北京
PM2.577
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福島県上海事務所の副所長。2003年に北京語言大学で、福島県庁から派遣されて1年間の語学研修を経験した。しかしながら、その年はSARDSが流行した年であった。いったん日本に戻るも2ヵ月後に大学に復帰した。生徒がまばらな中で、教師とマンツーマンで授業をしていただき、集中して勉強に取り組んだ。その後、福島県庁に戻り、国際課で日本友好にかかる業務を行った。国際課の後は、福島への観光誘客にかかる業務に、震災を挟んで、取り組んだ。 震災直後は、被災地での業務に携わった。半年ほどして、海外からの観光誘客に取り組んだ。福島県の正確な情報発信を行いながら、海外からの観光誘客を行うも、とても困難な状況に直面してきた。現在、国内の観光客はほぼ震災前の水準に戻っているが、海外からはまだ戻っていない。自分が好きな中国の人々に、自分が好きな福島をたくさん見てほしい。自分を信じて、福島への愛を歌いたい。
選曲の理由:10年前北京語言大学に語学研修の際に、初めて覚えた苦労しながらもやっと歌えるようになった曲。