映画ポスターで分かる中国改革開放40年~1978→1982~

2018-06-12 10:32  CRI

 1978年に発足した中国の改革開放。それから40年の間に、中国映画には体制面から制作面まで、様々な変革が起こってきました。この40年の歳月は、中国映画の発展史ともいえるでしょう。その歴史の中で、変革の証として時代の変遷や幾多の盛衰を記してきたのが、「映画ポスター」です。ここで、その色あせることない異彩の数々をご紹介しましょう。

 1978年5月、張芸謀(チャン・イーモウ)、陳凱歌(チェン・カイコー)、賈樟柯(ジャ・ジャンクー)ら中国映画に多大な影響をもたらす面々を輩出した名門、北京電影学院が社会向けに新入生募集を再開。これをきっかけに、中国映画は新たな1ページをめくることになりました。

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 最初に登場するのは1978年の、なんと日本映画です。高倉健の名作『君よ憤怒の河を渉れ』(1976)、中国題は「追捕」。映画の改革開放の第1歩として、隣国日本の魅力を感じさせ、今後の「可能性」について多くのヒントを与えてくれた重要な1本でした。

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 中国映画『小花』(1979)。黄健中(ホァン・ジェンジョン)監督による、戦時下の女性をテーマにした1本です。主演女優の陳沖(ジョアン・チェン)や劉暁慶(リウ・シャオチン)がこれを機に国民的スターに!

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 『生活的顫音』(1979)。国産映画に男女のキスシーンが初登場!といっても、唇は重なる寸前、キスしそびれたシーンだったようです。それでも、開放を熱望する最中の中国映画にとって重要な一歩でした。

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 『廬山恋』(1980)、本作は初の国産ラブストーリーで、ついに本当のキスシーンも初登場。主演のカップル、郭凱敏(グオ・カイミン)と張瑜(チャン・ユー)が現場で顔を真っ赤にして気まずさを感じながらキスシーンの撮影に臨んだというエピソードは、とても有名です。

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 日本ともゆかり深い魯迅の名作『阿Q正伝』(1981)が遂に映画化。第35回カンヌ国際映画祭に初登場。同映画祭コンペティション部門に出品された初の中国映画でした。

 

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 『少林寺』(1982)が大ブームとなりました。李連傑(ジェット・リー)の出世作で、中国大陸だけでも5億人を動員。香港での公開時は、1600万香港ドルの興行成績をたたき出し、成龍(ジャッキー・チェン)が樹立したカンフー映画の記録をも破りました。同作は当時日本でもアメリカでも大ヒットし、映画の挿入歌も大流行しました。なお、李連傑の話では、当時の出演料は1日1元だったそうです。

(ミン・イヒョウ、謙)

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