錦を織っているリー族女性
その美しい環境と濃厚なリー族の文化、風俗に引かれて、2017年、本部が深せんにあるデベロッパーが、村と提携する形で、観光開発に参加しました。空家をリー族風の民宿にリフォームしたり、子供向けの農業体験のスペース、伝統文化の教習所などを整備している最中です。こうした取り組みにより、昔は出稼ぎに町部へ出ていた若者たちも戻りつつあり、村が発展の良いサークルをたどるようになっています。この村は現在は、三亜では観光業の盛んな村としても知られています。
観光客を乗せて村内を走る電気カート
◆お便りの抜粋(高知県四万十市右山五月町・杉村和男さんの植物便り9月号から)
寒い地方に多く、高知県では絶滅危惧種に選定されています。長い間、高知県での確認報告は無く、県内の自生地は、ここだけと思います。絶滅の危険性が高く、保護に万全を期す必要があります。名は、葉が柳に、花が蒲公英に似ることによります。高原に見られます。8月26日12時16分、高知県梼原町姫草(ゆすはらちょう ひめくさ)での撮影です。姫草は四国カルストにある高原の名前です。標高が1230メートルあります。当日の天候は晴れ、姫草の気温、実に36.8℃、湿度49%でした。
ヤナギタンポポ(柳蒲公英) 撮影地:高知県梼原町姫草
名は水辺を緑色に染めるように群生することによる、とあります。寒冷な地域に多い植物で、高知県では絶滅危惧種に選定されています。高知県の自生地は津野町船戸(つのちょう ふなと)の1か所のみです。個体数を増やすため、兵庫県神戸市にある六甲高山植物園(ろっこう こうざん しょくぶつえん)から苗を譲り受け、近辺に植えた経緯があります。霍香という生薬名もあります。花や葉を手で揉むと、大変良い香りがします。高知県に野生する植物の中では最高だと思います。短命な植物で、2~3年で枯死するため、種子を採取して、絶えず新しい苗を確保する必要があります。近縁種のアニスヒソップ(anise hyssop)と花や香りが同じなので、栽培には、こちらの方が適しています。
カワミドリ(川碧) 撮影地:愛媛県西予市野村町大野ヶ原
道端に普通に見られる、つる植物で、町中でも、支柱、フェンス、ガードレールなどに絡んでいるのを見かけます。仙人は道教に出てくる、山奥に住み不老不死を得た老人のことですね。名は花の後の実に有る白い毛が、仙人の髭に似ることによります。
センニンソウ(仙人草) 撮影地:愛媛県松野町吉野
名は、花の後の実の形が、水玉に見えることによります。白い花、実には、涼感があります。背後には、渓流が有ります。
ミズタマソウ(水玉草) 撮影地:高知県四万十市森沢
名は茎や葉をちぎると、悪臭があることによります。しかし、感じ方には個人差があり、そう感じる人と、感じない人があります。私は、後者の方です。花の中心は赤紫色で、これがお灸の跡に見えることから、ヤイトバナ(灸花)の別名もあります。
ヘクソカズラ(屁糞蔓) 撮影地:高知県四万十町道徳
山扁豆という生薬名があり、健康茶として、人気が高まっているようです。道端、野原など、身近な場所に生えるものの、近年は見る機会が大変少なくなっています。一年草という種子でしか子孫を残せない性質のため草刈りに非常に弱いことと、数年~数十年来の乾燥(温暖)化によって、激減しています。
カワラケツメイ(河原決明) 撮影地:高知県四万十町道徳
名は、花が螺旋状に付くことによります。この植物も畑や果樹園の周囲など、身近な場所に生えるものの、一年草という草刈りに弱い性質と、作物に撒かれる農薬(除草剤)などにより、見る機会は大変少なくなっています。種の保護と同時に、植物を環境のバロメーターとして観察することが、これからの地球環境保全上、重要になってくると思います。
ラセンソウ(螺旋草) 撮影地:高知県四万十町道徳
名は、同じ仲間のオミナエシに似て、一回り大きく、頑丈に見えることによります。実際、茎や葉に硬い毛が有って、丈夫です。性質もオミナエシより強く、野山に普通に見られます。
オトコエシ(男郎花) 撮影地:高知県四万十町道徳
湿地に生えますが、川ではなく海水、つまり塩分を含む湿地です。そのため、浜の名があります。サジは葉の形が、匙:調理道具に似ることによります。このような環境自体が珍しく、高知県では絶滅危惧種に選定されています。
ハマサジ(浜匙) 撮影地:高知県宿毛市坂の下
2時間目 稲作技術者・藤原長作氏が中国に残したもの~拓殖大学・岡田実教授に聞く(上)
聞き手:王小燕
今回は改革開放40年周年ならび中日平和友好条約締結40周年記念特別企画です。日本の対中政府開発援助(ODA)の現場で活躍した後、現在は大学で教鞭をとりながら、「現代中国、日中関係、対外援助、国際協力」を専門に研究活動をしている拓殖大学・岡田教授にお話を伺います。
岡田教授は中日の相互理解が進まない原因の一つとして、記憶の在り方に違いがあるとみています。戦争時代の記憶がその最たる例ですが、戦後の歴史を例にとってみても、例えば、多くの中国人が人道主義から助けた日本の「残留孤児」、「残留婦人」の歴史は、当事者の方が深く記憶に残っていても、必ずしも両国国民の間で広く知られていません。改革開放後の歩みを振り返ってみても、中日両国の人々が技術協力や連携により、多くの記念すべき成果を残した事例がたくさんあります。しかし、それも必ずしも記憶の記録づくりがきちんと行われていないと指摘しています。
このような視点から現代の中日関係史に切り込んでいる岡田教授に、今週と来週2回に分けてお話を伺ってまいります。これまでの40年における中日協力を、主に2つの具体的な事例を通して振り返っていただきます。
今週は主として、1980年代初頭、寒冷地での米作り技術を中国に伝えた日本人農業専門家の藤原長作(1912-1998)のこと、そして、藤原氏が最初に稲作試験を行った黒龍江省方正県から見た日中の未来を眺めます。
次回は、1990年代初頭、中日が連携して、山東省でのポリオ(小児マヒ)撲滅に向けた取り組みです。この提携が成功したことで、中国がWHOに中国でポリオが消滅したと報告することができました。
こういったような具体的な提携、協力の事例を通して、日中の戦争・国際人道主義・開発協力の「記憶」や、日中協力の今後のあり方についてリスナーの皆さんと一緒に考えたいと思います。
◆藤原長作氏が中国に残したもの
「中日友好園林」内に建立された藤原長作氏の記念碑
記念碑の文
黒龍江省方正県中日友好園林に建てられた「藤原長作記念碑」には、藤原長作のことについて、次のような碑文で紹介しています。
「藤原長作(1912年12月3日-1998年8月7日)氏は、日本国岩手県沢内村出身。1981年から1998年まで、古希の年を以って中日友好事業に身をささげ、前後6回、自分から望んで、自費で方正に来訪し、無償で寒地水稲乾育栽培技術を伝授し、方正県ないし全中国の水稲生産技術革新に突出した貢献をし、方正県と日本国との科技交流の成功モデルとなった。
その後、沢内村村長太田祖電の推薦を経て、佐々木寛、有馬富男が方正で水稲超稀植試験を進め、藤原長作水稲栽培技術をさらに豊富に発展させた。
藤原長作には「方正県栄誉公民」が授与され、黒龍江省科技貢献奨、中国国際合作奨を獲得した。」
2011年に開館した「方正稲作博物館」の外観 方正稲作博物館」の外観
稲作発展史の展示に登場する藤原長氏
「藤原長作氏と寒地水稲乾育稀植技術」の展示
1980年代方正県科学技術委員会試験小組と藤原
また、2011 年、黒竜江省方正県に開館し、中国で初めてとなる稲作博物館では、藤原氏の業績を日本語で次のように説明しています。
“1981年に日本の水稲専門家藤原長作先生と一緒に「寒地水稲乾育栽培技術」の 試験に成功した。水稲の単位面積産量は 200キロから500キロに上がった。1988年11 月に、この技術は「中国科学技術進歩賞」の二等賞を獲得した。1989年に、中国科学技術委員会はこの技術を重要な普及プロジェクトに列した。第8次五ヵ年計画期間中、全国の栽培面積は2.3億ムーに達し、平均単位面積産量は84.63キロで、152.7億キロの籾も増産した。これは寒地水稲乾育栽培技術に新紀元を開き、国家糧食安全の保障にも大きな貢献をした。”
では、藤原氏はどのような気持ちで中国での農業指導に携わったのでしょうか。中国人ジャーナリストの記録によりますと、藤原氏が1980年に中国を訪問した際、次のように心境を語っていました。
「もし皆さんが自分を歓迎してくれたら、自分の増産技術を普及させたい。技術伝授の目的は、中日両国人民の世世代代の友好と、貴国が早期に四つの近代化を促進するためである。過去に日本の軍国主義分子が中国を侵略し、多くの無辜の中国人に危害を加えた。私は当時中国にまだ来ていなかったが、日本国民として深く疼きを感じる。自分は共産党ではないが、ベチューインを知っている。彼は偉大な国際主義戦士であり、私は彼に学ばなければならない。自分が伝授する技術に報酬は要らない。日中友好の架け橋になり、自分の実際の行動を以って、中国人民に罪を償いたい」
番組の中では、2017年夏に岡田教授が方正県の現地を訪問した際の見聞なども紹介します。詳しくは番組をお聞きください。(資料写真提供:岡田実教授)
藤原が寄宿した富余村の杜荫武家
推薦文献:
(日本語)
及川和男『米に生きた男 日中友好水稲王=藤原長作』筑波書房、1993年6月
大類善啓「水稲王 藤原長作物語 中国の大地に根づいた日中友好の絆」
『風雪に耐えた『中国の日本人公墓』ハルビン市方正県物語』(方正友好交流の会編,2003)
(中国語)
郭相声・曹松先・林長山編著『藤原長作先生在方正』中国香港天馬図書有限公司出版、2012 年 10 月
2012 年出版の「藤原長作先生在方正」
【プロフィール】
岡田 実(おかだ みのる)さん
拓殖大学国際学部 教授
専門分野:現代中国、日中関係、対外援助、国際協力
東北大学法学部卒業後、民間企業勤務を経て、1988年に国際協力事業団(JICA)入職。JICAでは北京大学留学、中国事務所員、中国援助調整専門家、中国事務所副所長として約10年間対中政府開発援助(ODA)に従事した他、本部、外務省経済協力局、JICA研究所等で勤務。
2010年、法政大学大学院で政治学博士号を取得し、2012-13年度法政大学法学部兼任講師。2014年度より現職。現在、大学で教鞭をとるかたわら、NPO法人日中未来の会、一般社団法人国際善隣協会などで日中民間交流活動に参加している。
【主な著書】
『日中関係とODA—対中ODAをめぐる政治外交史入門—』(日本僑報社、2008年)
『「対外援助国」中国の創成と変容1949-1964』(お茶の水書房、2011年)
『ぼくらの村からポリオが消えた—中国・山東省発「科学的現場主義」の国際協力』(佐伯印刷出版事業部、2014年)。