北京
PM2.577
23/19
5月末の北京、バラの花が咲く季節を迎え、町中至る所で咲き誇るバラは人々の目を楽しませています。バラは愛を象徴する花として知られています。今週の中国メロディーは愛をテーマに、民国時代のラブレターと恋の歌をお届けしましょう。
文字が届ける恋の世界
1911年の辛亥革命以降、中華民国が樹立してから、中国は戦乱が続き、情勢は激動の時代に入りました。こんな時代でも多くの文学の巨匠や大芸術家を輩出しました。これらの大家は中国の学問にも西洋の学問にも精通し、後世の人々から尊敬の対象とされています。そんな大家たちが残してきたラブレターから恋の世界を覗いてみましょう。
沈従文と張兆和
いくつもの地方の道を歩き
いくつもの橋を渡り
いくつもの雲を見て
いくつもの種類の酒を飲んでも
僕は花盛りの人しか愛していません
これは民国時代の有名な作家・沈従文が張兆和に贈ったラブレターです。張兆和は江南地方の名声ある家の出身で、才色兼備な彼女は上海のパブリックスクールに入学し、ここで大学の先生を務める沈従文と出会いました。張兆和に一目惚れした沈従文は当時、すでに文壇で頭角を現わし始めていましたが、女性に対してはコンプレックスを持っていました。
そこで、口が重い沈従文は心を込めたラブレターで張兆和への愛を表そうとしました。配達員から一つまた一つ届くラブレターは大学四年間の時をかけて、手紙を開くたびに少しずつ張兆和の心の扉も開け、ついに二人は1933年に北京で結婚しました。沈従文と張兆和の結婚は数百通ものラブレターで結ばれたものだと言えるでしょう。
偶然
私は空に浮かぶ雲
期せずして君の心に映った
驚くことなかれ
喜ぶこともなお無く
瞬く間に形跡も消え去ろう
我らは闇夜の海に出会い
君には君の 私には私の 目指す先がある
覚えていてもよかろう
忘れていたらなお良く
交わったときに互いが激しく放った光を
「偶然」は民国時代のロマン派の代表的な詩人・徐志摩が恋人の林徽因に贈った詩です。林徽因は民国時代の政治家・林長民の長女として生まれ、その美貌と才能は評判になりました。西洋文化の影響を深く受ける2人の若者は意気投合し、恋に落ちました。しかし、林徽因は家族の反対によって徐志摩の求婚を断り、二人の恋愛は終わりを告げました。
「偶然」は徐志摩が1926年に創作したもので、林徽因に贈ったラブレターと見られています。詩人は「深く愛しているものの、相手の選択を尊重する。一緒になることができないのなら、互いに祝福しあい、感情を心の奥に隠しておこう」という気持ちを表しました。「偶然」という詩は徐志摩が林徽因に贈った最も美しいラブレターと言われています。
両地書
私があなたに贈る手紙は
いつも郵便局に届けている
道端にある緑色の郵便ポストには入れたくない
そうすると遅くなってしまうと私は心配している
これは魯迅の妻・許広平が1925年に初めて魯迅に書いた手紙です。許広平は魯迅が講師をしていた北京女子師範大学国文科の学生でした。広州の貴族出身の彼女は民国時代の「新しい女性」として、父親が決めた婚約に頑なに抵抗し、自分の先生・魯迅と愛し合い、同棲して子供を儲けました。
この情熱溢れる手紙は魯迅から親切な返信を受けました。その後、多数の手紙のやり取りがあり、二人は恋に落ちました。魯迅と許広平は結婚式を行いませんでしたが、互いに助け合いました。これらの書簡は後年に「両地書」というタイトルで発表されました。二人の愛情の記録として、晩年の魯迅はこれらの書簡を書き写した時、心はとても幸せに満ちていたのかもしれません。
番組の中でお送りした曲
1曲目 情書(ラブレター)
歌詞:
絶望は冬より寒いのがよくわかる
あなたは自分が孤独を恐れることを嫌がっている
あいにくと自分勝手な人が好きだ
彼が書いた唯一のラブレターを持って
あの頃の愛情は愚かなものではないと証明してほしい
2曲目 偶然(ぐうぜん)
この歌は徐志摩の詩「偶然」を基にアレンジしたものです。
歌詞:
私は空に浮かぶ雲
期せずして君の心に映った
驚くことなかれ
喜ぶこともなお無く
瞬く間に形跡も消え去ろう
我らは闇夜の海に出会い
君には君の 私には私の 目指す先がある
覚えていてもよかろう
忘れていたらなお良く
交わったときに互いが激しく放った光を
3曲目 明月千里寄相思(明月は思いを馳せる)
この歌は1940年代に上海で流行した恋の歌で、今でも広く 人々に愛されています。
歌詞:
夜の景色がおぼろげになり
天の果ての新月はまるでかまのよう
昔を思い出せば
さながら夢のよう
あの夢をもう一度探す
一体どこにあるのだろうか