北京
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習近平主席の執務室の本棚に飾られている一枚の写真は、習主席がお母さんを連れ添って散歩する心温まる瞬間が刻まれたものです。写真からは、習主席がお母さんである斉心さんの手を携え、公園を散歩する様子が伺われます。親孝行をし、家族との絆を大切にする、そんな習主席の家庭への思いがにじみ出る一枚です。
お母さんの気遣い
習主席の両親は共に、早期から革命に身を投じた党の幹部でした。お父さんである習仲勲さんが1962年に冤罪を蒙ったことから、お母さんの斉心さんは未成年だった末っ子の習遠平さんを連れ、河南省黄汎区にある農場で働くことを強いられ、2人の姉も生産建設兵団に派遣され、習主席自身も陝西省北部にある農村の人民公社の生産隊に入隊することになり、家族はバラバラに離散させられました。そんな中、子供たちのことを気にかける母にとって、陝西省北部の農村で慣れない野良仕事に苦しむ息子は心配の種。そんな習主席のために、彼女はソーイングセットを手作りし、そこに赤い糸で「母の心」という三文字を縫い込むのでした。
習近平氏(前列中央)が大学生時代に撮られた梁家河村の住民との記念写真。(資料写真)
お母さんの言い付け
習主席は時々、小さい頃にお母さんと共に生活していた頃の様々な出来事を思い出すそうです。習主席が自ら語った『私と文学との切れない縁』の中では、習主席が5、6歳の頃、お母さんが中央党学校で働いており、通勤途上に新華書店があったことを振り返っています。習主席は「私が歩くのを嫌がると、母は私をおんぶして書店に行き、岳飛のマンガを買ってくれたものです」と語り、その後、お母さんが、宋の時代の武将・岳飛の母親が彼の背中に「精忠報国(忠誠を尽くして国に報いる)」という4文字の入れ墨を彫ったという物語を聞かせてくれたと語っています。
1958年に父・習仲勲氏が息子の近平氏と遠平氏と共に取った写真(『習仲勲画伝』より)
お母さんの戒め
家庭教育を重視していた斉心さんは、習主席の成長に大きな影響を及ぼしました。彼女は辛抱強く息子を育て、習主席が出世してからもよく手紙をしたため、「高い地位にあることは孤独なこと」と戒め、自分を厳しく律するよう注意を促しているそうです。そして、習主席が指導者としての位置につく様になってからは、斉心さんはわざわざ家庭会議を招集し、その他の息子や娘が習主席の管轄分野で商業活動をしないよう戒めたということです。
1975年、習仲勲氏、斉心氏と子供らが洛陽紅旗写真館で撮った集合写真。後ろ左から:息子習近平、娘習安安、娘婿呉龍。(『習仲勛画伝』より)
お母さんの理解
2001年の春節のこと、斉心さんは当時福建省省長を務めていた習氏に電話をかけています。その年の春節、習主席が北京の両親の元で新年を迎えることができずにいる中、お母さんは「あなたがそれだけ沢山の仕事を抱えていることに、母親として喜びを感じるわ。あなたが傍にいるかどうかよりも、自分の仕事をしっかり全うしてくれることこそ一番の親孝行だし、家族への責任の果たし方だし、自分自身への責任の果たし方だと思う。これらはすべて同じことだから」と電話の向こうで話をかけてくれたそうです。
2001年春節、息子と電話中の斉心氏
今年の春節を前に、四川の凉山彝族自治州昭覚県三岔河郷三河村の貧困家庭を訪れた習主席
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