北京
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1978年に発足した中国の改革開放。それから40年の間に、中国映画には体制面から制作面まで、様々な変革が起こってきました。この40年の歳月は、中国映画の発展史ともいえるでしょう。その歴史の中で、変革の証として時代の変遷や幾多の盛衰を記してきたのが、「映画ポスター」です。ここで、その色あせることない異彩の数々をご紹介しましょう。
1993年から、当時の国家ラジオ映画テレビ部が『当面の映画業界体制改革に関する意見書』の内容を実行に移し、中国映画の制作配給モデルは、市場経済体制へとモデルチェンジを開始します。独占化から市場化への重要なステップでした。
中国映画の代表格とも言える陳凱歌(チェン・カイコー)監督の『さらば、わが愛/覇王別姫』(1993)がカンヌ国際映画祭の最高賞=パルム・ドールをはじめ、ゴールデングローブ賞の最優秀外国語映画など、国際的な映画大賞を次々に獲得しました。いまだに誰も超えられていない中国映画の最高峰といえるでしょう。
日本でも公開された『香魂女 湖に生きる』(1993)は、中国女性映画の代表作と呼ばれています。監督は、第4世代監督を代表する謝飛(シエ・フェイ)。この作品は、李安(アン・リー)監督の『ウェディング・バンケット(原題:喜宴)』と共に、第43回ベルリン国際映画祭のグランプリ、金熊賞をW受賞し、大きな話題となりました。中国映画の金熊賞受賞は『紅いコーリャン(原題:紅高粱)』(1987)に続く2回目です。
1994年11月に洋画大作が中国に初登場!その第1号作品はハリソン・フォード主演の『逃亡者(中国題:亡命天涯)』(1993)で、当時は北京や上海など中国の主要6都市で一般公開されました。
姜文(チアン・ウェン)の監督デビュー作として知られる『太陽の少年(原題:陽光燦爛的日子)』(1994)は1970年代初頭の文化大革命下の北京を舞台に少年のひと夏の恋を描いた青春映画で、姜文は監督としての才能と一映画人としての成長を見せ付けた作品といえます。主演俳優の夏雨(シア・ユイ)は17歳の若さでベネチア国際映画祭最優秀主演男優に輝き、その俳優デビューを飾った作品にもなりました。
成龍(ジャッキー・チェン)映画の『レッド・ブロンクス(原題:紅番区)』(1995)が同年の春節期間に公開され、3500万元超の興行記録を達成。これは、「お正月映画」という映画ジャンルの幕開けといわれ、中国お正月映画の第一人者、馮小剛(フォン・シャオガン)監督にとっても大きなヒントになった作品でした。
大陸初のお正月映画が登場!馮小剛(フォン・シャオガン)監督の『夢の請負人(原題:甲方乙方)』(1997)。これをきっかけに、中国では年に一度の春節映画商戦がスタートしました。笑って泣けるという馮小剛スタイルのコメディー映画も国内全土で注目されるようになりました。
(ミン・イヒョウ、謙)