北京
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鄧小平訪日随行随想(その一)
1978年の10月、わたしは鄧小平氏訪日の中国国際放送局随行記者として二週間日本に滞在し、毎日衛星中継で北京にニュース、報道を送っていた。この二週間のわたしの姿を写したただ一枚の写真は、鄧小平さんが帰国する日の朝、わたしが日本で一枚も写真を撮っていないことを知った同行のNHKの解説者大野静三さんが大阪のホテルの前で陸汝富君(中国国際放送局記者)と一緒に撮ってくれた人民服姿の写真だが、これも30数年の歳月のなかで、どこかに行ってしまって手もとにはない。 当時、30人ほどの中国の随行記者団は、ほとんどが紺系統の人民服着用、カメラマン以外にカメラを持っている記者などいなかったように記憶している。穿いている皮靴もかなりの人が日本訪問が決まってから、急いで友誼商店で買ったもので、色もスタイルも同じ。日本の和風の料亭に招かれ靴を脱いで座敷に上がったのはいいが、帰りに玄関に並べられた靴、外観はみな同じ、どれが自分のかわからず右往左往したというハプニングもあった。 |
昨今の外国に行く中国の記者はみな仕立のいい背広、個性のあるネクタイ、足もとをみると靴は十人十色、そして性能のいい小さなカメラ、ビデオ、録音機、ノートパソコン、携帯電話……この大きな変化は、改革開放の三十年の中国の様変わりの一端を示す一つの風景だともいえよう。 わたしは、鄧小平同志の一行より五日ほど早く東京に着いた。一足先きに来て日本各界の鄧小平訪日の反応を取材し、またNHKと衛星中継の具体的な段取りの打ちあわせをするためだった。 日本の財界、政界、学界、文化界、在日華僑、台湾同胞などの取材の合間を縫って、街頭にでて、市民の声も聞いてみた。 スーパーに買いものに来たおばあさんは「日本は、中国といちばん仲良くしなければいけませんよ。その中国からの遠来の客、大歓迎です」と声を弾ませて話していた。あの戦争を体験した人の心のことばだろう。 消防士だという青年は「隣の国からやって来た指導者、仕事を休んでも歓迎に行きたいですね。まあ、テレビを必ず見ますよ。いまいちばん行ってみたい国は中国です。友だちと中国旅行の相談をしています」と明るい声で話していた。 大学で中国語を勉強している女子学生は「わたしの夢は中国留学です。鄧小平副総理の来日でこの夢の実現が一歩近づいたようです。嬉しいです。熱烈歓迎です」と話していた。 その詩が歌になってテレビ、ラジオ、CD……で広く紹介され、その詩が詩集になってベストセラーに選ばれ日本の民衆に広く親しまれている女流詩人江間章子さんは、北京放送のインタビューに答え、秋の陽が明るく差し込む自宅の応接間で、鄧小平副総理を歓迎する自作の詩「よろこびのうた」を心を込めて朗読してくれた。 よろこびのうた 鄧小平副総理一行を東京に迎えて、一九七八年一○月二十三日、平和友好條約の批准書交換が行われた 江間章子 |
不幸な百年の歴史に 終止符が打たれた 不幸な歴史は 永遠に閉ざされた 二つの国のあいだに 輝かしい道がひらかれた 地球のはてまで 光りを放つ友情の道がひらかれた けれど わたしたちは忘れない きようのよろこびは この日のために 熱い心を積み重ねた人たちと 二つの国の努力で出来た実りであるということを しあわせな子供たちよ 希望にあふれて この美しい道を まっすぐに 進んで行きなさい 大人もみんなで この友情の道を 渡って行こう よろこびのうたを わたしたちはうたう きようの日のために 日本の秋の空は ひときわ明るく碧く澄みわたり 花は咲き 鳥もうたう |