ノンフィクションラジオドラマ『梁家河物語』~第2話

2018-07-03 15:48  CRI

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 心の奥底で、習氏は常に自分が延安生まれの人間であるとの思いを強くしています。

 2004年8月14日、当時中国共産党浙江省委員会書記を務めていた習氏は、延安ラジオテレビ局のインタビューを受けています。インタビュアーの「延安出身だという思いをお持ちなのではないですか?」との質問に、習氏は間髪を入れずにこう答えます。「私は自分が延安の人間だと思っています。延安は私の人生を変えた場所ですからね。今持っている価値観やキャラクターは全て延安という場所で形作られました。ですから、私は自分の故郷は延安だという思いを当然のように持っていますよ」

 1968年12月22日、毛沢東主席が「知識青年は農村に行き、貧困な農村での教えを受けることが極めて必要だ」との呼びかけを行いました。全国の1700万人の学生らは、その呼びかけに答えるように、都市を離れ、農村へと向かい、消し去ることも忘れることもできない人生の一時期を過ごすことになりました。

 梁家河村は60数世帯、人口200人あまりの村でした。一本の河が村の真ん中を横切り、その両岸には山を掘って作った洞穴式の住居ヤオトンがありました。ヤオトンの外は一面の切り立った黄土の山。夜も更け、崖の淵から見上げると、一つ一つの窓からはランプの明かりが透けて見えますが、見渡せる平地は100平米にも満たない狭ぜまとした場所でした。

 当時、そんな風景に囲まれた習青年は、「これじゃまるで原始人のすみかじゃないか!」と感嘆したそうです。

 この時の一行15人は、二組に分けられました。習近平、戴明、雷平生、王燕生、楊京生らは第二班に配属され、村の共産主義青年団支部書記張青遠氏はヤオトンに仮住まいすることになります。

 こうして、農村生活は幕を開けました。

 1969年、春節も間近くなった頃、青年たちは延安の人々が上客を招く際の特別な宴席にお呼ばれします。オンドルに並べられた料理は、焼肉、鳥の唐揚げ、団子、骨つき肉などの4皿とどぶろく。この物資の無い時代に出されたこれだけの料理は、まさに文字通り豪華フルコースと言っても良いものでした。この料理を目にした青年らは、「ここにもこんなに美味しいものがあったんだ!」と驚きを隠せませんでした。

 しかし、そんな喜びもつかの間。その後には、梁家河村の隠された一面が姿を表すことになります。

 小正月が過ぎる頃、村では扉に鍵を掛けて消えてしまう家が続出するようになったのです。

 毎年この時期になると、村民は申し合わせたように家を後にし、別の地方で物乞いをするようになっていました。延川県では、ほぼ半分の村民、時には一部の村長までもが、この季節には地方へ出かけて物乞いをしていたのです。

 2004年に延安ラジオテレビ局の独占インタビューを受けた時の習氏の回想によれば、当時村民が習氏に対して抱いた一番大きな不信感の原因は、パンを犬に与えたことだったそうです。

 それは習青年がバッグを整理していた時のこと。北京から持ってきた食べかけの、それもすでにカビの生えたパンを見つけたことから、そのまま犬に投げ与えたことに端を発します。当時の村民はパンなど見たこともなければ、食べたこともありません。習青年がそれは「パン」だというと、「そんな贅沢なものを犬にやるとは信じられない」、「知識青年は食べ物を無駄にする」、という評判が口づてに伝わり、いつしか延川県の全ての住民にそれが広まってしまったのでした。

 後に著した作品『我、黄色き土地の子となりて』の中には、習氏が当時の生活について反省する一文が記されています。習氏はそこで、こう述べています。「あの頃はまだ若すぎて、長いスパンで物を考えられず、団結の問題を考えることもなかった。他の人が山で働く毎日を送る中、私は気ままな生活を送っていたのだから、現地の人々の私に対する印象は最悪でした」

 習氏がここでいう「団結」とは、父・習仲勲氏の教えによる物でした。習氏は団結について、こう語ります。「父はしばしば私に団結の意味を語りました。そして、私は小さい頃から団結の大切さと団結を図れる人になるべきことを教え込まれました。沢山の人々の中で暮らして行くのですから、自分勝手なことばかりしていてはダメな訳です」

 こうした団結の概念を胸に、習青年は村民の中に溶け込み、農村に溶け込んで行くようになりました。まさにこの「団結の概念」が、彼の中に人民の中で大衆をまとめて行かなければならないという思いを芽生えさせたのです。そして、今日に至り、この人をまとめあげる力は、彼のリーダーシップの特徴の一つにもなっています。

 その後の習青年は、まるで人が変わったように、都会っ子と田舎っ子の間を埋める努力を始めます。

 こうしていつしか、村人の間でも、習青年に対して、知識に溢れ、親しみやすい性格で、話にも偏りがない、非常に手堅い若者というイメージが定着するようになっていきました。

 すっかり「街の匂い」の消えた習青年は、村の若者とも仲良くなって行きました。彼は自らの靴を貧しい家の仲間に与え、時には理髪師となって村の青年の髪を切ってやったり、水泳のコーチになって若者に平泳ぎを教えたりもしました。そして、同時に梁家河を訪れた知識青年である王憲平や、村民石春陽(シー・チュンヤン)、武暉(ウー・ホイ)、張衛龐(チャン・ウェイパン)らと、友人として仲間として友情を育むようになります。

 そして、村人らはついに心からこの都会っ子を受け入れるようになりました。さらに、習青年もいつしか、村人たちの外界に通ずる道となり、外界を観る目となっていったのです。(つづく)

ラジオ番組
10月29日放送分
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