北京
PM2.577
23/19
麗らかな春は一年の中で最も美しく、生気溢れる季節で、中でも中国では5月4日の青年節は鮮やかな祝日と言えます。この青春溢れる祝日に映画の世界に飛び込み、映画音楽とともに様々な時代の青春のメロディーをお楽しみください。
ある人は「青春はまるで歌のようで、その躍動するリズムの中に時代の音符が流れている」と言います。戦火の中で燃える青春、僻地へと飛ばされる青春、平和な時代のキャンパスの青春もその時代の主旋律を奏でました。
青春の歌
五月の花 五月の花
原野一面に咲いている
鮮やかな花が勇者の血を覆っている
存亡の危機に瀕する民族を救うため
彼らは粘り強く戦い続ける……
1935年、詩人・光未然は新聞で「五月的鮮花(五月の花)」という詩を発表しました。この詩に深く感動した作曲家・閻述詩は、その夜のうちに詩にメロディーをつけ、その後、この歌は抗日戦争の時に士気を鼓舞する有名な軍歌となりました。そして、1959年の映画「青春之歌(青春の歌)」はこの歌を映画の挿入歌として使い、再び歌われるようになりました。
地主階級出身のヒロイン・林道静は封建的な婚姻に反抗するため、海に身を投げて自殺しようとします。そのとき北京大学の学生・余永沢が彼女を救い、それがきっかけで二人は恋人となりました。しかし、共産党員・盧嘉川と出会った林道静は、革命思想に触れていき、余永沢は何度も彼女が革命活動に参加することを妨げます。そして、ついに盧嘉川が逮捕されてしまう事件を引き起こしました。残酷な現実に直面し、林道静は俗っぽく利己的な余永沢と離れ、抗日救国の大きな流れに身を投ずることになります。
青春祭
映画「青春祭(青春祭)」は70年代の青春物語を語りました。文化大革命の時代に辺境の農村に流された都市部の青年たちが、詩のような言葉で美しいものと心の中の夢を訴えました。
1970年代の文化大革命期間、数千万人の都市部の青年が辺境の農村に派遣されました。肉体労働を通じて思想改造を行うもので、17歳の少女・李純もその中の一人でした。中国西南部雲南省にあるタイ族の村に派遣された李純は、そこで温かく迎えられ、飾り気のない大家の叔父さんも優しいおばあさんもみんな彼女に家族愛を感じさせてくれました。彼女は次第に村の生活に慣れ、生活に溶け込んでいきます。
そんな李純は堅苦しく、くすんだ色の人民服を脱ぎ捨て、色鮮やかなタイ族の民族衣裳に着替えて農作業するようになり、タイ族の娘と同じ毎日を送りました。ある時、隣村に派遣された都市部の青年・任佳と知り合い、二人は恋に落ちます。しかし、収穫祭の夜、李純に思いを寄せていたタイ族の若者で大家の兄は胸の内を打ち明け、任佳と喧嘩になりました。この事が村中に知れ渡ってしまい、李純は他の山村で小学校の教員を勤めざるを得なくなりました……
番組の中でお送りした曲
1曲目 五月の花(五月の花)
歌詞:
原野一面に咲いている
鮮やかな花が勇者の血を覆っている
存亡の危機に瀕する民族を救うため
彼らは粘り強く戦い続ける
2曲目 安慰(慰め)
歌詞:
青々とした野ぶどう
クリーム色の小さな月
母さんが悩んでいる
どうやってジャムを作るの?
私はこう言った
母さん 心配しないで
早朝の垣根に
甘くて赤い太陽があるよ
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